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第5話

プライベートでは俺様宇佐神様でも、会社ではジェントル宇佐神課長なわけで。


「宇佐神課長ー。小山田おやまだ部長がまた、モデルとの飲み会をセッティングしろとか言ってくるんですー」


困り果てた様子で泣きつく若手男性社員に、課長は苦笑いしている。


「わかった、俺からちょっと言っておく」


「よろしくお願いします!」


男性社員は宇佐神課長を拝んでいるが、その気持ちはよくわかった。

小山田部長はよくも悪くも昭和の人で、いまだにバブルの感覚が抜けないのだ。

しかし、快く引き受けた宇佐神課長の笑顔には「面倒なことを押しつけるな」と書いてあるのが私にははっきりと見えた。

誰もそれに気づかないなんて、なんて完璧な猫かぶりなんだろう。


「宇佐神課長。

特番スポンサーの件ですけど……」


一件片付いたかと思ったら、すぐに次は中堅どころの女性社員が相談に来る。


「はい、じゃあそれはそのようにお願いします。

……ところで」


顔を上げた課長は真っ直ぐに彼女と目をあわせ、心配そうに眼鏡の下で眉を寄せた。


「顔色が悪いですよ。

昨日までお子さんの体調不良で休んでましたし、あまり寝てないんじゃないですか」


「そう、ですね」


女性社員は課長の言葉に若干、驚いているようだ。


「でも、大丈夫……」


「請求書作りとかの雑用はこっちに回してください。

それで今日は、定時で帰ってください」


彼女に全部言わせず、課長が口を開く。


「今週はご迷惑をおかけっぱなしなのに、これ以上は!」


完全に彼女は恐縮しているけれど。


「これで無理をして、あなたに倒れられても困ります。

それにお子さんも病み上がりで、まだ心細いでしょう?

今日は早く帰って土日はゆっくり休んで、万全の状態で月曜、出てきてください」


目尻を下げてにっこりと課長が微笑む。

それを見て女性社員……だけじゃなく、まわりの女性スタッフもぽっと頬を赤らめた。


「あ、ありがとうございます。

では、お言葉に甘えて……」


「はい」


気を遣わせないように優しく微笑み、課長は彼女の頼みを聞いている。

本当にいい上司だ。

――っていうのは、演技なわけで。

きっとあれの本心は、「倒れられてさらに仕事が増えるのは困る」だろう。


「うっ」


女性社員が去っていった直後、宇佐神課長から社内メールが届いた。

それには恐ろしいほどの指示が書いてある。

課長席の彼を抗議の目で睨んだが、彼は素知らぬ顔で目を逸らし鞄を掴んで立ち上がった。


「じゃあ、私は外回りに出てきますので、あとよろしく頼みます」


私の席の後ろを通る際、彼が肩をぽんぽんと軽く叩く。


「頼りにしてるぞ」


小さく囁いて彼は出ていったが、あれを訳すと「これくらいできるだろ」だ。

私も彼の正体を知らなければ、あの宇佐神課長に頼られているとやる気になれたのに。


今日も遅い時間まで残業していたら、外回りからようやく宇佐神課長が帰ってきた。


「なんだ、まだいたのか」


意外そうに言われ、ブチッとこめかみの血管が切れた気がした。


「お言葉ですが宇佐神課長こそ、こんな時間にお戻りなら直帰なさればよかったのでは?」


私の声は嫌みがかっていたが、仕方ない。

だって本当に、嫌みだし。

私もそろそろ帰ろうかと思っていて、他に残っている人間はもういない。


「そーだな、ちょっと忘れ物してさ。

これがないと週末、安心して過ごせない」


そう言って彼が少し持ち上げて見せてきたのは、小さなシロクマのぬいぐるみだった。

今まで気づかなかったがもしかして、課長はあれと一緒に出勤しているのか?


「連絡くださればお届けしたのに。

……お、お隣ですから」


なんとなくとなりと言うのが気恥ずかしく、少ししどろもどろになってしまう。


「んー、そーだなー」


大事そうに彼はそれをバッグにしまい、軽く伸びをした。


「そろそろ七星も帰るだろ?

