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第22話:つぎはぎの真実②

「お姉さん、キノコ初心者?」


 女性はたてはに歩み寄ると、屈託のない笑顔を見せた。


 茶色く脱色した髪を一つに結えた小柄な女性だった。派手な原色寄りのメイクは、薄暗い深緑の中で不自然に浮いている。

    樹木の生い茂る森林よりは、コンクリートの幹が立ち並ぶ都会の方が親和性が高い顔立ちだろう。

 しかし、泥のついたデニム生地のツナギを違和感なく着こなしている様は、彼女がアウトドアについても造詣が深い事を物語っている。

 左手にぶら下げた竹籠には、様々な種類のきのこが入っている。きのこ刈りの途中だったのだろうか。


「すみません、キノコを採りに来たわけじゃないんですけど、派手な色だったから、つい手を伸ばしちゃって‥‥。教えていただいてありがとうございます」


 たてははペコペコと頭を下げた。

     知識不足が故とはいえ、もし触れていたら大変な事になっていた。自分の不注意に恐縮しつつ、目の前の女性に感謝の念が湧き起こる。


「自生してるキノコには不用意に触らない方がいいよー。まあ、こんなに綺麗な色だから、触ってみたくなる気持ちはわかるけどねー」


 女性はキノコを指差し、たてはの頭の先から爪先までを眺めると、何度か頷く。


「あ、もしかして、キャンパーの人?」


「は、はい。そこのキャンプ場に泊まる予定で」


 たてはは来た道の方を指差す。

 言った後で、見ず知らずの相手にプレイベートな情報を開示してしまったことに気付き、不用心だったかなと少し反省する。


 相手がおそらく自分より年下の同性である事と、毒キノコによるピンチを回避した事による安堵感で、少し気が抜けていたとのかもしれない。

 それに、警戒心を緩めるような間伸びした話し方と、常に笑顔を絶やさない様子が、対面する相手に安心感を与えてくれる、彼女はそんな不思議な魅力を持った女性だと感じた。


「あー、それじゃうちのお客さんかー」彼女は大袈裟に両手を上げて驚いたポーズを取る「あたし、あそこのキャンプ場の者なの! ご宿泊ありがとうございますー」


「あ、そうなんですか。私、早く着いちゃったんで、ちょっと散歩させてもらってました」


「なるほどー。ゆっくり楽しんでくださいね。あー、あれなら早めにチェックイン済ませちゃってもいいよ。これからあたし、事務所に戻るんで」


「なら、もう少ししたら伺います」


「りょーかいでーす」


 女性はペコペコと頭を下げて、踵を返す。と、再び振り返り、竹籠を掲げる。


「今晩、このきのこを使ってきのこ鍋を作るんで、良かったら食べに来てよ。宿泊の方に無料で振る舞う予定なんでー」


「そうですね、よろしければ、お邪魔させてもらおうかな」


 たてはは遠慮気味に頷く。

 宿泊しているキャンパー達が集まるのなら、灰塚はいづか達樹たつきや、行方不明と言われている三河みかわ弥生やよいの情報が手に入るかもしれない。

 それに、天然のきのこを使った鍋はそれだけで魅力的だった。


「じゃ、またあとで」


 女性は小さく手を振る。

 つられてたてはも手を振り、降った手を所在なさげに開いたり閉じたりしながら、すごく人懐っこい子だなぁなんて事を思った。


 気付けば先程までの焦りの感情はほんの少しだけ薄まり、心の底から温かな感情が滲み出ていることに気付いた。



   △



 キャンプ場の中を散策し、管理棟に置かれていた宿泊者の日記帳をパラパラとめくり、何の収穫も得られないまま気が付けば日が傾いていた。


 山道で会った女性は木之元きのもとと名乗り、このキャンプ場オーナーの細君との事だった。

 夫婦で始めたこのキャンプ場は小さいながらも細やかな気配りが随所に見られ、開場してから数年あまりで知る人ぞ知る名物キャンプ場となっていた。


 この地に根ざしたキャンプ場の経営者であれば、三河弥生について何か知っている情報があるかもしれない。

 行方不明事件というデリケートな問題のため話の切り出し方は難しいが、美味しいキノコ鍋と酒が入ったシチュエーションであれば、酔いを装って多少強引に話題に上げることも可能だろう。


 たてはは日本酒をシェラカップに注いで、景気づけとして一気に飲み干す。

     焚き火の中に投げ込んでいたアルミホイルの塊を取り出し明けると、中からホクホクに熱せられたじゃがいもが顔を出した。クーラーボックスからガーリックバターのチューブを取り出し、十時に切ったじゃがいもの真ん中に絞り出す。


