休憩地にある別荘で三日ほど休養した後、私たちは再び馬車で移動を開始。数日の山登りをして目的地に到着した。
森を切り開き、休憩所として作られた平地に馬車を停めて降りる。
「はぁ……」
全身に冷えた風を受けながら懐かしい景色に心が躍る。
万年雪が積もる山々に囲まれた盆地に広がる畑と家々。
穏やかに流れる時間の中心に建つ石造りの堅牢な城。
「帰ってきたのね」
たった
感慨に耽っていると、鞘から剣が抜ける音がした。
バシッ!
「え?」
音がした方をむけば、リロイが護衛の腰にあった剣を引き抜き、飛んできた矢を斬り落としている。
「襲撃か!?」
護衛の怒鳴り声に緊張が走る。
剣をかまえ、私たちを守るように囲むリロイの護衛。周囲は太く背の高い木々ばかりで、どこに襲撃者が潜んでいるか分からない。
「どこからだ!?」
「姿が見えない!」
護衛たちと同じように剣を手にしたリロイ。
その姿に私は自然と足が下がっていた。勝手に手が震え、体が距離をとる。
嫌でも思い出す、死の瞬間……
前世の記憶と現在が混同しかけたところで、背中が温もりに包まれた。
「ソフィア様、大丈夫ですよ」
そっと私の両肩を包む手。背後からクロエが私を支え、前方はテオスが警戒する。
(今は今。前世は関係ない。集中するべきは、今)
クロエに頷いてみせると、リロイの護衛の声が響いた。
「殿下を安全なところへ!」
「はい!」
使用人がリロイを馬車に乗せようと動く。しかし、その行く手を塞ぐように矢が飛んできた。
「頭をさげていてください」
リロイが剣で矢を叩き落とし、足元にあった石を投げる。
「グッ!」
「がっ!」
短いうめき声とともに木から何かが落ちた。
「捕らえろ!」
護衛の命令をリロイが鋭い声で止める。
「その必要はありません」
疑問の目が集まる中、リロイがあさっての方向に顔をむけた。
「なかなか手荒い歓迎ですね」
森の奥から粗い足音とともに野太い声が近づく。
「半信半疑だったが、王の手紙通りのようだな」
ボサボサの金髪に湖のような青い瞳をした中年男。まっすぐな鼻筋に彫りが深い顔立ち。熊のように大きな図体。笑顔でこちらを見る姿は豪快というより豪傑。
使用人がリロイに小声で訊ねる。
「お知り合い方ですか?」
「初対面ですが知ってます」
リロイの使用人と護衛たちが警戒しながらも不可解な顔になる。
緊迫した空気を変えるために私は前に進み出た。
「お父様、客人を出迎える時はもう少し穏便にお願いいたします」
私の言葉に父は心底不思議そうに目を丸くした。厳つい顔をしているが、表情は豊かで子どもっぽい。
「鉄砲ではなく矢で迎えたのだから穏便だろ」
「次から花を降らして迎えてください」
「花では相手の実力が知れんじゃないか」
領地を守るためとはいえ、もう少しこの脳筋をどうにかしてほしい。
私は肩をすくめた。
「では、途中で死なない程度の罠を仕掛け、それで実力を計ってください」
「おぉ、それはいいな! よし、次からはそうしよう。最後まで罠にかからなければ花を降らして迎えることにする」
私の提案に満足した父が耳を潰す声量で盛大に笑う。しかも、威圧をのせて。
「ヴッ」
「ガハッ」
空気が緩んだところでの大声と威圧。油断していたリロイの使用人と護衛たちが耳を押さえて地面に転がる。
一方、私の使用人であるテオスとクロエは先に耳を塞いでいたため被害はなかった。ちなみに威圧には慣れている。
声と威圧だけで、この攻撃力。どうやっても常人では勝てないし、王家専属の護衛でもこの有様。
(ローレンス領の物流問題を解決した人が婿入りって……本当にできるかしら)
今さらながら心配になってきた私を置いて父がリロイの前に立つ。使用人と護衛がリロイを守るために立ち上がろうとするが、土をかいて終了。
父が仁王立ちのまま胸の前で腕を組み、大声で自己紹介をした。
「よく来たな。俺がローレンス領領主、ディラン・ローレンス辺境伯爵だ。おまえのことは王から聞いている」
とても自国の王子にする挨拶ではない。いや、自国でなくても王子にする態度ではない。
しかし、リロイはまったく気にした様子なく、剣を左手に持ち替え、右手を胸に当てて頭をさげた。
「お初にお目にかかります。リロイ・ランシングと申します。お見知りおきを」
こうなると、どちらが目上か分からない。一見すると、血気盛んな武将と戦いを好まない好青年の対面。だけど、その琥珀の瞳に宿るのは……
領主であり父であるディランがニヤリと口角をあげた。
「俺の声と威圧を正面から受けて平然としているヤツは久しぶりだ。来い! 歓迎してやる!」
踵を返して背をむけた父にリロイが待ったをかける。
「すみません。私の使用人と護衛たちが動けないので、介抱してからでもよろしいでしょうか?」
父が顔だけで振り返り、マジマジとリロイを見下ろした。
「ほぅ。そういうのは放っておくタイプかと思ったが……」
言葉を切って私に視線を移した。それから意味あり気に青い目を細め、再びリロイに顔を戻す。
「もうすぐ俺の部下たちが来る。介抱はそいつらに任せたらいい」
「ありがとうございます」
リロイは頭をさげると地面でもがいている使用人と護衛たちの下へ歩いた。そのまま地面に片膝をつけて様子を伺う。
「大丈夫ですか?」
「殿下……申し訳ございません」
「護衛として不甲斐ない……」
沈む人たちにリロイが当然のように声をかけた。
「旅の疲労と不慣れな高地。そこに、あれだけの威圧を浴びれば普通は倒れます。気絶しなかっただけ優秀です。むしろ、誇ってください」
(いや、同じ条件でケロッとしてる人が何を言っているの)
思わず虚無の顔になる私。
ちなみに私とテオスとクロエは高地に慣れているし、父の威圧にも慣れているので問題ない。あと、ローレンス領主の城の使用人たちも。
そんなことを知るはずもないリロイの使用人と護衛たちは、リロイの言葉に感激して崩れ落ちた。
「もったいなきお言葉」
「ありがとうございます」
感動溢れるキラキラとした光景……なはずなのに、どこか胡散臭さが漂う。たぶんリロイが私と同じように仮面を被って対応しているから。
(でも、使用人と護衛たちはそのことに気づいていないのよね)
リロイの本心だと思っている様子。だからこそ、あそこまで感動したのだろう。
「あと剣をお返しします。勝手に拝借して、すみませんでした」
倒れている護衛の鞘を手に取ったリロイが左手に持っていた剣を鞘口に当てる。
シャッ……
無機質な音が耳につく。同時に私の体が固まった。
(剣が鞘を滑る音なんて、今まで気になったことないのに……)
リロイが剣を持つと無意識に体が反応するらしい。自分の体なのに、どうすることもできない歯がゆさ。耐えることしかできない、もどかしさ。
目を伏せているとリロイが私に近づいてきた。
「もう、大丈夫ですよ」
リロイが何も持っていないとアピールするように両手の手のひらを私に見せる。
私はプイッと顔をそらした。
「別に、あなたが剣を持っていようが、いまいが、私には関係ありませんわ。さっさと行きますよ」
こうして私たちは地面に伏しているリロイの使用人と護衛に見送られ、ローレンス領の城へとむかった。