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第79話「たすけて、くれるの?」






 ──そこに宿るのは、困ったような戸惑いの色。

 『教科書を貸してくれ』と切願していたエリックは、そんなミリアの顔つきに首を振る。威圧してしまったかと思ったのだ。


 エリックは、別にここを押し切るつもりはなかった。




「────出来ないなら出来ないでいい。駄々をこねたいわけじゃない。ただ、遊び程度でも『使える』のなら試してみたいだけだけで…………悪用しようなんて思って無────、…………ミリア?」



 真摯に『君の決定に任せる。しかし聞いてほしい』と語るその口は、最後、不可思議な色で名前を呼んだ。


 黙って聞いていたミリアの顔つきが、呆気にとられたようなものに変わっていき、それ以上を続けられなかったのだ。


 困惑ではない。

 迷ってもいない。


 ミリアの纏う空気それは──『言葉がない』と表すのがふさわしく──それを不思議に思ったエリックは問いかける。



「…………ミリア? どうした?」

「────おにーさん。たまに『怖い』っていわれませんか」

「────え。」



 唐突に声が漏れた。

 地味に痛いところを突かれた気分だった。

 瞬間にキャロラインの言葉が脳をよぎる。

 『シスターが怖がっていた』。


 ──一気にじわりと溢れ出す心地悪さ。

 無意識に喉を鳴らし、広がる苦みに口を噤む。


 ────別に凄んだつもりも、睨んだつもりもない。

 ただ、真面目に考えを述べていただけなのだが──



(────ここでそれを言われるとは思わなかった)



 じんわり痛い。

 『真剣に述べれば怖がられる』。

 相棒のミリアにさえも。

 熱意が恐怖として伝わってしまうのなら──どう伝えればいいのだろう?


 そんな迷いに駆られるが、エリックは振り払うように目を上げ、ミリアに──困った顔で問いかけた。



「…………怖かった? ……いや、凄んだつもりはないんだけど」



 意図せず込めるのは『自信の無さ』。『不安げな気持ち』。



「…………いやあのそーじゃなく……」

「──違う? ……その……君を怖がらせるつもりはなかったんだけど」


「いや、えっと」



 組んだ腕をテーブルに置き問いかけたが、ミリアは困ったように眉を下げるばかり。



 ────ああ、どうも上手くかみ合わない。

 彼女の意図がわからない。

 悪戯に不安に駆られているのは自分だけなのだろう。

 そんな感情を内に秘めつつ、しかし彼は『切り替えた』。

 使うのは『自嘲』。

 軽く肩をすくめて小首を傾げ、『躊躇いつつも吐き出すように』、こぼす。



「…………あぁ、別に、怒ってるわけじゃないんだ。怖がらせたなら、悪かった」

「────それは、わかっている」

「……? わかってる?」

「いやーーー……うーん……なんて言って良いのか~……」

「……?」



 細やかに首を振りフォローするエリックに、今度はミリアが両手を胸の高さまで上げ、首を振り、唸った。


 先ほどまでとは少し、様子が違うトーンに彼女を凝視するが、ミリアは言葉を探している様子。



「…………なに? 言っていいよ」

「………………え~と……」



 テーブルの向こう側。

 瞳を迷わせ、二・三拍。


 ミリアが言葉を探す中、妙に緊張を孕んだ自信の無さが、エリックの中に湧き出して────



「…………えと、”頭いいな”って思ったかな。あと、敵に回したくないな~って」

「…………敵……」

(────敵、)

「──────フ!」



 気まずそうに、苦笑いをしながら言われて吹き出した。

 『なんだ、そんなことか』。胸の内が綻び軽くなり、くすくす肩を揺らし口元に手を当てると、朗らかな笑みをこぼして彼は言う。



「………………”敵”って。俺と君は相棒なんだろ? 君が裏切るようなことさえしなければ、敵になるようなことはないよ」



 ────ああ、安堵が広がっていく。


 キャロラインの言う『怖い』とミリアの言う『怖い』の意味が違った。同じ単語で戸惑ったが、蓋を開ければ全然違った。



(────ああ、一瞬ドキッとした。また何か言ってしまったのかと思った──けど)



