直樹はここまで走って来たらしく、ぜえぜえと息を乱している。あまりにも突然現れた彼に驚き、誰も声を掛けられずにいると、彼は尻餅をついている夏神をビシッと指して高らかに宣言した。
「おれは、お前が嫌いだぁっ!!」
「………………はぁ?」
突然現れて訳の分からないことを宣言してきた直樹に、夏神はもちろんのこと、巫女さんですら呆気に取られていた。辛うじて言われた本人である夏神だけがやっと変に裏返った声を上げただけだ。完全に場は白けているのに、そんなことはお構いなしに直樹は続ける。
「おれはお前らの事情とか知らんし、知りたくもないし、なんで戦ってるのかとかも知らん! 夏神なんて大っ嫌いだしな! ただ、一つだけ知ってることはある」
そこでまた直樹は夏神を真っ直ぐ見据え、またもや指した。
「夏神! お前はこんな卑怯なことするような奴じゃねぇ! それだけは自信持って言えるんだよ! いつもおれらの誰より冷静で、誰にでも優しい! それに加えて、顔も良い! だから、おれはお前が嫌いなんだ! 女子にモテるお前が大っ嫌いだぁっ!」
直樹の発言に、この場にいる全員が内心「何なん? こいつ」と言いたげに互いの顔を見合わせる。そこで漸くはっと我に返った夏神はゆっくりと立ち上がり、直樹にも聞こえるように大きな舌打ちをすると、巫女さんに背を向けて歩き出した。
「お、おい、どこ行くんだよ」
「そこのバカのせいでシラケた。帰る」
「あ゛あっ!? 誰がバカだよ! 誰が!」
呼び止めようとして噛みついてくる直樹を無視し、夏神はスタンガンとエアガンを乱雑にポケットへ仕舞いつつ、去り際に巫女さんへ少し振り向いて口を開く。
「次は容赦しない。まだ訊きたいことがあるからな。……後、あいつに言っとけ。『次、大人しくしてなかったら、その顔にぶち込むぞ』ってな」
「やれるもんなら、やってみろ。その時は私がお前に嫌と言う程、ぶち込んでやるよ」
夏神の伝言に巫女さんも負けじと言い返す。それを聞くと、彼は不服そうに鼻を鳴らして今度こそ、その場を立ち去って行った。夏神の姿と共に気配が消えると、巫女さんはほっと一息を吐いて涼佑と交代した。
涼佑の意識が戻ってくると、皆が彼の許へ集まって来る。口々に彼や巫女さんのことを心配したり、夏神へ文句を言ったりしていたが、最終的な結論としては「今後、夏神とどう接していくべきか」ということ一点に尽きる。それについては涼佑も考えあぐねているようで、すぐには答えが出てこない。代わりに、彼は「手掛かりになるかどうか、分からないけど」と前置きをして、彼の心の内に入ったことを皆に話し始めた。
「入れたの!? 夏神君の心の中に?」
「うん。あれは多分、夏神の心の中、だと思う」
「何だよ、涼佑。随分、自信無さげじゃん」
「オレだって、初めてだからだよ。生きてる人間の心に入るのは」
涼佑曰く、最初はそこが夏神の心の中だとは思えなかったらしい。というのも、夏神と戦う為、彼が巫女さんと交代してから再び目覚めた時、奇妙な空間だったようだ。
というのも、周囲は本来カラフルで一般住宅や学校など様々な建物が建っている中、色だけが無理矢理抜けたような情景だった。その光景を目の当たりにして、涼佑はある印象を受けたのだという。
「何かさ、実際は色んな景色とか色とかをちゃんと認識してる筈なのに、無理矢理感じないようにしてるって感じだった」
「へぇ~……どういうこと?」
「分かってないんかいっ」
絢が直樹に突っ込む。やっといつもの調子に戻ってきたようで、涼佑達は二人の掛け合いを見て漸くいつもの穏やかさを取り戻し、密かにほっと胸を撫で下ろす。よく分かっていない直樹に尚も涼佑は説明した。
町を映した写真から色だけを抜いたような空間の中、涼佑が一際目を引かれたのは夏神の家である八野坂神社だったのだという。涼佑が立っている場所からでも微かに見える位置にあった神社へ、彼は歩みを進めようと思ったらしい。
