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第26話 犬神遣い

「――何の用です? 須田さん」


 橘の警戒した声に、須田はいかにも可笑しそうに口元を押さえて俯いた。

 灰色のシャツに折り目のついたスラックス。今日が休みか仕事の日か知らないが、髪もきっちりと撫でつけられている。シャツから、この前と同じウッド系の香りが漂ってきた。身なりにはかなり気を使っているようだ。

 けれどウッド系の香りの奥に、確かに獣臭が混じっている。


「やあ、こんにちは。橘さん」


 須田も張り合うように、お前を知っていた、と言わんばかりに名を呼んできた。やはり、偶然この辺りを歩いていたわけではなさそうだ。

 太一の件を知らないミズキだけが不思議そうにしている。


「まさか、ここまでタバコを買いにきたわけではないでしょう?」

「そう睨まないでくださいよ。怖いなぁ。イケメンが凄むと妙に迫力がある」


 須田は両手を上げて降参のポーズを取っているが、余裕の笑みを浮かべたままだ。――こいつがホスト殺しの犯人だと思うと、ぞっと背筋が冷えた。人を殺しておいて、あまりにも動揺がない。


「不勉強で申し訳ないんですが、拝み屋というのは殺しもやるんですか?」


「殺し」と聞いて、ミズキがすっと笑顔を消した。相変わらず須田の足元へは優しい視線を送っているが、須田自身に対しては警戒心を抱いたようだ。


「秋陽堂の商品を殺しの現場に残しておくなんて……。太一に、秋陽堂の主人に、何か恨みでも?」

「誤解です」


 須田は、相変わらず胡散臭い笑みを消さない。


「あの殺しの犯人は私じゃありません」


 ……怪しい。秋陽堂の奉書紙を用いて呪殺する人間なんて、他に誰がいるというのだ。しかも被害者には、獣の噛み傷のようなものが複数ついていた。この獣の霊を従える男でなければ、いったい誰だ。


「……被害者には、獣の噛み痕があったとか」


 今日初めて、須田の目が冷たく据わった。おそらくこの表情が、この男の素の顔だろう。

 犬が殺人に使われたと知り、ミズキが悲し気な表情になる。


「へえ。もうそこまで判っているんですか。――でも、本当に私は何もやっていませんよ。やったのは、私の弟子でしです」

「……弟子でし

「一人あやしいのがいましてね。私に黙って仕事を請け負って、小遣い稼ぎをしていたようです。おそらく、ライバルのホストにでも呪殺を頼まれたのでしょう」


 殺しを請け負うなどと、よくすらすらと喋れるものだ。衝撃と呆れで黙っていると、「大丈夫です」と、須田が的外れな太鼓判を押した。


「奴がやったという証拠を掴んだら、必ずこちらから警察に突き出しますから。身内だからといって庇ったりしません」

「……いや、そうではなく」


 ミズキが店を出て、須田の足元で膝を折った。パントマイムのようにてのひらで空気を撫でている。きっと、呪殺に使われてしまった犬をいたわっているのだろう。

「おや」と、須田が明るい声を上げた。


「君にはこいつがえるんだ」

「……」


 すっかり須田を警戒しているミズキは返事をしない。須田はおかまいなしに続けた。


「へえ。こいつの姿を認識したのは君が三人目だよ。どんな風に視える?」

「……黒い、大きな犬。狼みたいだ」

「――君にはそう視えるんだ」


 よかったなぁ、と須田もその場に腰を下ろす。二人は、何もない空間に掌を当てている。二人にしか視えない犬をそれぞれに可愛がっているようだ。橘は束の間、疎外感を感じた。かなり集中しないと、橘には犬らしきものの姿が認識できない。


「さっきの質問ですが、答えはイエスです」


 須田が唐突に顔を上げた。


「は?」


 突然「イエス」と言われても、話の脈絡が見えない。


「拝み屋稼業というのは殺しもやるのか、と訊いたでしょう? イエスです」

「……」

「それが仕事ですからね。依頼がくればやります」


 犬を可愛がる姿に気を許しかけていたが、やはり危険な男だ。それに弟子が勝手にやったという話も、百パーセントは信用できない。


「……人間を殺したりなんかしたら、返りがとんでもないのではないですか?」


 須田が、きょとんと眼を丸くした。これも、素の表情のような気がする。

 次の瞬間、笑い声が弾ける。


「あはは! 睨んだかと思えば、今度は私の身の心配をしてくれるんですか! あは! 貴方、おかしなひとだ」


 あまりにも笑われ、返りの心配をしたことを後悔した。こんな無神経な男なら、多少の返りくらい跳ね返せるのかもしれない。


 笑いが収まると、おもむろに須田がシャツのぼたんを外し始めた。そでを抜くと、中にはタンクトップを着ており、右腕が露わになった。だが、右腕だと思っていたそれは、人間の皮膚とは質感が違っていた。義手だ。右ひじの付け根に肌色のサポーターが巻かれている。あまりにも自然に使いこなしており、一見して義手だとわからなかった。


「――この通り。でも大丈夫ですよ。呪殺の依頼は、めったにありません」

「呪殺を請け負うなんて、」

「食っていくためには仕方がありません。うちは代々、拝み屋稼業の家なんでね」


 須田がうっそりと笑った。口元は笑っているのに、目がひどく昏い。

 実家の葬儀屋を思い出し、口の中に苦味が広がる。代々継がれる、負の遺産。断ち切りたくても、先祖や親から連綿と続いてきた鎖はそう簡単には切って捨てられない。


「でも、貴方も同じようなものでしょう? 橘さん」


 突然同意を求められ、何のことかと首を傾げた。


「? 同じとは?」


 心外だ。殺しなんてやらない。


「食っていくために、呪物を見世物みせものにしているじゃありませんか。どれも静かに眠っていた物たちだろうに」


 煙草屋の店内を覗き、須田が目を細める。店内の呪物棚には、今日も様々な呪物たちが鎮座している。

 ミズキが「間違いない」と、手を叩いて喜んでいる。この、裏切者。


「お前、どっちの味方なんだよ」


 ミズキの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜると、笑い声を立ててひょいと逃げてゆく。少し離れた位置から「事実だろ? 俺はどっちの味方でもない」と楽しそうに言う。

 ミズキのこの、中立な姿勢が好きだ。今まで出会ってきた霊や呪物たちに対しても、余計な肩入れもしないし、すべて悪だと切って捨てたりもしない。人間に対してもそうだ。いつも中立的で、公平で、合理的だと思う。

 橘も、呪物に対してはそういう姿勢でいる。


「まあ、否定はしません」


 たしかに、呪物を引っ張り出して世間に晒しているのは事実だし、それで金を稼いでもいる。

 ただ、呪物を成仏させてやろうだとか、呪物を神格化したりする気は毛頭ない。はじめから呪物はただの「物」で、良い物もあれば悪い物もある。利用できる「物」があれば利用させてもらうだけだ。


「お互い、仕事をまっとうしているだけですね。すみませんでした」


 自分も同じだ。仕事となればある程度何でもやる。そういう意味では、一方的に須田を責めたりできない。橘は非礼を詫びた。


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