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第37話「取引をしないか?」





 ──それは、7月も終わりに近づいたころ。

 総合服飾工房オールクローゼットビスティーの店内で持ち掛けた『取引』の話。


 諜報機関『ラジアル』のボスであり、オリオン領 最高責任者であるその男は、二人きりの店内で、彼女────ミリア・リリ・マキシマムという着付け師の女に、こう持ち掛けていた。 



「────取引をしないか?」

「…………取引?」



 カウンターを挟んで二人。

 視線交わる、いい距離でエリックは頷く。

 すべての所作に、含みを持たせて。



「────そう。……まあ、取引というよりも「協力」、と言った方がいいのかな」



 言いながら、目線を流して小さく息づぎ。

 あくまでも悩まし気な雰囲気は保ちつつ、しかし真剣な面持ちで、彼はハニーブラウンの瞳を正面から見据えると



「…………さっきも話した通り。俺はエルヴィス様に仕える使用人だ。現在は皮革・コットン・絹などの価格変動について調べている。旦那様は、その原因が縫製組合ギルド内にあると推察しているが、なかなか難しくてね。……情報が必要なんだ」

「…………うん」



 その言葉に、ゆっくりと。

 ミリアの姿勢が整っていく。

 聞く彼女の表情は真剣そのもので、混乱の解けた彼女の瞳に宿るのは──『僅かな煌めき』。そこに付け加えるのは『真実を帯びた不安』だ。



「そして君はシルクや綿の高騰に困っている。このまま値が上がり続けたら──、君の生活は成り立たなくなるよな?」


「…………そう、だね、……困る」

「──だろ? だから『協力』。縫製組合ギルドは長い間、女性の聖域として機能してきた。その分、結束力が強くて」



 『……ふ』とひとつ、憂いを帯びた視線を投げる。

 眉を落とし、困った表情で首を振り──使うのは『訴求力』。



「…………この先、男の俺がどれだけ動いても、欲しい情報を手に入れるのは難しいと踏んでいるんだ。だけど、見過ごすわけにはいかない」

「…………うん」



 徐々に滲ませていく使命感。



「────どうだろう、協力してくれないか? 君は、素材の高騰に困っている。俺は、旦那様の力になりたい。利害は一致すると思わないか?」

「…………協……力…………」



 エリックの提案に、ミリアから返ってきたのは──ぽそりとした小さな呟きだった。それはとても小さな声で、力ないものにも感じるが、しかし。



 エリックの瞳には見えている。

 彼女のハニーブラウンの瞳が──金色に光輝いたのが。


 エリックはさらに畳み掛ける。

 思惑は滲まぬ程度の雰囲気で。



「……この様子だと価格はどんどん上がるだろうな……そうしたら、君だけじゃなく、周りの生活にも支障が出る。民は困り、喘ぐだろう。素材が手に入らなければ──、商売も何もないから。俺は、そうなる前に、原因を突き止めたい」



 詰める、距離。

 カウンターを挟み、じっ……っと見つめて、暗く青い瞳で──『最後の一手』。




「……なあミリア。手を、貸してくれないか?」

「…………てを……かす…………」



 途端。

 彼女の瞳の奥──金色に輝きだす”なにか”に、内側で笑みを浮かべた。



 ──エリックは理解していた。


 彼女がナンパに突っ込んでいく理由。

 『無視できない』と言っていた理由。

 正義感・責任感。そして、あの一人芝居。

 ────きっと彼女は、『何かになりたい』のだと。



 ならば、情報源としてではなく『協力者』にすればいい。



 ──さあ、仕上げだ。心は掴んだ。

 憂いと悲哀をもって、もう一撃。



「…………俺は、この調査に乗り出して、数か月*  になる。

 苦労しているんだ。……なかなか、…………糸口がつかめなくて」

「…………そう……なんだ……」


「…………手詰まりだよ、困ってる。……助けてくれないか?」

「………………」



 何も言わない彼女から、じんわりとにじみ出る『熱』に感じる確かな手ごたえ。

 その熱がさらに上がるように、誠意と野心を持って言葉を放つ。



「────君の力が必要だ。……君の快活さと、臨機応変さ。5年ものあいだ、出自を隠していた口の固さ。特にその、場に馴染む力は見事なものだよ。君の力を見込んで……、頼むよ。ミリア」

