狂操家から戻ったユミは、シャワーを浴びる。頭からひたすら浴びて血液を洗い流す。
何度洗ったところで身に染み込んだ血は落ちる気がしない。表面だけを綺麗にしていく。そんな感覚だ。
シャワーを浴び終えると、綺麗な服に着替えた。これで元通りである。
鏡に映る自分は、朝起きて身支度した時の自分と何ら変わらない。
セーラー服も丁寧に洗った。身につけていた大事なものたちも丁寧に清掃した。
綺麗になったそれらを見て、終わったんだと、ユミは改めて感じて深く息を吐いた。
セーラー服はしっかりと乾いたら、また大切にクローゼットへ仕舞おうと思う。
今後着る事など無いかもしれないが、これはユミにとって大切なものだ。
復讐が完全に終わるまではきっと手放せないだろうなと、何となく感じている。
一通り片付けが終わったため、ユミはbarへと向かった。
傘をさして、相変わらずしとしとと降り続く雨の中を歩いていく。
時刻は16時過ぎだ。朝食べて以降何も食べていない。狂操家で心臓は沢山食べたがそれはそれだ。まともな食事をしたい。
今日は沢山食べたいとそんな気持ちでいる。
barの扉を静かに開けると、テーブル席でシュンレイがいつものようにパイプタバコを吸いながら読書をしている。
いつも通りのチャイナ服だ。
「シュンレイさん。5人前くらい食べられますか?」
「えぇ。余裕でス」
ユミはそれを聞いて安心する。作りたいものが沢山あるのだ。今日はどれだけ作っても許されそうである。
ユミはカウンターの中に入りエプロンを付ける。すると、シュンレイもカウンターの中へと入ってきた。
「私も作りたいものを作りまス」
「……」
もしかするとシュンレイも同じなのだろうか。
ユミは何も言わず静かに頷いた。
いつもならばここで、元気なリクエストがあるのに。
今日は静かだ。
仕方がない。
勝手に作らせてもらおう。
ユミは淡々と手を動かし、作りたい物を作っていく。
たまにシュンレイの手元を見る。何も言葉を交わさずともシュンレイが何を作っているのかが分かってしまう自分に呆れる。
せめて作るものが被らないようにと思うが、その辺はシュンレイがしっかり気を使って調整してくれていたようだ。
シュンレイもまた、ユミの手元を見てユミが作ろうとしているメニューを判断したのだろうと思う。
お陰で全くメニューは被らなさそうである。
そしてしばらくすると、出来上がった料理がテーブルいっぱいに並んだ。
9人前くらいありそうだ。色どりも鮮やかで、軽くパーティが開ける程の仕上がりだった。
「あははっ。本当に何やってんだろ」
「えぇ。全ク……」
改めて見渡してみれば、テーブルに並んだ料理達は、アヤメの好物ばかりではないか。
自分達は一体何をやっているのか。
アヤメはもういないのに。
満面の笑みを浮かべてとろけながら食べてくれるアヤメはどこにも居ないというのに。
「パカッとやるの見ててくださいね!」
「えぇ」
ユミはオムライスに乗せられたプルプルのオムレツにナイフを入れる。するとオムレツは綺麗に裂けトロトロの状態でケチャップライスの上に広がった。大成功である。
「お見事でス」
「えへへ。練習しまくりましたからねっ!」
ユミはドヤ顔で答えた。アヤメのために、シュンレイの指導のもと、深夜まで練習した記憶が蘇る。
なかなか上手くいかずに苦戦した。その甲斐あって、オムライスを作る度に、アヤメには何度も喜んでもらえた。
「暖かいうちに食べましょウ」
「はい」
ユミは笑顔で答えた。
カウンター内でシュンレイはビールを用意している。今日も相変わらずお酒を飲むようだ。
「ユミさんは、リンゴジュースですカ?」
「勿論です!」
ユミはリンゴジュースが注がれたジョッキをシュンレイから受け取り席に着いた。
シュンレイもユミの正面の席に座る。
「乾杯」
「乾杯です」
シュンレイとグラスを当て鳴らすと、カンッと軽快な音が響いた。
ご馳走は、食べたいものを取り皿に好きなだけとって食べる形式だ。
シュンレイが作った料理は相変わらず美味しい。お肉料理ばかり並んでいて全てがボリューミーだ。
「美味しいですネ」
「はい。全部美味しいです。美味しいに決まっています。何度も作ったんですから……」
何度も何度も。試行錯誤しながら、アヤメのために作ったのだ。美味しくないわけがない。
アヤメが喜ぶ顔を見たくて隠れて研究もした。そんな記憶も蘇る。
