エリック・マーティンは笑わない。
ターゲットに近づくために微笑むことはしても、噴出して笑うようなことはしない。その表情が柔らかく綻ぶこともない。
ウエストエッジ・総合ギルド組長のスネークは言う。
『顔に陶器を張り付けた様な人だ』と。
それは、ミリアが父の手紙にキレ散らかしているころ。
エルヴィス・ディン・オリオン──いや、エリック・マーティンは、朝からギルド最奥の部屋に詰めていた。
──その機嫌、最悪。
先日のドミニクとレアルとの会食が最低だったせいである。
『生首が見守る環境で食事を摂る』のもげんなりするというのに、結局あの日は、レアル嬢の話のネタにもならない話を延々と聞かされて。ドミニクから見えすいた『よいしょ』をされ続け。
本来接待を受ける側なのだが、まるっきり接待をしてきたようなものであった。
何よりげんなりしたのは、解放された時間である。
彼の見積もりを大幅にすぎ、屋敷についた頃にはどっぷりと日が暮れていた。
それらを巻き返すために、帰宅後・彼が雑務を必死で片付けたことは言うまでもない。
『昨夜のごたごた』をうまく切り替えられぬままの『今日』。
エリックは自分の怒りをまき散らすタイプではないが、いくら隠そうとも、にじみ出てしまうオーラと圧力は隠せるものではなかった。
普段から笑わず、厳しい顔つきで務める盟主の機嫌が最高に悪い時。新入りは気迫に押され物言わぬ置物になる。中堅でさえ、意見をするのに躊躇する。
そんな中、臆することもなくモノを言えるのは、総合ギルド組長 スネーク・ケラーぐらいなものだった。
「──ボス、毛皮の件ですが」
「…………ああ」
潰れた酒屋を改装した・ギルドの最奥。
天井から吊られ下げられた『魔具 ラタン』が、明かりの入らぬ室内を煌々と照らす中。
テーブルをはさんで、男二人。
互いの
「
「────……」
スネークの報告聞きながら、彼は資料に目を落とした。
5年前、4年前、3年前……そして、今年。数字が如実に表している『異常』に、エリックの眉根に皺が寄りゆく中、スネークは口を開いた。
「今年の流行りモノにでもなるんでしょうか?」
「────毛皮は。秋から冬にかけて毎年需要は伸びるものの、今年 特別需要が見込まれているわけではないらしい」
「おや。例の『おあつらえ向き』からの情報ですか?」
「ああ」
一言答え、エリックは資料に目を落とし読み込んでいく。
────ミリアの言う通り、その消費は7月ごろから徐々に増え始め、10月から12月が購入のピークだと示している。去年までは例年代り映えのない動きだ。
これらの資料から彼女の言葉の裏付けが取れたところで、エリックは紙を机の上に放ると、目線を落とし口元を覆いながら考えを述べる。
「流行りの兆しも見られないそうだから……、恐らく、どこかの貴族か団体が買い占めているんだろう。……でなければ、こんな暑い季節に需要があるはずがない」
「──なるほど。それなら、こちらの資料が役に立ちそうですね。……ここ1年の推移です」
ばさりと放られた資料の代わりに、新しいものを差し出すスネーク。読み取るボスの隣、彼は言葉をつづける。
「────1・2月までは横ばい。4月から徐々に上がり始めて、先月から跳ね上がっています」
「…………なるほど? 消費が落ち込んでいるときを狙って、徐々に買い付けたようだな」
「このまま冬に入るとマズいですねぇ。皮革製品は容易に数を増やせるものではありません。狩猟に適したサイズが都合よく獲れるというわけではないですから」
「……皮革製品に使える動物のサイズは、条約で決まっている。自然に育っている
(──まあ、守られているのか、疑問ではあるけど)
これは、こっそり胸の内。
苦々しく呟いて、エリックはスネークに目を向け、毅然と言葉を続けた。
「……総合ギルドの方で、これ以上値があがらないようにしてくれるか? 値が上がれば上がるほど欲しがる貴族は金を積んでも買いに走るようになる。『それでも売れる』と商人が認識してしまえば……今後、毛皮製品の値を下げるのは難しくなる」
「……ですねえ。ますます高級品になるでしょうねえ。庶民の手が出せないぐらい」
「────個人的に身に着けはしないが、動物の毛は防寒具としてとても優秀だからな……本当は、金の無い者ほど身につけた方がいいんだが」
(…………それが、理想論だということは十分わかってるけど)
最後の一言は口に出さず、エリックは続ける。
「最悪、今年の冬は持ち堪えられたとしても……、長期的に見て、値が上がりすぎるのは避けたい」
「承知しました。天井を設けておきましょう。我々も、その方が都合がいいですし」
スネークが2つ返事で頷くのを視界の隅に、エリックは、一つ。
情報の記された羊皮紙をノックして、スネークに目を向けると
「……これ。各店舗へ、売買記録を出せとは言えないのか?」
「……売買記録、ですか。おっしゃりたいことはわかりますが、難しいでしょうね」
ダメ元で言うエリックに、困ったように肩をすくめるスネーク。
「……そもそも記録をとっているかどうかも怪しいところです。我々総合
「…………、」
少々困り顔で言われ、唸り考える。
確かに、そうなのだ。
スネークは『総合
それに正直。総合
────加えて。
「────と、いうか……、そこまで『出せ』と言おうものなら、猛反発だろうな」
容易に考えられる『それ』に、エリックは吐き捨てるように言葉をこぼしていた。『改革』・『新制度』などを進めようとした場合、どんなことでも『反発』は起こる。