「………………」



 黙るミリアと、瞳を覗き込むエリックの間を、熱のこもった沈黙が支配して────……







「────へえ……ふふ、面白いじゃん?」



 沈黙を破ったのは、彼女のにやりとした笑みだった。

 まるで儲け話を持ち掛けられたような顔つきで頬杖を突き彼を見る。



 ──ああ、心が高揚している。

 エリックから言われたその案件。

 面白そうで、胸がドキドキと脈打って、わくわくが溢れてたまらない。



 さっきまで『ひまそうなお兄さん』だと思っていたのに、『まさか』である。


 ミリアは、いたずらを持ちかけられた子供のような顔つきでふふんとひとつ。鼻を鳴らしてほほ笑むと、うきうき笑顔で口を開いた。



「いいよいいよ、協力しましょう~! つまり、相棒が必要ってことだよね? おけおけ、理解した! ふふふふ♡ そう言われて悪い気はしなーい♡  ──で、何からしよっか?」


「…………話が早くて助かるよ」

「潜入! 調査! 密偵! ヤ~~~バイ楽しそお~~~!」


「…………いや、」

「武器は必要? とりあえず鍋とフライパンはあるよ! あと、まち針でしょ、ハサミでしょ? あ、変装に必要な衣装があったら言ってね! すぐ用意でき」

「ちょっと待って。……な、何か誤解してないか? そこまでする必要はないから」



 目をきらっきらさせながら、ガッツポーズなどをとりつつ。超絶乗り気になって意気込む彼女の反応に、エリックは慌ててストップをかけた。



 鍋とかフライパンとか、武器とかハサミとか。出てくる文言が少々物騒で、このまま放っておけば、とんでもないことをしでかしそうだと直感的に察したのである。


 彼女をうまく協力者にできたのは幸いだが、素人にそこまで派手に動かれても困るのだ。正義感のあるど素人ほど危ないのだから。


 エリックは微妙〜〜〜〜に困ったような表情を浮かべると、ミリアに向かってわずかに首を振り、



「……ただ、俺が聞き出せない情報を流してくれれば、それで」

「えぇ〜〜。つまらん…………」

「────遊びじゃないんだぞ? それに君にも生活があるだろ? ここをクビになってもいいのか?」

「よくないです」


「────じゃあ、言うことを聞いて。……やり方や……作戦については、こっちで考えるから」

「うーん……、まあ、そうか~。……まあ、そっか~」

(…………大丈夫か? まあ、とりあえず、初手は”大丈夫”か)



 ミリアの返事に、エリックは自身を納得させるように呟いた。


 彼女は、まだ、やや納得できていなさそうな雰囲気ではあるのだが、初手の初手に関しては対応を間違えなかったような気がしていたのである。


 ミリアの性格やツボ・ノリについてはいまだ掴み切れていないし、今後また驚くようなこともあるだろう。しかしいきなりの暴走に関しては、防ぐことができたのではないだろうか。


 まだ、やや不満そうな彼女に気がかりな点はある。が、今ここで細かいことを言っても、後々動けなくなるかも知れない。『ある程度の自由』と『自己判断』は必要なのだ。何しろ──からくりめいた動きをしていればいいわけではないのだから。



 目の前で、『うぅ~ん』と唸り眉をひそめるミリアに、彼はひそかに考えを整理し始める。



(──……今は、ここまでだな。『切り替えが早い』ということは、それだけ、短絡的なところもあるということだから……そこはきちんと制していかないと、とんでもないことになりそうだ)



 ミリア・リリ・マキシマムという人間と、今までのやり取りで得た情報をもとに、今考えられるすべての危険を予測し始めるエリックの視界の中で。



 彼女は唐突に『ぽん!』と手を合わせると、



「──あ。でも、最初に約束してほしいことある」

「…………約束?」



 エリックがおもむろに目を向けた先。

 ミリアは『ぴっ』と指を立てると、瞳の輝きはそのま、はっきりと述べるのだ。



「うん。『協力するなら最後まで』。こっちもそれなりのリスクを背負うわけだから、ちゃんと最後まで見届けないと気持ち悪いじゃない?」



 あくまでもかる~く。ニコニコっとした笑顔で『中途半端にすんなよ♡』と訴えかける彼女の雰囲気に────エリックは、思わず『フッ!』と吹き出し笑っていた。



「……ああ、わかったよ。今日から、俺たちは相棒だ」



 そう、笑いも含んだ言葉で返して、────彼は思う。

 『これで、良かったのだろうか』と、ほんの少し。


 しかし、無意識に心が言う。

 『これが、今のところ最善策だろう』と。 


 ──もしかしたら、うまく進まないこともあるかもしれない。しかしそれは、今 懸念することではない。



 すべては任務を遂行するため。

 この街の産業を守るため。

 民の暮らしを守るため。


 ────そして。



 エリックは、密かに、”ぐっ……”と右拳にちからをこめた。

 自分が選んだ判断と背負いし『責任と役割』に、静かに息を吸い込むエリックの前、ミリアは言う。



「じゃあ、儀式をしないとねっ」


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