 普段は接客業をしている女性ということでニンニクを使う料理は控えているのだが、キャンプとなれば話は別。本来の嗜好を思う存分解放していくのがたてはのスタイルだ。


 西日はどんどん木々の隙間に溶けていく。


 乾きかけの絵の具を擦り付けたような広葉樹が生み出す乱雑な闇が、世界全体の覆い尽くす緻密で均一な深い闇へと飲み込まれていく。


 その様を眺めながら、たてはは先日見た宗助の姿を思い出した。


 「彼」と「彼女」の間に何が起こっているのか、まだ今の自分には想像もできない。

 しかしその先に誰も傷つかないエンディングがあるとしたら、それはきっと自分の働きにかかっている。そして自分は、少しずつだが真実に近付いている実感がある。


 たてはは立ち上がる。


 あの女性、木之元が言った時間が近付いていた。



   △



 管理棟前の広場に焚き火台が置かれ、三脚に吊るされた重厚なダッチオーブンが踊る火の上に鎮座している。

 中では褐色の水面が揺れ、そこに切り分けられた様々なキノコと鶏肉が投入されている。


 既に何人かの中年男性キャンパーが鍋を囲んで談笑していた。今日は平日ということもあり、子供連れやカップルのキャンパーは見られない。


 木之元はそのキャンパー達の間を行き来しながら、発泡スチロールのお椀に鍋を注いで振る舞っている。


 たてはは少し離れた地面の段差部分に腰を下ろした。それに気付いた木之元が、キノコを大盛りにしたお椀を持ってやってくる。


 明るい茶色の髪が、夜の浸食を受けて黒く染まっている。


 焚き火とガソリンランタンの灯りが彼女を右側から照らし、炎の揺らめきが彼女の痛んだ髪の枝毛を際立たせた。

 柔らかな笑みを浮かべる彼女の、隠しておきたい別の一面を覗き見てしまったような気がして、たてはは申し訳なさそうに俯く。


「来てくれてありがとう。女の人、お姉さんだけみたいだね。女同士、後でちょっとお話ししようよ」


 そう言った木之元は、再び他のキャンパーのところへと配膳をしに戻っていった。


 たてははキノコ鍋のスープを啜る。

 鶏の出汁の中に、複雑な風味が溶け込んでいた。

 見たこともない、名前も知らない、そんなキノコを一つ一つ味わいながら、たてはは揺れる火を眺めていた。


 しばらくすると、木之元はお盆に500mlの缶ビールを2本、お椀に並々と注いだキノコ鍋を持って、たてはの隣に座った。


「女性のソロキャンパーさん結構珍しいから、同じアウトドア好きとして、もっと話したくてさー」


 木之元はそう言って屈託なく笑う。


「これ、サービス」


「あ、ありがとう、ございます」


 木之元が差し出すビールを受け取りながら、たてはは彼女との距離感がいまいち掴みきれず、戸惑いながらプルタブを開けた。


「お姉さんは、キャンプ長いの?」


「小学生の頃から、父親に連れられて色々行ってたんだ」


 考えた結果、相手の親しげな話し方に合わせて、たてはも敬語ではなく常語で話す事にした。


「あたしは、高校生の頃かなー。今の旦那に出会って、キャンプが好きになって、気が付いたら2人でキャンプ場やってたの」


「それは、すごい」


 ビールを飲む木之元の横顔を見ながら、たてはは感嘆の声を上げる。


 それから木之元は、たてはがこれまで経験したキャンプの話を求めた。

 面白い話など何もないよ、と前置きした上でたてはが語り始めると、木之元は興味深そうにその話を聞いていた。


 その姿がるりと重なる。

 たてはの心に暗い影が生まれる。


「お姉さん、悩み事あるの?」


 そんなたてはの心の陰りを見抜いてか、木之元は上目遣いにたてはの顔を覗き込んだ。長いまつ毛に大きな瞳が隠れる。


「悩みというか‥‥」


 たてはは意を決して、知りたかった情報の切れ端に手を伸ばした。

 和やかなムードを重苦しい話題で中断してしまうことに心苦しさはあったが、当初の目的を忘れるわけにはいかない。


「ちょっと調べてる事があった。あの、知ってるかどうかわからないけど、3年くらい前にこの辺りで行方不明になった女の子がいたと思うんだ。三河弥生さんっていう‥‥」


 木之元の表情を窺う。


 その顔は驚愕の色に染まっていた。


 それは、振られた話題の唐突さによる驚きだけとは到底思えない。木之元は何かを知っている、そうたてはは確信した。


 行方不明の少女が「ミヤ」なのか。

 その正体を知る事が、きっと「るり」が何者であるかに繋がっていく。

 偶然の一致がもたらしたこのつぎはぎだらけの仮説を、真実として繋ぎ止める事が、今のたてはに出来る唯一の道だった。


「私、なんていうか単なる好奇心で知りたいってだけなんだけど、木之元さんは、その女の子について何か知ってるかな? 多分、木之元さんと同じくらいの年代かと思うんだけど」


 木之元は俯き、再び顔を上げる。

 口の端を吊り上げて、視線は明後日の方向を向いている。

 その時の不可解な表情が何を意味しているのか、それをたてはは数秒後に知ることになる。


「うーん、黒歴史って、なかなか消えてくれないものなんだねー」


「どういうこと?」


 明後日の方向を見ていた木之元の目が、まっすぐたてはの方に向けられた。


「あたしの名前、木之元弥生っての。旧姓は三河。その女の子って、あたしの事だよ」


 たてはは、アルコールによる酩酊と、積み上げてきた仮説が無慈悲に崩れ落ちるような感覚で、強い目眩を覚えた。




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