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第6話 呪いはどこから

 文久ぶんきゅう三年創業。葬儀のご用命は橘葬儀社へ。

 幼い頃、繰り返し聞いていて、今や耳にこびりついて離れないフレーズだ。


 橘葬儀社の始まりは江戸時代に遡る。当時、寺や墓地内に簡易的な小屋が作られ、そこを火葬場として使用していた。寺の近隣に住んでいた、初代・橘権蔵たちばなごんぞうが住職の火葬の作業を手伝ったのが始まりだ。


 やがて寺から火葬を専門に請け負い、権蔵は屋号を「橘屋たちばなや」とする。

 創業五十年目の年、新庄しんじょうが大火に見舞われ、甚大な被害を受ける。離村する村民も多く、橘屋も新庄から現在の山形市へと拠点を移す。その際に屋号を「橘葬儀社たちばなそうぎしゃ」と改めた。

 橘葬儀社は事業を広げ、装具雑貨の小売り、葬儀全般の運営なども開始。やがて事業が軌道に乗り、昭和三十年に法人化し現在に至る。


 橘葬儀社の歴史には、二度ほど廃業の危機があったようだ。

 一度目は明治時代の廃仏毀釈はいぶつきしゃくの動きが高まった時期。神道しんとうが推奨され、寺での火葬、さらに火葬自体も禁止された。

 しかし土葬用の土地を確保するのが難しくなり、たった二年で火葬禁止令は撤廃されている。火葬業はすぐに復活した。


 二度目は、太平洋戦争から始まる戦争の期間だ。橘葬儀社でも多くの従業員が徴兵され働き手がいなくなった。戦死者は遺骨となって帰ってきたため、火葬の依頼も激減した。

 人手不足に加え物資も不足し、火葬のための薪も手に入らなくなっていたようだ。

 多くの人間が亡くなるものの、まともに葬儀は行われなかった。葬儀を行う余裕など、戦時中には誰にもなかったのだろう。


「商売が立ち行かなくなって脳漿を売る行為に出たのはこのへんか」


 ミズキがタブレットを覗き込みながら呟く。

 山形市内にある戦災復興記念館にきていた。さまざまな展示資料と照らし合わせ、橘葬儀社の歴史を確認する。


「そうだな。脳が万病に効くと流行った時期とも重なる」


 ここへくる前、図書館に行き、近代の歴史をおさらいした。橘葬儀社の創業からの流れを当時の時代背景と併せて頭の中でイメージをする。

 大まかな歴史の流れは確認できたが、では実際にどの時期に、誰が脳漿の取り出しを行っていたかまではわからなかった。


「祐仁の家に言って詳しく聞けばすぐにわかるんじゃないのか?」

「うちの母親はよく知らないみたいだ。まあ、蔵の中の資料を探ってみたら何かわかるかもしれないけど」


 しかし、盃を持ったまま橘家に戻るつもりはなかった。これを橘家から遠ざけるために家を出たのだ。盃を持ったまま敷居を跨いでは意味がない。


「今回は、家には行かないつもりだ」

「ふうん」


 ミズキは特に残念がる様子もなく、先に立って歩き始めた。

 家に寄らずに橘葬儀社の過去を調べるにはどうしたらいいだろう。会社のほうに忍び込んでみようか? タイミングよく無人だといいが……。


 特に収穫を得られないまま一日めを終えようとしていた。


 ホテルに戻る道中、背後から「祐仁?」と呼びかけられた。かぼそい女性の声だ。

 振り返ると、小柄な老婆が驚いた顔で立っていた。どこかで見たことがあるような気がして、橘は老婆の顔を凝視した。


「……景子けいこおばさん?」


 呼び掛けると、大叔母が顔を綻ばせた。


「祐仁! 久しぶりじゃない!」


「景子おばさん」と呼んでいるが、橘の父方の祖父・橘篤志たちばなあつしの妹で、正確には大叔母だ。「おおおばさん」と言い辛く、幼い頃から「景子おばさん」と親しみを込めて呼んでいた。


「帰ってきていたの? そもそも、あんた今どこに住んでいるのよ!」

「ちょっと用事があってね」


 何年ぶりだろう。こんな所で再会できるとは思わなかった。記憶の中の大叔母より、ずいぶんと年を取っている。背丈も縮んだ気がする。当然だ。景子おばに最後に会ったのは、もう二十年も前だ。

 けれど意思の強そうな目と、常にきゅっと上がった口角は変わらない。


「千葉に住んでいるんだ。ちょっと用事があって山形に。ああ、こっちはミズキ。友人……の弟で、山形を旅行したいっていうから一緒に」


 隣でミズキが小さく頭を下げる。

「友人」だけで良かったのだが、微妙な年齢差に思わず複雑な人物設定を作り上げてしまった。


「そう。ミズキくん。初めまして」


 景子おばはミズキに向かってにっこりと笑いかけた。ミズキは例のごとく、無言のまま小さく会釈した。


「ねえ、時間ある? うちに寄って行きなさいよ」


 景子おばは昔、山形薬科大学の講師をしていた。聡明ではきはきとした喋り方は、引退した今でも変わらない。独身で、山形市内のマンションに一人暮らしをしている。

 昔から、親族間の付き合いにはあまり顔を出さなかった。誰かに独身でいることを咎められたのか、仕事が忙しかったのか、親戚付き合いが苦手だったのかはわからない。

 けれど橘は景子おばが好きだった。景子おばは会えばいつも、橘のことを子ども扱いせず対等に接してくれた。読書家で、知的好奇心が旺盛で、いつも興味深い話を聞かせてくれた。もちろん、怪談話も。


「まだ駅前のマンションに住んでいるの?」

「そうよ。いらっしゃい」


 景子おばは「ついてきて」と言うと先に立って歩き出した。

 山形駅前の雑踏の中を、すいすいと泳ぐように進んでいく。ペースが速くて、橘たちのほうが周囲の人間にぶつかりそうだった。


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