私たちが通っていた学校施設、それらは『因果の園』と呼ばれている。因果の園では私たちのようなCMCが育成されていて、主に身寄りがなかったり優れた素質があったりする子供を引き取って育てていた。
一般教養としての授業はもちろんのこと、成長するに従って戦闘訓練も施されるようになり、優秀な成績を収めたペアは私と絵里花みたいなエージェントとしての仕事もこなすようになる。もちろん難しい仕事をさせられるほど見返りも大きくはなるけれど、ときに命の危険性があると考えた場合、それに見合っているかどうかは今となってはコメントしにくい。
私は物心がついたときからここにいて、幼い頃は比較的フレンドリーで誰とでも仲良くなれていたと思う。因果の園では主にパートナーとなる相手と過ごすことが多いのだけど、ある程度の社会性を身につけるためなのか、同じ境遇の相手との交流はそこそこあった。
だから昔のことを思い出そうとすると、絵里花以外にも楽しく過ごしていた相手は何人かいたような気がして、そういう人たちと笑い合っていた光景がなんとなく浮かぶ。でもそれらは絵里花との思い出に比べるとどうにも薄く、料理に使う隠し味と同じくらいの存在感しかなかった。
そう考えると、研究者の人たちのほうがまだ記憶に残っている気がした…悪い意味で。幼い頃の私は周囲に対する疑心というものが当然のようになくて、絵里花ほどの人見知りでもなかったからか、研究者たちの『検査結果はどれも優秀だ』とか『適性が高いから将来が期待できる』という言葉にも笑顔で頷いていた…かもしれない。
そして私にとって、運命の日が訪れた。
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ある日、私は後天的に因果を作るための処置が施された。因果律は本来であればもっと年齢を重ねないと検出ができないはずだけど、CMCは小さな頃から操作することで早い段階で理想的な人生を歩めるようになる…という名目で、私の因果は書き換えられた。
その技術は『
この際に用いられるのはナノバイオ技術の結晶であるナノロボットで、血管内を移動できるほどの極小サイズのロボットを体内に入れ、それを操作してピンポイントで遺伝子を改変して新しい因果を形成、切開といった手術を行わずに因果律を操作できるのだ。
かくして私は操作された痕跡を感じ取ることもなく絵里花との因果を体内に形成され、それから程なくして同じ処置がされたであろう絵里花と出会った。
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今でこそ負けん気の強い意地っ張りな絵里花だけど、昔は引っ込み思案でしかも人見知りだったから、小さな頃から私以外に親しい相手がいなかった。研究者たちに対しても同じように振る舞っていたことで、勉強などの成績はよくともその扱いには困っていたらしい。
一方で、私は運命の相手と紹介されたこの子を一目で気に入って、植え付けられた因果に従うように絵里花と仲良くなろうとした。絵里花はそんな私に戸惑うこともあったけど、この子としては比較的早く打ち解けてくれて、気づいたらよく笑うようになってくれた気がする。
無論、そんな私たちの様子には研究者たちも満足していたのか、これまた『やはり因果の影響は大きい』とか『これから生まれてくるすべての子供に適用できるようになれば、優れた遺伝子だけが残せるようになる』とか、今思うと本当に私たちはモルモットだったのだろうなと熱が失われた心で思いだしていた。
ただ、そんな研究者たちの中でも…どうしても悪く思えない人もいた。
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『あなたたちは因果で定められた、結ばれることで幸福が約束された存在なの』
その人…昔は一般の研究者だった、若き頃の清水主任は優しい声で私と絵里花に語りかけてくれた。
私と絵里花の担当になったと思わしき主任は、まるで家族のような年上女性…私たちにとっては、どこか母親を感じさせるような立場の人だったと思う。
