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第59話「プリンは伸びない」





 それは、彼女の工房。

 長年連れ添い、過ごしてきた縫製工房ドレスショップ


 ──────ふ…………

 若く騒がしい二人を見送って、オーナーのベレッタは、感慨深げに息をついた。



 覗き込むのは窓ガラスの向こう。

 前髪を頭の上でまとめ上げた髪型そのまま歩いていったミリアと、ミリアになにやら話しかけている様子の『エリック』と名乗った青年に、自然と口が緩む。


(────…………ふふっ)


 見守る視線は穏やかで、まるで、我が子を見るような気持ちだった。


 ──『感慨深い』。

 胸の奥に込みあげる『懐かしさ』。

 それを瞼の奥に隠して、ベレッタは”ふっ”と窓から体を浮かせ店内を行く。


 踏みしめるのは年季の入った床。

 流れ行くのは、いつもの店。

 味わうように眺める彼女の目が客用ソファーに向けられた時。



「…………ん?」



 布張りのソファーの下。

 隙間から飛び出て床に張り付く紙が目に留まり、細く皺のある指を伸ばしていた。


 拾い上げたのは『薄桃色のカード』。あの『ミリアー! 頼むから嫁に行ってくれ!』と怨念の込められた、あのカードである。



(…………アラぁ、ふふ。ミリーのお父様かしら。ふふっ「親の心子知らず」とはよく言ったものねぇ)



 書かれた言葉に頷きながら、彼女はすたすたとカウンターに戻ると、後ろの、棚の一部。ミリアの私物・裁縫や着付けの指南書や、お手製のカタログが詰まったそこに差し込んだ。



 ”これ”がのちに大きな大きな騒動の火種になることを、オーナーはもちろん、手紙の存在を忘れたミリアも想像して居なかった。







「〜〜〜〜〜〜っ……! とり! にく! ……さいっこーーーかな……!」





 シルクメイル・オリオン領西の端、ウエストエッジ。

 『女神のクローゼット』と呼ばれる街の中。


遅い昼飯で賑わう食堂・ポロネーズの一画で、ミリアは一口目の肉に頬を緩ませ『生きている喜び』を噛み締めていた。



 『何が食べたい?』とエリックに聞かれ、即『鶏。鶏がいい』と迷いなく答えて今である。


わいわい、ガヤガヤと周りの会話も賑やかな中、ゆらゆらと湯気立つクリームシチューを一口頬張りもぐもぐと頬を動かす彼女。その頬は『美味しい』を絵に描いたように持ち上がっていて、エリックはクスッと笑いを漏らしていた。



「…………君、美味そうに食べるよな。鶏が好き?」

「だいすき!」



 湯気立つポトフもそのままに話しかけるエリックに、返事は間髪入れずに返ってくる。鶏肉とトマトは彼女の大好物だった。



「三度のパンより鶏が好き。鶏があれば生きていけるとおもっている!」



 そう堂々と言い放ち、白いシチューを纏った鶏肉をニンジンと一緒に頬張る彼女を前に、話題は自然と溢れ出す。



「……そういえば、君に偶然・・声をかけた時も、鶏を食べていたよな? あの時は串焼きだっけ?」

「ああー、よく覚えてるね? 『ピュ・チーボ』の串焼き、美味しかったでしょ?」


「ああ、うん。美味かった」

「…………よかったねー? あの時言ってた『食事の約束』果たしたね! ヤッタネっ」

「…………まあ、ああ、うん。そうだな?」



 小さく『good サイン』などを作りながらも、しっかりもぐもぐする彼女に、少々ぎこちなく頷く彼。その相槌の下で『現状』に『少しの驚きの混じった感慨深さ』が沸き起こり、瞳を巡らせた。。


 ────彼の中『あの時・・・思い描いていた”食事”とは、随分と違う状況になった今』に、当てはめられる言葉がない。あの時は『ただ』、『何度か食事を交わして、好意を持たせてから情報だけを抜けばいい』と思っていた。



 しかし、現実に取った手段は『相棒としての契約』だ。



(…………不思議なものだ)



 『協力者』『目の前にいる相棒の女性』『緩やかに流れる時間』。全てが『今までにないもの』でしみじみとする。


 エリックは『自分がそういう発想に至った』ことについては、間違いだとは思っていなかった。不思議な状況ではあるが、今までとこれからを鑑みれば、これが最善策だと判断したからだ。



