「情報漏洩の問題を起こした時点で、切っておけばよかったんだ!」
部長は部署へと戻りながら怒っているが、確かに彼の言うとおりだ。
あのとき、情けなどかけずに切っていれば、こんな問題は起きなかった。
でも、本当にそれでよかったんだろうか。
自分に問いかけてみる。
ここ最近の彼女はとても素直で、あれ以前とは比べものにならないほど態度もよくなった。
それにやはり、彼女の発言の影響力は大きいのだと今回の件で再確認した。
もうすでに、彼女の批評に追従する意見がいくつも出てきている。
これが批判ではなく賞賛だったら?
――間違いなく、売れる。
「井ノ上くん。
さっさと彼女から事情を聴取して、報告書を出して。
ああ、専務はああ言っていたが、あの動画は削除して謝罪動画を流すように言って。
じゃ、頼むよ!」
バン!と大きな音を立てて部長室のドアが閉まり、その前に龍志とふたりで取り残された。
「……とりあえずいろいろ整理するか」
「そうですね」
彼に同意し、打ち合わせブースへと向かった。
「待たせたな」
私を先に行かせ、あとから来た龍志はカップをふたつ持っていた。
「ほら」
そのうちひとつを私に渡し、彼が目の前の椅子に座る。
「えっ、こんなの私がしましたよ!」
「別にいい。
専務と話して疲れただろ」
なんでもないように言い、持ってきたタブレットをテーブルの上に置いて彼はカップに口をつけた。
「ありがとう、ございます」
私も口をつけたカップの中身は、ミルクと砂糖を入れたコーヒーだった。
砂糖とミルクくらいなら個人の好みを把握していてもそこまで驚かないが、私が疲れたときによく飲む、ミルク多めで少し砂糖を入れて甘くしたコーヒーとかこんな細かい好み、なんで知っているんだろう?
驚きだ。
「しかし、七星がCOCOKAさんを庇うとか、意外だったな」
カップを置いた龍志が苦笑いを浮かべる。
「そうですね」
私だって専務に意見しながら、なんでこんなに熱くなっているんだろうとは思った。
でも、なんとなく放っておけないというか。
それに今回の件が問題になっていると知れば、謝罪してこちらの要望どおり彼女がやってくれる自信がある。
「彼女がこんな目に遭っていい気味、とか思わないのか」
意地悪く彼が、にやりと笑う。
「思いません」
姿勢を正し、真っ直ぐにレンズ越しに彼の目を見た。
「仮に、彼女が最初のまま変わらず、傲慢な人間のままだったとしても、思いません。
いえ、正直にいえばそんな人間のままだったら思っていたでしょう。
それでも仕事にそんな感情は持ち込まず、冷静に擁護できる部分は擁護します」
こんな質問をしてくる龍志に失望していた。
私がそういう人間だと思われているのにも腹が立つし、龍志自身もそう思っているようで嫌だ。
「いや、わるい。
こんな質問をして」
彼は気の抜けたような、ほっとしたような表情を浮かべて私に申し訳なさそうに謝罪してきた。
「七星が俺の思っているとおりの人間で安心した」
そうか、私は龍志に試されていたのか。
今の質問の答えによっては、私が彼から軽蔑されて切り捨てられていた可能性がある。
間違わなくてよかった。
話を切り替えるように軽く、龍志が姿勢を正す。
「COCOKAさんは以前はアンチも少なからずいたが、今は世間を舐めているようなところがなくなったとさらに人気が出ている」
「そうですね」
契約を結んだあとから彼女のフォロワー数は二割程度増えている。
由姫ちゃんも可愛くなったと配信をチェックしているくらいだ。
「そんな彼女を安易に切るのは我が社にとって得策ではないし、反対にこのまま契約を続行すればかなりの利益になる。
……というのが七星の考えだと思うが、違うか?」
「そう……です」
どうして彼は私の考えがわかるのだろう。
違う、私程度の考えなど、龍志もすでに思いついているのだ。
「じゃ、その意見で上を捻じ伏せられるだけの資料を集めて上申書を作れ。
できるな?」
挑発するように彼が右頬を歪めてにやりと笑う。
「もちろんです!」
龍志――ううん、尊敬する上司である宇佐神課長が私に期待してくれている。
こんなの、やる気にならないほうがおかしい。
細かい打ち合わせをして部署に戻る。
「なんかあったらすぐ、報告」
「わかりました」
力づけるように私の肩を軽くぽんぽんと叩き、龍志は自分の席へと行った。
私も自分のデスクに着き、速攻でCOCOKAさんにメールを送る。
三十分もしないうちに彼女から携帯に電話がかかってきた。
『井ノ上さん!