母親がいないことが当たり前の環境で育った私はそもそも寂しいとは思っていなかったけれど、人間としての本能がそういうポジションの女性を求めていたのか、主任と会えるときはなんだかんだで甘えていた。
抱きついたり、手を握って一緒に歩いたり、今思うと「研究者としての仕事を邪魔したかもしれない」とは感じるけれど…思い出の中の彼女はいつも微笑んでいて、その笑顔は年齢を重ねた今の表情とぴったり一致していた。
『…いつかあなたたちが大きくなったとき、「因果があってよかった」って言ってもらえるよう、私も頑張るから』
いつも微笑みを浮かべていたような気がする主任でも、やっぱり研究者としてたくさんの苦労を重ねていたらしい。
時々遠い目をしたり、少しだけ泣いてしまいそうな表情をしたりして、そして幼すぎた私たちにはわからない深淵を見たように、ほの暗く口にすることがあった。
今の私ならその意味がわかるかな…なんて思い出してみたけれど、やっぱりわからなかった。ただ、清水主任は研究に忙しいはずなのに私たちのこともこまめに見てくれて、その献身にはさすがの絵里花ですら心を開いていたように思う。
幼い頃の記憶。それは今思い出すとあまりにも無機質で、温かみとは真逆の、ノスタルジーを引き起こすには奇妙なまでに不自然な白さを伴っていたけれど。
絵里花と、そして主任と出会えたこと。その二つを懐かしめたことに関しては、このリストバンドに感謝してもよかったかもしれない──。
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「──みたいな感じだっけ。絵里花、覚えてる?」
「ええ、なんとなくは。私、研究所にはあまり近づきたくないんだけど…主任の顔を見るためなら、まあ。毎月の検査もギリギリで許容できるかしらね」
リストバンドを指先でもてあそびながら、部屋に置かれた座布団に座って私たちは回想していた。
そして予想通り、絵里花も主任のことを話すときはわずかに無邪気に、そして嬉しそうに顔を緩めている。もしも私たちの担当が清水主任でなかった場合、絵里花はもっと荒れていたかもしれなかった。
「ふふ、そうだね…でも、主任の『因果があってよかったって思ってもらいたい』って、どんな意味があったんだろう?」
「さあ、私にもよくわからないけど…で、でも私は、円佳との因果があってよかったと思ってるわよ。だからこそ、CMCの仕事もちゃんとこなしたいって考えてる…」
「…そっか。私と絵里花、もう主任の願いを叶えているのかもね」
主任はまだ年老いたと表現するにはあまりにも若くて、私たちが小さな頃だって若者と表現していい年齢だったと思うけど。
それでも倍以上の年月を生きてきた人の言葉は山の頂上のように高く、同時に谷底のように深く、まだ私たちでは到達できない場所にある気がした。
それでも…照れながら私との因果を受け入れてくれている絵里花を見ていると、私たちは主任の願いを叶えられているのかもしれない。そう思える。
そんなふうに考えられたら、私の顔は緩んでしまった。
「…そうだといいけど。でも多分、私は足を引っ張っているから…主任のためにも、いや、自分のためにも…円佳といられるよう、頑張らないといけない」
「え? 絵里花…?」
しかし緩む私とは裏腹に、リストバンドを見つめる絵里花の瞳はわずかに伏せられ、そして谷底へ手を伸ばすように小さくつぶやいた。
それを見た私は…なぜだかまた『懐かしい』という気持ちがわき上がり、その答えを求めるように彼女を呼んでみたけれど。
「…ごめんなさい、変なことを言ったわね。そろそろ私の部屋の片付けを始めましょうか」
「あ、うん…」
絵里花は決して言葉の真意を語らず、無理浮かべたような笑顔で立ち上がったら私へと手を差し伸べてきた。単純な私はそれに触れるとすぐに絵里花のぬくもりに絆されて、あっさりと「まあ本当に大事なことなら言ってくれるよね」なんて考えて立ち上がる。
絵里花の部屋へ行く前に私はリストバンドを机の引き出しに放り投げておき、いつかまたこれが必要になる日なんて来るのだろうかと思いつつ絵里花の背中を追った。