 素直に嬉しい。

 身分・立場を知らない彼女が放つそれは、素直に、沁みていく。

 消滅した不安と焦りの代わりに、あたたかく軽やかな気持ちが、胸に広がる中。


 そんな心をまるっきり知らない彼女は、はちみつ色の瞳と口を丸め・首を引くと、試すように聞くのだ。







「おにーさんのこと、『頭いいな』って思ったよね。敵に回したくないな~って」

「………フ! ………”敵”って。俺と君は相棒なんだろ? 君が裏切るようなことさえしなければ、敵になるようなことはないよ」



 修羅場を抜けて一休み。

 英気を養う食事の際中、彼に生まれた不安は砕けて消えた。

 残るのは──囲むテーブルの上、空になったケーキの皿とレモンソーダのグラス。


 ビストロ・ピチューボの一席で、くすくす笑うエリックに、しかしミリアは『じっ』っと見つめ真面目に聞くのだ。



「ほう……わたしがどこかのスパイだったらどーする?」

「────フッ!」



 スパイのボスエリックに向かって聞く彼女に、吹き出すスパイのボス。

 震える腹で返す声に愉快が混じる。



「君が? スパイ? へえ、面白いことを言うんだな?」

「……コイツ……! ばかにしてるー。むかつくー。 わっかんないじゃーん? すぱいかもしれないじゃん」



 知らずに頬を膨らませるミリアに、彼は片手のひらで愉快な頬杖を突いた。


 《────ああ、楽しい》。

 戦略的興奮とも、奮い立つ高揚とも、また、違う純粋な《楽しさ》。


 彼はそれをそのまま言葉に乗せて、からかう様に言うのである。



「────へえ? 君が? 仮にスパイだったとして? いったい何をるつもりなんだ? 我が国の縫製技術? それとも、税収事情? 貴族関係の醜聞しゅうぶんについては、もう嫌というほど掴んでいそうだけど?」


「それ掴んでもなんにもなんない……」

「────フッ! 強敵だな? なら聞き方を変えようか。 ふふっ、『…………可愛らしいスパイのお嬢さん? 君は、何が欲しいのかな? どんな情報が欲しいんだ?』」


「ちょっとー。 その、小さい子に言うような口調やめてくれる~? わたし大人なんですが〜?」

「ううん、そうだなぁ。……試しに、俺の情報でも掴んでみる? さあどうぞ? 本当のことを教えるかどうかは、わからないけど?」


「すっごく楽しそうに話すね? 生き生きしてるね? からかってるの丸わかりなんだけど!? うわぁー! ちょー悪い顔してる!」

「────ははははは……!」



 表情豊かに実況をするミリアに、目元を覆ってさらに笑った。

 《──はあ、楽しい》。

 吐きだした息すらもったいない。

 周りに飛散した『楽しい』を集めるように息を吸い込んで、エリックはひとつ。落ち着きを取り戻して話し出す。



「まあね。そんなことを言ってくるとは思いもしなかったから。カマをかけるなら、もう少しうまい方法を教えてあげようか?」

「……こいつ……!」

 ──ふはっ……!



 目の前で『ぐぎぎ』と歯を見せる彼女に、またひと笑い。


 とても愉快だ。

 こんな会話はしたことがない。


 ──確かにミリアはこの辺りでは珍しい女性だ。

 生まれと育ちが違うのも手伝っているのだろうが、彼女とのやり取りが──いや、他人とのやり取りがこんなにも・・・・・楽しい・・・のは、エリックにとって本当に新鮮であった。


 ──それを踏まえて、エリックは語る。

 深き青を宿した黒の瞳に、穏やかを宿しほほ笑みながら。



「────でも、よく考えたら君がスパイだったら『恐ろしい』かもしれない。……君は、そういうのが得意だから」


「”そういうの”?」

「『人に気に入られるコツ』を持っているよな。『距離が近い』というか。あっという間に心の中まで見透かされそうだ」


「…………さすがにそういう魔法じゅつはないですね……?」

「そうじゃなくて。何度も言ってるだろ?『君は異色だ』って」



 愉快を含めた声色で述べながら、彼が思い出すのは、彼が見てきた『ミリア』の姿だ。



 ナンパから見捨てようとした自分に、靴を投げてきたあの顔。

 その後あっさりと自分を店まで案内した時の顔。

 得体の知れない『花屋の青年』に何度も声をかけにきた時の顔。

 見知らぬ女性を助けるために、場を放り出して駆け出した時の顔。


 それらを頭の中に、彼は『仕方ないな』とくすりとに笑いながら、穏やかに話し出す。



「────まあ、その分危険もあるわけだけど? 君が相手につかまりでもしたら、その時は助けてあげるよ」

「……………………たすけて、くれるの?」



 ぴくんと震えて呟いたその声は、少し戸惑ったような、甘みをふくんだような、まあるく不安定な声で。


 意図せず彼の時間を止めた。




 ────これは、嘘を重ねる男の話。






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