「いつもみたいにドアとかは無かったのか?」
「いや、あったんだけどさ……」
ふと、涼佑が自身の右側を見やると、そこにはいつもと同じように片開きのドアが一枚、そこにあった。しかし、そのドアには鍵が掛かっているようで、ノブを回そうとしても途中で固く止められてしまう感触があった。そのすぐ後にどこからともなく現れた黄色と黒のテープに行く手を阻まれる。よく見ると、それは刑事ドラマでよく見る『立ち入り禁止』と書かれたテープだった。そのテープはドアだけではなく、とにかく涼佑の行く手を阻もうと目の前の町並みにも同様に掛けられていく。上下左右関係無く張られていくテープの海中で、彼は夏神の姿を見た。あちらも涼佑の存在に気付いたようで、こちらへ振り返った。
やがて、涼佑と夏神は互いの目元しか見えない状態になり、涼佑もそれ以上、町並みへ近付くことはできなかった。ただ、言葉だけは心の中の夏神に届いていた。
「な、何だよこれ」
「それ以上、お前に踏み込まれないように予防線を張らせてもらった。そこで暫く大人しくしてろ」
「……なぁ、夏神。ちょっと訊いて良いか?」
「……」
夏神は涼佑の質問をまるで意に介していないようで、顔を逸らして無視を決め込んでいる。涼佑の話も聞いているのかいないのか、殆どがテープで覆われた現状では、よく分からない。しかし、涼佑はそれでも夏神へ諦めずに語り掛け続けた。
「お前に何があったかとかは知らないけどさ。どうして巫女さんと戦わなきゃいけないんだ? 巫女さんとは最近、初めて会ったんだろ?」
「……」
「巫女さんが夏神の恨みを買うとは思えないんだけどなぁ。――あ、そういえば、ここって夏神の心の中だろ? こういう予防線? って張れるものなんだな。凄いな。このテープってよくドラマとかで見るやつだろ?」
「……」
「ここって不思議なところだよな。オレも何回か入ったことあるけど、ここまで広い空間は初めてだよ。町がそのまますっぽり入ってるみたいだ。夏神はよく八野坂町を歩くのか?」
「……」
「なぁ、せめて何が目的なのかくらいは言っても良いんじゃないか? オレも巫女さんもまだよく分からないし、どうしてお前と戦わなきゃいけないのかも分からないんだ」
「…………うるせぇな、てめぇは。現実よりこっちの方がおしゃべりなんですってか?」
そこでじっと見つめてくる涼佑に、夏神は気持ち悪そうな目つきで見返し、「なんだよ」と威嚇する。しかし、ささくれ立つ夏神とは違って涼佑は意外そうな顔をしていた。
「いや、もしかして、今の口調の方が素なのかなって思ってた」
「は? ――ああ、なんだ、そんなことかよ。そうだよ。これでも結構気ィ遣ってやってたんだ。じゃなきゃ、あんな気持ち悪ぃキャラ作る訳ねぇだろ」
「き、気持ち悪いって……あっちのお前も人気なのに」
戸惑う涼佑の言葉に、少しだけ俯いた夏神は小さく「嬉しくもねぇよ」と呟いた。その声が微かに震えていたことを涼佑は聞き逃さなかった。夏神は何重にも張ったテープで拒絶しているように見えるが、言葉と視線だけは届く。僅かでも彼と和解できる可能性があるなら、涼佑に諦めるつもりは無かった。
「なんで――」
「本当の自分ですらない自分をいくら好きだの何だの言われたところで、喜べる奴がいるのか? そいつらは本当の俺を見てすらいないのに、受け入れられてるとどうして思えるんだよ」
それは夏神の本心に聞こえる。更にもう一歩踏み込もうとして口を開きかけた涼佑だったが、それより早く夏神が口を開く。
「もういい。てめぇとこれ以上喋る必要も無ぇ。うるせぇし、もう俺は何も話さない」
それだけ言って、夏神は目元が見えている唯一の箇所すらテープで覆おうと目を上げた。