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第15話「もっと成果を」

「お二人とも、元気そうで何よりです!」

「アセロラほどじゃないよ…」

「本当にね…どうしたのよ気持ち悪い」

 翌日、私と絵里花は再びカフェ…エージェントの仕事について話すときに使う予約室に呼び出され、昨日の今日でまた面倒な仕事が発生したのかと若干気を引き締めていたら。

 部屋に入るとやけにつやつやとした顔の美咲さんがいて、私たちに対して珍しく元気な挨拶をしてきた。さすがに絵里花みたいに歯に衣を着せぬ指摘はできないけど、まあ…少しだけ、調子が狂うとでも言うべきか。

 けれども美咲さんはそんな指摘に対しても「女性はね、愛という栄養によって輝きを取り戻すのです」なんてロマンチックなようでそうでもない返事をした。

「ああ、今日は表の仕事の話なので、そんなに気を張らなくていいですよ…いえ、やっぱり多少は引き締めたほうがいいでしょうか?」

「あ、そうなんですか…でも、そっちはそこそこ成果を出していたと思うんですけど」

「ええ、そうね…学校では仲良く過ごしているつもりだし、SNSでも反応は悪くないし、少なくとも問題はないと思うんだけど」

「ええ、今のところ大きな問題はないでしょう…ですが、現状維持だけで十分とも言えません」

 エージェントの仕事ではないということで私は話し方を戻し、そのまま肩の力も抜く。絵里花も纏っていた雰囲気がわずかに緩んで、そのまま店長が出してくれたコーヒーを飲んでいた。

 このお店では客を飽きさせないようにブレンドコーヒーはその日ごとに違う銘柄を使っているみたいで、今日はほんのりと酸味が強めだった。

「まあ単刀直入に申しますと…研究所的には関係の進展が想定よりも遅いらしいので、もっと成果を出すように努力してほしいわけですね」

「そうかなぁ…私たち、かなり仲良く過ごしているつもりだけど」

「ええ、私たちのように親しい人しかいなかったり、二人きりになればかなり仲睦まじく過ごしていると思います…ですから、そういうのをもっと世界に知らしめてほしいと考えているのでしょう」

「二人きりのときみたいに…そ、そんなの見せられないわよ!」

 美咲さんは上機嫌にコーヒーを飲んでいたけど、その指示内容については結構遠慮がなく、包み隠さずにやるべきことを伝えてきた。それでも押しつけがましい感じがないあたり、この人の穏やかな人柄はなんだかんだで監視役や連絡役に向いているのだろう。

 けれど絵里花は私と二人きりのときの態度を思い出し、顔をかあっと赤くして文句を言った。絵里花はたしかに私といるときは素直で甘えても来るし、その姿は可愛いとは思う…けど、照れ屋な彼女がそれを周囲に見せたがるとは思えなかった。

「…あれ? もしかして絵里花さん、二人きりのときは『とても人には見せられないこと』をしてたりします? さすがにそこまで見せろとは…」

「ちょ、変な勘違いないでよ! 円佳はあんたと違って真面目でふしだらじゃないし、私のことを大切にしてくれてるんだから!」

「ええと、私も…そういう人に見せられないことをしてるわけじゃないんですけど、あのときの絵里花はあんまり周囲に見せたくなくて…」

 絵里花の言葉ににんまりと笑い、一応は仕事の話をしているというのに美咲さんは軽く茶化した。もちろん絵里花がそれを軽くあしらえるわけがなくて、顔を真っ赤にしたままプリプリと反論を続ける。

 彼女の言うとおり、私と絵里花の間にやましいことは一切ない。自分が真面目かどうかはさておくとしても、絵里花とは年齢相応──ただし基準は私独自のものだ──の健全な交際をしていて、さすがにあの研究所であっても『ふしだらな恋人的行為』を強要することはないと思いたかった。

 …それと、上手く言えないけれど。

 私にだけ甘えてくれる素直な絵里花の姿というのは、周囲に見せびらかしたくはなかった。なんだろう、この気持ち…。

(…自分だけの宝物を、鍵付きの机の引き出しに入れておきたい…みたいな?)