他愛ない話をしながら、2人で肉料理を楽しんだ。シュンレイは本当に5人前を食べそうだ。体が大きいので沢山食べられそうだなとは思ってはいたが、実際に目の当たりにすると少し驚く。
いつも一緒に食べる時は足りていたのだろうか。アヤメやユミと同じ量で大丈夫だったのかと心配になる。
一方のユミも今日は3人前くらいなら余裕で食べられそうだなと思う。昔は少食で1人前すら食べられない時があった。今では考えられない。今ではもりもり食べる子になってしまった。食いしん坊などと言われるのだから、相当な変化だなと思う。
しばらくすると、殆どの料理を食べ終わってしまった。まさか2人で食べられるとは思わなかった。
空腹も落ち着いたところで、シュンレイは静かに日本酒を飲み始めたようだ。ユミもペースを落としてゆったりと食べ続ける。
「5番目の香水ってどんな効果なんですか? とても落ち着くような気がします」
「えぇ。その感覚は正しいでス。効果は怒りを沈める物でス。平常心を保つために使用していまス」
「やっぱりそうだったんですね……。六色家で正気に戻れたのはその匂いのおかげだろうなって思ってました」
5番目の香水の香りを嗅ぐと狂気が収まるような気がしていた。今日もこの香りで落ち着くことができたのだろうと思う。
そして同時に、シュンレイも怒るのだなと感じた。表情もオーラも言動も何も変わらないが、ちゃんと怒っていたのだと気付かされる。
六色家にユミが捕まった時もシュンレイは怒っていたのだ。そして今日だってそうだ。腸が煮えくり返るような思いだっただろうと思う。
それでもこの人は全く動じた姿を見せなかった。ユミが当たり散らした時だって表情ひとつ変えなかった。相変わらずとんでもない人だなと思う。
「当主に言われた事……。報告しなきゃですね」
ユミは
情報としてシュンレイにはいくつか伝えるべきだろう。
「カズラは呪詛が掛けられた臓器を食べたそうです。そして、正気を保つことに成功したそうです。今後更に呪詛を取り込んだ場合強くなる可能性があると言っていました。また、カズラは複数人の部下を連れてラックの所へ行ったそうです。部下のうちの重役5人、この5人がアヤメさんの呪詛を発動するのに同意した人間だそうです」
「成程。カズラとその5人を殺さなければなりませんネ」
シュンレイは日本酒を飲みながら考えているようだ。
「直ぐに殺しに行くのは現状厳しイ……。暫くは我慢でス」
「分かりました」
「当分の間は裏社会に喧嘩を売っタ方をどうにかしましょうカ。これから忙しくなりまス」
「はい」
覚悟は出来ている。
一体何をすれば良いのかは分からないが、やる事が沢山あるのだろうなと思う。
「ユミさんは、まずはランクを上げましょウ。今日からAランクでス。ランクを上げルには一定の数をこなす必要がありますのデ」
「了解です!」
ランクを上げなければ重要な仕事に1人で向かわせて貰えない。頑張っていかなければと思う。
ふと、シュンレイがじっとユミの事を見ているのに気がついた。
何だろうか。何かおかしな事をしているだろうか。
「ユミさん。大丈夫ですカ?」
「へ?」
「無理は良くありませン」
「……」
やはり自分は無理をしているだろうか……。
正直よく分からない。少なくともシュンレイには無理しているように映ったのだろうなと思う。
ユミは俯いた。
大丈夫なのだろうか。
いや、全く大丈夫では無いだろう。
大切な人を失ったのだ。大丈夫な訳が無い。
でもそれでも笑っていて欲しいとアヤメにお願いされたのだ。
皆を元気にして欲しいと託されたのだ。
だから何とか笑っていたい。俯いていてはダメだ。
そう思って顔を上げた。
しかしユミは笑うことが出来なかった。
代わりに涙が溢れてしまった。
「あ……」
涙はどんどん流れる。決壊したように流れ出す。
拭っても拭っても止まらない。ぽろぽろとどんどん溢れてくる。
「泣きたい時は泣きなさイ。笑いたい時に笑いなさイ。無理した笑顔などユミさんらしくありませン」
「はい……」
嗚咽まじりにユミは泣いた。
悲しくて悲しくて寂しくて辛くて。
アヤメはユミの支えだった。
いつだって寄り添ってくれて元気をくれた。
あの温もりにどれ程救われたのだろうか。
何度救われただろうか。
シュンレイはただ静かに、ずっとそこにいてくれる。
日本酒を飲みながら静かにそこにいてくれる。
「私は泣く事ができませン。そういう体質でス。私の代わりに泣いてくださイ。私も救われまス」
「はい……」
ユミは静かに泣き続けた。