女性の雇用を促した時もそう。
成人男性への研修を開いた時もそう。
婚姻制度を、見直した時もそう。
──『変化』が面倒なことなら──尚更だ。
エリックは、婚姻制度の見直しと改革を進めた際に食らった『男性の猛反発』を思い出しながら、言葉を続けた。
「…………もし、それをするのなら。縫製
「……あぁ~、目に見えますねぇ。特に飲食の精肉と、アルコール類の店主は大騒ぎしそうです。あそこは店主の裁量に任せている部分が多いですし」
「…………だろうな」
「────私個人としても、それはご遠慮していただきたいところです。仮に暴動にならなかったとしても、どう考えても今より仕事が
「…………」
「おっ……と。失礼いたしました」
『スネーク』。と言わんばかりに、ギロリと目を向けられて。スネークはすまし顔のまま黙りこくった。
エリックは、スネークのこういうところが気に食わなかった。
いつでも力半分。誠意・真剣などとは程遠い態度。茶化す様にこちらを煽り、そしてすまし顔で静観してくるこの性格。
──能力がある分クビにはしないが、性分はとことん合わないと思っている。
エリックの視線、スネークの視線。
互いの視線がぶつかり合い、一瞬バチっと火花を散らしたが──エリックは、さっと目を戻し口を開いた。
──噛みついても仕方ない。
相手にするだけ無駄である。
「……つまり。そこから先は『内部からじゃないとわからない』か……」
「例の『お誂え向き』は、使えそうですか?」
「ああ」
「ほう? どこのどなたです?」
「言う必要はない。
今日一番。棘を込めて言い返した。
──詮索は嫌いだ。
スネークには何度もそれを叩きつけてきた。
任務をこなすうえで情報共有は必須だが、『情報源』の話となればまた別である。面白半分で探りを入れようとするスネークを牽制するのは当然だ。
明らかなる怒気を放ち、『いい加減にしろ』と叩き込むエリックの前。スネークは依然澄まし顔を崩さない。
──ああ、苛つく。
(……嫌がっているとわかって、わざとけしかけてくる
もう幾度目かの攻防。
ギルドの最奥、ひりつく闘気がその場を支配して───
「…………失礼いたしました。興味本位でしたので、お気になさらないでください」
先に沈黙を破ったのはスネークの方だった。
エリックが未だ睨みを利かす中、スネークはさらりと身を翻し、何事もなかったかのように書類を揃え始める。
「………………」
(──……こういうところだ)
────8年。
何度こういうことがあっただろう。
スネーク・ケラーという男はいつもこうだ。エリックをイラつかせる天才である。
一応、組織に彼を雇い入れる段階で、家柄・出自・経歴・交友関係に至るまですべて調べたが怪しいところは特になかった。
しかし、繰り返すが「詮索しすぎ」なのだ。
どこかのスパイかと疑ったこともあったが、どうも『こういう性格』のようである。
スリルを楽しんでいるのか、刺激を求めているのかはわからないが、──とにもかくにも、エリックはこの男のこういうところ
内心(……能力は間違いないのに)と毒づいた視線を送る中、スネークは資料を眺め、フン、と鼻を鳴らすと
「──それにしても、なんで毛皮なんでしょうねえ? 確かにシルクフェレットの毛や、ヘイムフォックスの毛並み手触りは見事なもので、私も冬には身に着けていますが」
「…………随分なセンスだな」
「おや。お好きではないようですね?」
「…………個人的に身に着けようとは思わない。──それより、これ。毛皮だけで済めばいいんだが…………」
「どういうことです?」
言いながら表情を険しくするエリックにスネークは問いかけた。
テーブルの上に広げられた資料の上、両手をつきながら、ボスは言う。
「──仮に、どこかの貴族や組織が買い占めているといたとして。買い付けている人間・組織がどのような理由で買い占めているかわからないが、目的が売り捌くことだった場合、何かしらの加工をするよな?」
「──ああ、そうですねぇ。絨毯として
「────ああ。それらがもし、民の生活必需品や越冬に欠かせないものだった場合……だいぶ、厄介だぞ。最悪この冬……いや、来年には確実に死人がでることになる」
「……
「────夏の暑さはしのげても……、冬はどうにもならないだろう」
「…………」
「………………」
懸念される未来に、しん……とした沈黙がその場に落ちた。
物の価値や値段は思った以上に複雑だ。
糸の様に絡まり、引かれて市場価値が上下する。
この『異常』が今後どのように作用するかは、まだわからない。
これから数か月。
この国が本格的に寒くなる前に。
ありとあらゆる可能性を想定しつつ、早急に動く必要があるのは、確かだった。
────ふうっ。
落ちた沈黙を破るように。
短く吐き出した息とともに、スネークは顔を上げると、
「──私の方は、外から噂や情報を探ってみます」
「…………頼む」
張りのある声に、空気が変わった。
先ほどまでの闘気はどこへやら。
彼らのあいだ、反発の空気は今はなく──互いに見つめるのは『国の未来』『自分の役目』。
エリックはベストに手をかけ身を翻す。
それにすかさず、スネークは細い糸目をそのまま声を投げた。
「ボス? どこへ行かれるんです?」
「────ああ。『シゴト』に」
やるべきことは決まった。
いちいち長ったらしく説明する必要もない。
向かう先はそう────総合服飾工房 ビスティー。