 いまいち色気のない比喩しか思いつかないあたりが実に私らしいけど、でもほかにたとえようがないのも事実だった。

 抱きついたり弱音を吐いたりしてくれる姿を私以外にも見せたと考えたら…それは宝物に手垢をつけられたときのような、決して小さくない不快感があったのだ。

「まあそうでしょうし、さすがに研究所も公序良俗に反するような姿を見せろとは言わないでしょう…多分」

「言ってきたとしたらモルモットなんてやめてやるわよ!…もちろん、円佳も一緒に!」

「…そうだね、うん。私だけが見世物になるんなら仕事だって割り切れるけど、さすがに絵里花まで苦しめるのなら…」

 苦しめるのなら、どうすると言うんだろう。

 私は美咲さんを信じているけれど、彼女には監視役という役割があるのも事実で、これ以上の反抗的な言葉を吐くとこの人にも余計な負担をかけてしまう気がして、なんとなく続きは言えなかった。

 幸いなことに美咲さんの調子は変わらなくて、私たちをいさめる様子は一切なかった。

「まあまあ、お二人とも落ち着いてください。研究所が言いたいのはですね、『もっと仲良くなれば自然とそれらしい雰囲気が出る』と言うことなのだと思いますよ…たとえばですね…」

 んー、と美咲さんは右手人差し指を自分の頬に軽く当てて、いかにもなにかを考えているような仕草をとる。それは私と絵里花をクールダウンさせるための演技なのか、もしくは本当に考えを整理しているのか、同じエージェントである私たちにも判別が困難だった。

 一つはっきりしているのは…この人くらい美人だと、そういうありきたりな仕草もやけに絵になってしまうこと、くらいだろうか。

 …まあ、私にとっては絵里花のほうが可愛いけど。

「私、実は昨日…結衣お姉さんの家にお泊まりしたんですよ」

「は? それがどうしたのよ? というか、また結衣さんに迷惑をかけたの? いい加減お金の使い道くらいきちんと…」

「いえ、ですから『結衣お姉さんの家で一緒に寝た』んですよ。さすがにここまで言えばわかります?」

「……!? なっ、なんでそんなこと教えるのよ!?」

「絵里花落ち着いて…それと美咲さん、私たちもまだ高校一年ですから、あんまりそういう話は…」

 いろいろと考えた結果、美咲さんは…結衣さんとの『恋人の時間』について暴露した。とはいえ、最初の言葉だけでは絵里花もその意味を理解しかねていて、より露骨に教えてきた結果。

 ピュアな絵里花でもようやく把握して、テーブルをバンと叩きながら立ち上がり、38度くらいの熱を出しているような赤い顔で怒鳴った。ここが防音を施されていなかった場合、下にいる客たちもびっくりしたかもしれない。

 ちなみに私は『お泊まりをした』という言葉の時点で若干察していたけれど、『一緒に寝た』という表現によって「顔がつやつやしていたのはそういうことか…」と理解をより深めてしまった。

 …理解はしたとしても、なんでそれを今話すのかはわかりかねるけど。

「もちろんただの惚気ではありませんし、セクハラでもありませんよ? でも、今日の私を見てお二人も気づいたはずです…普段よりも幸せそうで、血色もいいのを」

「それはそうですけど…やっぱり、意味はわかりかねるのですが」

「恋人たちというのはですね、仲良くなればなるほど過ごす時間も意味が深いものになっていって、そして表に出てくるものなんです。そう、私と結衣お姉さんほど『仲良し』だと…もう誰が見てもラブラブだとわかるでしょう?」

「ああ、なるほど…?」

 恋人として深い仲になればなるほど、それが表に出て仲良しなカップルに見えてくる…つまりはそういうことだろう。

 たとえば私と絵里花、美咲さんと結衣さんが一緒に並んでいた場合、より深いつながりがあるように見えるのは後者だと言いたいんだろう。私たちは因果律で定められているから、そのバイアスがかかって見えることはあるかもしれないけど。

 逆に言えば『因果律で結ばれているはずなのにそうでないカップルに負けている』と疑われる可能性があるわけで、それは研究所としても避けたいのかもしれない。

 だって、私たちは…因果律を操作されて非常に相性のいいカップルとなった、CMCなのだから。

「だ、だからって! 円佳と、その…セ…で、できるわけないでしょ!」

 美咲さんの言葉を真に受けて行動する場合、絵里花が言いかけた言葉…『恋人同士であれば行うはずの行為』を実行することで、私たちは変われると言えるだろう。

 …まあ、そこまですれば変わるのは当たり前だ。その行為についての知識はちゃんとある──ただし実務経験はない──し、それの意味するところは手をつなぐとかハグをするとか、そういうのとは比較にならないほど大きい。

 だから実行すれば関係が変化するなんていうのも当然だけど、いくら何でも性急すぎる気がした。

 私ができるかどうか、したいかどうか、そういうのはこの際全部端っこに置いておくけど。

「もちろんそこまでしろなんて言いませんし、さすがに研究所がそういう命令をしてきたら私だって物申します。ですが…お二人の行動を見させてもらった立場から言わせていただきますと、『恋人ではあるけどすごく仲良しな友達にも見える』とも評価できます」

「なっ…そ、そんなこと、私は…」

「…そう、なのかな」

 私たちは学校ではきちんと恋人同士として認識されていて、SNSでも仲睦まじいと褒められることが多い。

 ただ、美咲さんの指摘に思うところはあった。というのも、学校内にも『恋人ではないものの非常に仲のいい女の子たち』はいて、そういう子たちは日常的にハグをしたり、手をつないで登下校をしていたりした。

