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第27話 犬神遣い

「――貴方、本当におかしな人ですね」

「どうも。おかしくなければ呪物蒐集家なんてやってません」


 しゃがみこんで犬を撫でていたミズキが、ごろりと道に寝転がった。ミズキの身体の上に、ぼんやりと黒いもやが見える。犬がミズキにじゃれついているのだろう。すっかり仲良くなったようだ。


「太一は大切な友人です。どうか彼の店に迷惑のかかるような真似だけはやめていただきたい。ぜひ弟子の皆さんにも伝えてください」

「それは、もちろん」


 須田は軽薄な笑みで頷いた。最後まで胡散臭いやつだ。秋陽堂のことなど、ただの道具の仕入れ先としか思っていないのだろう。


 須田は軽く会釈すると、義手でないほうの手で腿の横を叩いた。おそらく愛犬への合図だろう。ミズキが身体を起こして、名残惜しそうに見ている。

 本当に何をしにきたのだろう。呆れて見ていると、須田がミズキに向かって首を傾げた。


「で? 君はいつまでいるわけ?」

「……俺はここに住んでる」


 ミズキとの関係をどう説明しようか迷っていると、須田が参ったな、というようにかぶりを振った。


「そうじゃないよ。君、もう死んでいるだろう? こいつと同じで」


 須田が顎をしゃくって足元を指した。ミズキが犬と可愛がっている存在は、すでに死んだ、おそらく須田の愛犬だろう。

 ミズキは表情を消すと、次の瞬間にはいやらしく口角を上げた。


「そうだよ。俺はアンデッドだ」


 さっきまで一緒になって犬を愛でていたのに、今やその素振りもない。二人は一触即発の雰囲気だ。


「なんで現世にいて、こうやって人間の暮らしの真似事なんかしているんだ。早く逝け。もうすぐ肉体いれものが朽ちるぞ。それとも、橘さんの呪物のコレクションの一つになるつもりか?」


 ――全部、知られていた。

 急いで須田との間に割り込み、ミズキを背後に隠す。これ以上探りを入れられたくないし、須田にすべてを明かす気もない。これ以上、こちらの問題に首を突っ込んでほしくない。


「ミズキは『物』じゃありません。コレクションの一つになんて。用がないなら早くお引き取りください」


 それは失礼した、と須田が踵を返す。

 背後にいるミズキの顔は、なんとなく確かめられなかった。




 須田の来訪を伝えると、太一は「えぇっ」と腹からの野太い声を上げた。普段は高めの発声を心掛けているようだが、時々素の声が漏れる。


「何しに日の出荘へ? それよりも、あのホスト殺しの事件の犯人が須田さんの弟子って本当?」

「そう言っているけど、どうだか。あいつの言動は怪しくて何が本当だかわからない」


 弟子は、術の返りをわかってて呪殺を請け負ったのだろうか。今頃、須田のように四肢の一部を持って行かれているかもしれない。四肢のどれかだったらまだいいが、命の危機におびやかされていないといいが――。


「弟子が呪術で須田さんの使い魔を使ったっていうこと?」

「どうだろう。弟子も獣の使い魔を使役していのかもしれない」


 須田が犬神を連れているように、弟子たちもれぞれに使い魔を連れているのかもしれない。


 須田の足元に付き従っている犬らしき獣は、おそらく犬神だ。

 犬神遣いとは、古くより伝わる蟲術こじゅつの一つだ。

 飢餓状態の犬を首だけ出した状態で土に埋め、その前に食べ物を置いて餓死寸前まで追い詰める。犬が死ぬ寸前に首をねると、強烈な飢餓感と執着で、頭部だけが飛んで食べ物に食いつくという。この頭部を焼いて骨にし肌身離さず持っていると、犬神として使役できるようになるらしい。