一緒に帰ろう」


私の顔を見てにぱっと人なつっこく彼が笑う。

仕事中とは違うプライベートなその顔に心臓が一瞬、とくんと甘く鼓動した気がした。


「えっ、あっ」


「ほら、早く帰る準備しろ」


私の気持ちなど知らず、彼が急かしてくる。


「早くしないとおいて帰るぞー」


「えっ、ちょっと待ってくださいよ!」


慌てて片付けをしながらふと思う。


……別において帰られたところでなんの支障もないのでは?


「ほら。

早く、早く。

あと一分でさらに残業代つけないといけなくなるだろ」


腕時計を見ながらさらに急かされ、ああ、そういう理由かと納得した。


今日も最寄り駅を出ながらあたりをうかがってしまう。

数日前に感じた視線は、あれからずっと感じ続けていた。


「どうかしたのか?」


そんな私を怪訝そうに宇佐神課長が見下ろす。


「あ、なんでもないです、なんでも」


曖昧に笑って誤魔化し、歩き出す。

今日もあの視線を感じた。

気のせいだと思いたいのもあって、確認する勇気はない。

けれどこのまま、また怯えて暮らして引っ越さなければならないのかと気が重くなった。


一刻も早くここを離れたいのに、課長が歩き出す気配がない。

二歩進んだところで振り返ると、彼はなぜか斜め後ろを見ていた。


「ふぅん」


ひと言小さく漏らし、彼がようやく足を踏み出す。


「どうかしたんですか?」


「ん?

いや」


課長は笑って誤魔化してきたが、なにかあったんだろうか。


「コンビニ寄ってもいいですか?」


「いいけど」


了承の返事がもらえたので、少し歩いてコンビニへ入る。

今日は明日、休みなのとここしばらくのストレスを晴らしたくてサラダとおつまみになりそうなお惣菜をいくつか選び、お酒コーナーの前に立つ。


「なあ」


「ひっ」


唐突に肩越しに宇佐神課長が顔を出し、悲鳴が出た。


「このあいだもコンビニ弁当買ってたけど、もしかして毎日なのか?」


「え?」


なにが言いたいのかわからず、課長の顔を見る。


「今日は遅くなったからで、別に……」


「そうか?

オマエんちのゴミ、弁当容器が多いから気になって」


「うっ」


朝、出勤時間が重なって一緒に出ることが多ければ、そのときに出しているゴミも知っているわけで。

しかも指定ゴミ袋は半透明だから、中身は丸わかりだ。


「えっ、あっ、いや、ここ最近忙しかったからで……」


きょときょとと視線を泳がし、だらだらと変な汗を掻いた。

宇佐神課長の指摘通り、私の毎日のごはんは買ってきたお弁当だ。

早く帰れた日はスーパーの半額弁当、もう閉まっている遅い日はコンビニ。

正直、料理はあまり得意ではない。

けれどそれを知られるのは、なんか嫌だった。


「ふぅん。

ま、いいけどさ」


やっと課長が冷蔵庫の扉を開け、ビールを二本掴む。

それを自然な動作で私が持っているカゴに放り込んだ。


「えっと……」


それを、なんともいえない気分で見下ろす。


「ほら、オマエも早く選べよ」


「あっ、はい!」


慌てて目についた缶酎ハイをカゴに入れ、レジへと向かう彼のあとを追う。

しかしお弁当コーナーの前で唐突に足を止めるから、ぶつかりそうになった。


「えっと」


棚を一瞥した彼はカゴに手を突っ込み、入っていたお惣菜などを棚に戻していった。


「あの……」


半ば抗議を含め、課長を見上げる。


「今日は買わなくていい。

というか、これから俺が食わせてやる」


「えっ、あの!」


私の手を掴み、彼が強引にレジへと歩いていく。

私が戸惑っている間にさっさと会計を済ませ、取り出した紺色のレジバッグに買ったものを入れて持った。


「なにが食いたい?

といっても今日はあるものでしかできないが」


また私の手を掴み、課長は店を出ていく。


「その!

作っていただくとか!」


「いいの、いいの。

それで、なにが食いたい?

苦手なものとか、食べられないものとかはあるか?」


私にかまうことなく課長はどんどん歩いていった

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