ようやく龍志に気持ちを伝えた翌朝。
「なに不満そうな顔、してるんだよ」
いつものように向かいあって朝ごはんを食べながら、龍志のほうこそ不機嫌そうな顔をして聞いてくる。
「……別に?」
それに素知らぬ顔をしてお味噌汁を啜った。
「なに怒ってるんだよ?」
はぁーっと面倒臭そうにため息をつき、彼が箸を置く。
「別に怒ってないですが?」
いや、本当は怒っているというか、がっかりしているというか。
しかし、それを口に出すのはいろいろとこう、……こう。
「怒ってるだろ。
俺が悪かったんだろうから謝るが、理由は言ってくれなきゃわからない」
「うっ」
それは言われるとおりなので、箸が止まった。
でも、恥じらいとかもあるわけで。
……いや。
二十六ともなれば普通は言えるのか?
けれどこちらはまだ、そういうことに疎い処女なのだ。
しかもこれが初恋となれば、心はウブな女子高生並みなのを察してほしい。
「……だって」
唇を尖らせ、上目遣いで彼を睨む。
「だって?」
けれどやはり、彼はわかってくれそうになかった。
「……昨日の夜、……落とされた、し」
無意味に切り干し大根のお漬物を一本ずつ箸で摘まみ、お皿の隅へと移動させながら目はあわせない。
昨晩、ようやく龍志と想いを通じあわせたわけだが、そうなると次は〝あれ〟を期待するわけで。
しかもファーストキスからいきなり、あんなに激しかったのだ、当たり前というものだろう。
しかし、ひさしぶりにエステとマッサージしてやると言われ、それ以上はなにもないままいつものように寝落ちた。
不満くらい抱こうというものだ。
「もしかしてなんか、期待してたのか?」
にやりと龍志の、右の口端が持ち上がる。
それを見てかっと頬に熱が走った。
「べ、別に期待とかしてないし!」
熱い顔を誤魔化すように勢いよくおにぎりに噛みつく。
今日は菜っ葉と胡麻の混ぜご飯だ。
「ふーん」
意地悪く彼はにやにやと笑っていて、むっとした。
「龍志のほうこそ、我慢してるんじゃないんですか?」
精一杯、強がって笑ってやる。
しかし。
「んー、俺は別に、我慢とかしてないかな」
「……へ?」
平然と彼はお味噌汁を啜っていて目が点になった。
それはあれか、私相手では興奮しない、と?
それともあれか、昨日、私が好きだと言ってくれたのは夢だったとか?
「あー、なんか悩ませて悪いが」
ぐるぐる考えていたところへ声をかけられ、顔を上げる。
眼鏡越しに目のあった龍志は困ったように笑っていた。
「なんというかこう、俺は枯れてるんだ」
「枯れてる?」
意味がわからなくて大きなクエスチョンマークが頭上に三つ、ぽんぽんぽんと浮かんだ。
そんな私を見て彼は苦笑いしている。
「女性の身体を見ても別に、興奮しないってこと。
七星に魅力がないわけじゃなくて、いろいろあってそういうのが面倒になった、っていうか」
「はあ」
兄から、男はただやりたいだけだから気をつけろと口を酸っぱくして教育されてきた私としては、そういう男の人がいるのだというのが少し、信じられない。
「俺としては七星を抱きしめて眠れるだけで満足なんだが……七星はそうじゃないよな」
「え、えーっと……」
そうとも違うとも言えず、曖昧に笑った。
「望むなら、七星を気持ちよくはさせてやれる。
ただ、俺の身体がその気になれない、ってだけで」
「あー、……いい、です」
適当な笑みを貼り付けて答える。
私には未知の領域過ぎて理解が追いつかない。
けれど、私が好きだけれどそういう気持ちにはなれない、それに対して申し訳ない気持ちに龍志がなっているというのは理解した。
だったら、無理にしてもらうことでもない。
それに私だって今まで、そういう行為を完全にスルーして生きてきたので問題がなかった。
「わるいな」
詫びてきた彼はすまなさそうで、私のほうが申し訳なくなった。
朝食のあとは一緒に片付けをし、そして。
「座れ」
メイク道具を持ってきた龍志からテーブルの前に座らせられた。
「今日は俺が、メイクしてやる」
「お願い、します」
龍志のメイク技術が拝めるのは、わくわくする。
シートパックをしたあと、彼はてきぱきと私の肌にいろいろ塗り始めた。
「それはなにしてるんですか?」
「んー、肌の色むらとか、陰とか消してる」
私なんて下地はせいぜい二種類くらいだが、彼は何種類も場所や用途によって使い分けていた。
その割にポイントメイクはあっさりだ。
さらに髪まで結ってくれる。
「はい、終わり」
「おおーっ」
鏡の中の私は肌年齢が二つ三つほど若返っているように感じた。
さらにピンクベージュのアイシャドーが上品且つ可愛らしく見せている。
しかも器用にゆるふわなお団子に結われた髪が、いつもより私を甘く見せていた。
「毎度ながら凄いですね」
「まー、趣味みたいなもんだしな。
女性を美しく見せるのが好きなんだ」
少し照れたように笑いながら、龍志は後片付けをしだした。
「じゃあ、美容部……はあれとしても、開発とかのほうがよかったんじゃ?」
それなら美容部員とかが向いていそうだが、あそこはまだまだ女の園。
そこに入れないとしても宣伝広告部とか龍志のやりたいことからはかなり遠い気がする。
「あー……」
長く発し、彼が遠い目になる。
「そっち方面を希望したんだが、入社したら宣伝広告部になっていた。
こここそが君の力を発揮できるところだって、小山田部長に肩を叩かれたときは諦めの境地になったよ」
ははっと乾いた笑いが龍志の口から落ちていく。
「なんか、当時課長だった小山田部長と、営業部の課長とで壮絶な俺の取り合いをして、小山田部長が勝ったらしい。
もし営業部に行ってたら、俺の会社員生活も違ったものになってたのかな……」
彼は死んだ目をしていて、思わず慰めるように肩を叩いていた。
それだけ彼は、小山田部長に迷惑をかけられているのだ。
小山田部長からすれば、龍志を獲得できたのは人生最大の幸運なのかもしれない。