(────思えば……あれから、そんなに時間も経ってないはずなのに、随分と昔のことのように感じる。……それも変な話だ)



 ざっと思い返し、ひとつ。

 時間が濃縮されているような感覚を憶え、ほんの少し前の『当時』を思い返すその傍らで、ミリアはとろりとしたスープにスプーンを沈めると、ご機嫌にほほ笑み彼に述べた。



シルクメイル こ こ はさ〜、ほんとミルクとかチーズとか美味しいよね。鳥のクリーム煮なんて、こっちにきて初めて食べたもん〜♪」



 言いつつ、白くまろやかなシチューをひとくち。 

 途端ミリアの口の中。優しく広がる────鶏のうまみ。


 とろーり膜張る優しいミルクと鶏の脂。程よく効いた塩胡椒に、コンソメの風味が後をひき、旨味の膜が舌全体を包み込む。あまく優しく全てを包み込み、溶かすような温かさ。


 そんな旨味の波に、また次の一口を求めてしまうのは────、もう、仕方のないことだろう。



「…………おいしい……!」



 思わず唇を噛み締め、ぎゅうっと右手で握り拳を作るミリアの満足げな雰囲気に釣られて、エリックもスプーンを片手に話し出す。



「……ここは、酪農が盛んだからな。ミルクやチーズもそうだけど、スイーツも美味いよ。ホイップクリームが乗ったパンケーキとかクリームを添えたフルーツだとか。食べたことある?」

「…………ない〜。それって高級店で食べられるやつでしょ?……あるわけないよね〜」


「……そうか。霊峰ニルヘイムの氷を使ってホイップしたクリームなんだけど。口に入れた瞬間、甘みが広がり溶けて美味いんだ。……今度食べに行こうか。ご馳走するよ」


「いやいや、いいよいいよ。ごちそうなんてさ。フェアにいこ。お給料入ったらにしよ。なるべく安めのとこにしよーね、お互い大変だし」



 エリックのナチュラルな誘いを、ミリアは手をぱたぱたしながら断った。


 彼女の中(『ピュ・チーボ』の串焼き、『どこの鳥』とか言ってたし。お屋敷づとめってそんなに儲からないんだろうな)という配慮の元の発言である。全く見当違いの配慮なのだが、ミリアはいまだにエリックを『お金のないお兄さん』だと思って疑わなかった。


 そんな勘違いをされているとは思わないエリックが正面で、なにやら小さく笑みを浮かべる中、ミリアはまた、クリーム色のスープを一口。


 水で洗い流した口の中、何度でも広がる旨味に、頬を抑える。



(……んんんん……! ここのクリーム煮、ほんとうにおいしい……!)



 『この美味しさを外に出してはなるものか』と唇をぎゅっとつぐみ、口いっぱいの旨味を味わう彼女はふと、それ・・に気が付き、エリックに目を向けると、



「でもさ、プリンがないの、もったいないよね」

「…………”ぷりん”?」



 ミリアから出た、聞きなれない単語。

 彼は思わず目を見開き考える。



(…………なんだ、それ?)



 一瞬のうちに脳内で『ぷりん』を探すエリックに対し、彼女は当然のような顔つきで彼を見つめつつ、ひょいパクとさらにひとくち頬張り話を続けるのだ。



「…………ないよね、ここ。見たことないもん。ミルクも卵も美味しいのに。なんでないの?」

「……いや、そもそも、”ぷりん”って、何?」



 言われ、エリックはまともに聞き返した。


 ミリアは当然のように言うが、彼の知識の中『ぷりん』というものは、聞いたこともなければ見たこともない。



(…………”ぷりん”?)



 エリックが、その『音』から彼の知識を総動員して、彼なりにモノを想像する、視線の先で



「──あ。そっか、知らないんだ。えーとね、たまごと、ミルクと、砂糖で作る、ぷるんぷるんした、甘いスイーツ? ぷるぷるトロトロでおいしいやつ」


「…………”ぷるぷる、とろとろ”……?」

「うん。かためのとこもあるけど、基本ぷるぷる」

「……?」



 聞いて、さらに首をひねるエルヴィス・ディン・オリオン閣下。

 なぜならこの国には『ぷるぷるした食べ物』が存在しないのだ。



 ──昼のピチューボの一角で。

 今、『プリンを知らない男』と『プリンを知る女』の迷走劇が始まろうとしていた。





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