私、どうしたら!?』
電話の向こうの彼女は軽くパニックになっていて、今にも泣きだしそうだ。
「落ち着いて。
急で悪いんですが今日、会えないですか」
電話やメールでもいいが、デリケートな問題なので感情の行き違いなどないようにできれば会って話がしたい。
それは龍志も同じ意向だった。
『もちろんです。
時間、作ります。
会社にお伺いしたらいいですか』
「会社はちょっと人目があるんで、外で会いましょう」
それから時間と待ち合わせ場所を決め、通話を終える。
龍志にそれを報告し、今日の仕事をこなしつつここ最近のCOCOKAさんについての資料を集めた。
やはり、フォロワー数が急激に増えている。
それに彼女が宣伝した商品は必ずヒットしていた。
そのあたりの資料をまとめる。
新商品のプロモーションに彼女はうってつけだがひとつだけ心配があった。
あんな批判をしてしまった彼女が我が社の商品を賞賛する動画を流したら、やらせだと炎上しないだろうか。
そのあたりも彼女と相談しよう。
無理矢理作った時間でばたばたとCOCOKAさんとの打ち合わせに向かう。
「井ノ上さん!」
落ちあったカフェで彼女は、泣きそうな顔で待っていた。
「すみません、本当にすみません。
私、なにも考えてなくて」
私の顔を見た途端、彼女の口から謝罪の言葉ばかりが出てくる。
「一旦、落ち着きましょう。
とりあえず、今の状況を説明します」
彼女を宥め、飲み物を頼んで説明する。
専務は批判自体は問題にしていないこと、けれど契約は考え直したいと言っていたこと。
「やっぱりそうなりますよね……」
COCOKAさんの口から重いため息が落ちていく。
「あれ、確かに効果はあったんですが、感動するほどじゃなくて。
それよりプチプラのほうがあれほどの効果はないとはいえ、この値段でこんなになるんだ!ってびっくりするくらい効果があったのを伝えたかったんですよね……」
やはり、彼女としては悪気はなく、ただ自分の感動をフォロワーに伝えたかっただけのようだ。
説明不足が徒となっているが。
「弊社と契約中は他の化粧品関連の宣伝はしてはいけないこと、ご存じですか」
「えっ、契約していない会社の商品でもダメなんですか!?」
彼女が驚きの声を上げ、遠い目になった。
「……契約書はよく読んだほうがいいですよ。
今回のようにうちだけじゃなく、他社でもトラブルになりかねません」
「……はい」
該当箇所にマーカーを引いた契約書のコピーを彼女の前に滑らせると、彼女は受け取って目を通していた。
「ほんとだ。
ちなみに、美容系のサプリメントもダメですか」
上目遣いで彼女が私をうかがう。
「ダメですね」
「あっぶなー。
次の配信で私のお気に入りの美容サプリメント、紹介するつもりだったんですよね」
彼女はほっと息をついているが、本当に危なかった。
というかこれで本当に今までよく、やってこられたと感心する。
「とりあえず昨日の配信動画を削除して、謝罪と訂正を流す……とかじゃ許してくれないですよね」
苦笑いを彼女は浮かべたが、よくわかってくれていて助かる。
「そうですね。
それで私、考えてきたんですけど……」
どうやったら挽回できて且つ、新商品のプロモーションがやらせだと言われないか考えてきた方法を彼女に伝えた。