 それは普段の私たちの振るまいと似ていて、違いがあるとすれば『明確に恋人だと宣言しているかどうか』といったものだ。これは同性のパートナーがいる人間であれば当たり前のように突き当たる、決して消えるのことないバイアスの一つだろう。

 言葉にしないとわからない、二人の関係。でも言葉はいくらでも偽ることができて、私たちの関係ですらある意味では作り物であって、もしかしたらそういう胸の奥にある冷たい炎がいまいち恋人っぽさに欠けていると判断される要因かもしれない。

 これまでは威勢よく反論を続けていた絵里花ですら押し黙り、私も自問自答を繰り返すことしかできなかった。

「私個人の意見を言わせてもらえば、お二人にはゆっくりと自分たちの関係を探してもらいたいです。ですが、それでは遅いとヤジを入れてくるロマンのかけらもない連中だっているのを忘れないでください…ひとまず私と結衣お姉さんみたいにラブラブな感じが表に出てくるよう、普段の過ごし方を見直してみるといいですよ」

「…了解しました。私たちも少し気を抜きすぎていたかもしれません。恋人ってなんなのか、絵里花にどうやって向き合えばいいのか、もう少しだけ努力してみます」

「円佳…わ、わかったわよ。できることとできないことはあるけど、恋人が頑張るのだから…私だって、やってみせるわ」

 ロマンのかけらもない連中、というのは言い得て妙だろう。

 研究所の人間は私と絵里花を研究の成果として仕立て上げたくて、そこにある葛藤なんてさほどの興味もないんだろう。清水主任とばかり話していると忘れそうになるけど、あそこはそういう場所だ。

 そして、美咲さんも相当に苦労しているんだろうと思う。最後はいつも通り軽薄な言葉で締めたけれど、監視役としてはあまりにも鋭さがない言葉で私たちに発破をかけてくれるのは、彼女にできるギリギリの配慮なんだろう。

 じゃないと…恋人との大切な時間を持ち出してまで、私たちの背中を押さないだろうから。

 …いや、ただ単にのろけたいっていうのもあるのかな。結衣さんのことを話すときだけ幸せそうな顔をする美咲さんを見ていたら、そういう自慢したいという気持ちも『恋人らしさ』ってやつなのだろうか?

 私と絵里花はわからないことをたくさん抱えつつも予約室を後にして、そしてせめてもの抵抗をするために手をつないで店を出た。


 *


 二人が部屋を出た直後、美咲は連絡用の端末を取り出して操作する。

 研究所との連絡に使うメッセージ機能は厳重な暗号化が施され、万が一流出しても復号は極めて難しくなっている。一般的に広く使われているメッセージアプリは常に監視されているため、円佳たちが使うことはほぼなかった。

「…『円佳と絵里花の進捗は今ひとつ、場合によっては【因果の園】に戻して保護すべき』…」

 自分で入力した文章を復唱し、美咲は考える。

 彼女たちが育った場所…『因果の園』は社会から隔絶された場所で、ある意味では日本で最も安全なエリアだ。

 一方、常に研究所に監視下に置かれており、そこに暮らす子供たちは一定の成果を常に求め続けられる。それが出せなかった場合…と考えて、美咲は自嘲するように笑った。

「…研究所の外にいても、中にいても、私たちは変わらない…ですね」

 ようやくあそこから出てこれた円佳と絵里花は、それでも研究所の影がつきまとっている。そして自分は研究所の意向に従って彼女たちを監視し、相応の成果が出るように管理せねばならなかった。

 同時に、進捗状況についても正確な報告が必要であり、今現在入力している文章はエージェントとしては正しいものだろう。

「…『円佳と絵里花はエージェントとしての仕事をそつなくこなしているため、CMCとしての成果を焦って研究所に戻すことは貴重な戦力を喪失することになる』…うん、こっちのほうが適切ですね」

 美咲は先ほどのメッセージを消去し、再度打ち直す。

 そうだ、この世界はどこにいても円佳と絵里花に使命を課し続ける…それならば。

(あの子たちには少しでも研究所から遠い場所で過ごしてもらって、小さな頃と変わらない純粋さで、ゆっくりと関係を進めてほしい…まあ、これくらいの意思反映は正当な業務判断ですね)

 研究所から物理的に多少遠いこの街で、CMCでもエージェントでもなく、『円佳と絵里花』として生きてもらえたら。

「…お二人は、私みたいになっちゃダメですよ。美咲お姉さんとの約束です」

 美咲は感傷的にそうつぶやき、メッセージを送信した。

 そして一瞬だけ自分の過去に思いを馳せ、すぐにそれを忘れるために結衣へとメッセージを送った。


『今日もお仕事を頑張ったので、またおうちに行ってもいいですか?』

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