 須田がこの方法で黒犬を使役しているかどうかはわからないが、動物霊を使役する拝み屋であることは間違いないだろう。


「胡散臭い男だ。もう店の敷居を跨がせるなよ」

「……素敵な人だと思ってたんだけどなぁ」

「見る目がないな」


 通話を切った後、ホスト殺し事件の進展を調べてみる。続報はなく、迷宮入りしているようだった。

 無理もないだろう。指紋もない、凶器もない、呪殺を行っている本人は、現場に赴かないから周囲の防犯カメラに姿が映ることもない。

 殺された男には気の毒だが、おそらくこのまま犯人は捕まらないだろう。

 須田が弟子を説得し、自首させるなら話は別だが……。




 壁の時計を見上げると、時刻は六時を回っていた。

 今日も客がなかった煙草屋のカウンターの窓を閉め、簡単に店内の掃除をする。ミズキは背後の棚の前で、いつものように呪物の手入れを始めていた。

 無造作に刃物を取り、危うい手つきで刃を拭っている。


「これは俺がやる」


 ミズキの手から、短刀を取り上げる。

 数年前に手に入れた、実際に切腹に使われていたといわれる短刀だ。刃はすっかり錆びて刃こぼれもしているが、部分的にはまだ切れ味が鋭い。


「なんで」

「お前は不器用だから手を切りそうだ」


 む、と声が漏れそうなほど、ミズキが口をへの字に曲げる。実際、ミズキはそんなに不器用ではないので拗ねる気持ちもわかる。


「俺は不器用じゃない。祐仁のほうがよっぽど」

「いいから。今日は刃物を磨きたい気分なんだよ。ミズキは人形やって」

「どういう気分だよ。祐仁こそ手を切るなよ」

「俺は……大丈夫だよ」


 俺は生きているから。生きているから、たとえ手を切ったとしても治る。


 須田の来訪から、ミズキの怪我を恐れていた。

 須田の、「もうすぐ肉体いれものが朽ちるぞ」という言葉がいつまでも耳を離れない。

 ミズキのうなじで揺れる後ろ髪を見詰める。

 ミズキと出会ってから、たった一度しか散髪をしていない。もう二年も一緒に暮らしているのに、だ。その時も目に入ると邪魔だと嫌がるので、前髪を少しだけ切っただけだ。

 当然、ほとんど背も伸びていない。測っていないが、体重もたいして増えていないだろう。爪や体毛も、伸びている気配がない。

 当たり前だ。一度死んだ肉体に、呪術で呼び戻した魂が入っているだけなのだから。人間の身体に起こる代謝がほとんど見られない。

 以前、橘の盃に触れて黒焦げになった指先はまだ治りきっていない。あの怪我から何か月たった? いや、一年以上は過ぎている。


「ミズキ、怪我には気を付けろよ」


 すっかり弟と暮らしているような気分になっていたが、ミズキはアンデッドなのだ。

 死んだ肉体は、少量の栄養は受け付けるものの、生きている十代の肉体とは違い、成長もしなければ代謝も少ない。限界がきて朽ちてゆくのを、なんとか先延ばしにしているだけだ。


「なに? あいつが言っていることを気にしてんの?」


 ミズキに見抜かれ、隠し立てしてもしようがないと諦める。


「そうだよ。見ろ」


 ミズキの右手を掴んで二人の間に持ち上げる。


「全然治っていない」

「これは、呪いの盃の傷だからだよ。他の小さな切り傷とかはすぐ治る」

「……本当か?」

「本当だよ。それにもともと死んでたんだ。今更、何を心配しているんだよ」


 元に戻るだけだとあっさりと言われ、返す言葉に詰まる。

 この前、盃を含めて三人で生きてゆくって言ったばかりじゃないか。そんなにあっさりと、いち抜けたと言わないでほしい。……寂しくはないのか。「寂しい」という感情をそろそろ理解した頃だと思っていた。


「――とにかく、怪我には気を付けてくれ。お前を医者に診せるわけにはいかないからな」


 つい、突き放したような言い方になってしまった。


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