玄関口には誰もいない。これで薄気味悪い教会とはお別れだ。そう思って玄関口に立った。しかし扉は何の反応もしなかった。信者がすべて帰ってしまったことで、鍵が掛けられたのかもしれない。
どうすべきか……。お互いに顔を見合わせていると、背後から物音が聞こえた。爬虫類のような男がこちらを見ている。あいつはトカゲだ。今、荒木を起こされるのは非常に不味い。あの男を捕まえなければ。
「楓月さん、待ってください」
走り出そうとした時、背後から咲良に呼び止められた。
「貯蔵庫に食料を取りに行った時のことですが、奥の扉が開いていたのを見たんです。そこからなら外に出られるはずです」
トカゲが二階に向かって走って行った。熟考している暇はない。ここは咲良に賭けよう。
「こっちです。一番奥の部屋です」
咲良は二階には上がらず一階の廊下を駆けて行った。走っている途中、叫び声に近い不快な声が耳をつんざいた。荒木の声だ。荒木が怒り狂っている。
貯蔵庫に着き、まず咲良が先に入り、その後に僕と由香里が続いた。咲良が言ったように奥の扉の隙間から外灯の光が射し込んでいる。これで、やっと外に出ることができそうだ。
「楓月さん、ダメです。扉が開きません」
咲良の声が頼りなく震えている。
「咲良さん、ちょっと変わって下さい」
扉が固定してあるのだろう。押しても引いてもピクリとも動かすことができない。一人の力では無理がある。
由香里が後方を気にしている。早くしないと荒木に追いつかれてしまう。
「外に誰かいます」
咲良が扉の隙間から外を眺めて言った。信者が見張っているのだとしたら、もう終わりだ。
「助けて下さい!」
突然、咲良が叫んだ。
「咲良さん、何を……」
信者が助けてくれるとは思えない。それに大声を出せば荒木に気づかれてしまう。
咲良が再度、助けを求めた。
「ダメです。声が届きません」
「咲良さん、場所変わって。私がやってみる」
咲良と入れ替わり、今度は由香里が助けを求めた。さすが演奏会で聴衆を魅了しただけはある。声の通りが良い。
「良かった。聞こえたみたい」
遠くから駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「私たち閉じ込められているんです。助けて下さい」
由香里が懇願すると一番力がありそうな筋肉質の男が力を込めて引っ張った。僅かに扉が開く。しかし、まだ通れるほどの隙間ではない。
「どこにいやがる! 逃げたって無駄だぞ」
荒木が一つ一つ部屋を確認しながら近づいて来る。捕まったら何をされるか分かったものじゃない。
「全員で一斉に開けましょう。咲良さん、由香里さんも手伝って下さい。いきますよ。せーのー」
僕の掛け声を合図に、その場にいる全員が扉に全身の力を込めた。
「ここか!」
荒木が部屋に入って来ると同時に勢いよく扉が開き、僕らは地面に倒れ込んだ。
「みんな、逃げて!」
僕らを助けてくれた人たちが軽々と鉄扉を乗り越えていく。あの動きは僕らには真似できない。乗り越えている間に追いつかれてしまうだろう。
「こっち、こっち」
垣根の向こう側で女性が手招きをしている。あの高さなら僕らでも易々と飛び越えることができそうだ。僕らは垣根を乗り越えると、斜面を転がり落ちないように細心の注意を払いながら下まで滑り降りて行った。
「どこ行きやがった!」
僕らが急斜面を滑り降りたことに、荒木は気づいていない。荒木が怒声を浴びせながら建物周辺を探し回っている。鉄扉を乗り越えた人たちは既に公園に着いており、何事もなかったかのように練習に精を出している。
「咲良さんたちも早く逃げて。ほら、修二も行くよ」
女性は修二と呼ばれる男の腕を掴んで公園へ行き、練習に加わった。咲良が危険を犯してまで助けを求めた理由が分かった。あの二人とは祖母の家に向かうバスの中で会っている。祖母の隣家の人たちだ。
僕らは急いで駐車場に向かい、それぞれの車に乗り込んだ。ようやく丘の下に辿り着いた荒木が何やら喚き散らしている。しかし、あの様子では何もすることはできない。ゾンビのような動きをしている。
バックミラー越しに荒木の姿が見る見る小さくなっていくのが見えた。