「わっ」
突然後ろからぐいと服を引っ張られた。その拍子にスティルと繋いでいた手も離れた。
「突然何するんですか! 首が締まるじゃないですか!」
服を引っ張った張本人、ロクドトに苦情を言いながら後ろを振り向くと、彼は鬱陶しい程長い前髪の奥からスティルを睨んでいた。
「そうだよ、何邪魔してるのロクドト。折角いい所だったのに」
(……?)
先程までとは違い、スティルの声に何か嫌なものを感じた。
「キミはそうやって人を誑かすのをやめろ。キミは神に対してもっと警戒心を持て」
ロクドトは最初の「キミ」をスティルに、次の「キミ」を私に向けて言った。
「ええ~。翠は素直で良い子なんだから、警戒心なんて持ったらその良さが無くなっちゃうよ」
まただ。何なんだ、この違和感は。
「それはキミが彼女を面白がれなくなるからだろう。いいか、紫野原翠」
「は……はい」
突然フルネームで呼ばれて背筋が伸びた。
「キミは今、スティルに魔法を……早い話が催眠術を掛けられていた」
「……はい?」
「彼女に触れられている間、安心感だとか、幸福感といったものを感じていただろう。顔を見れば分かる。それが何よりの証拠だ。そうやってキミを安心させ、信じさせて使徒となる契約を結ばせようというのが彼女の魂胆だ。キミは……スティルが言ったように、素直で良い子だ。そんなキミがスティルの、破壊を司る神の使徒になるのは、荷が重すぎる」
「っ……」
言われ、気づいた。私を取り巻く白い靄に。この部屋自体が白すぎて分かりにくいが、スティルに触れられていた部分に、彼女の魔力が漂っている。同時に違和感の正体も判明した。スティルと接触している間は、彼女に対して不快感や嫌悪感といった悪い感情は一切起きなかった。それは彼女と触れ、目を合わせている間だけ催眠術を掛けられていたからで、離れた途端にそれが解けた。だから彼女の内に潜む恐ろしい部分に気づけるようになったのだ。
(ああ、そうだ……)
これだって、目的は違えど似たような事をディサエルが美香にやっていたではないか。
「もう。種明かししちゃつまらないでしょ」
悪びれる様子もなく、スティルは頬を膨らます。
「あなたの信仰心だけでもそれなりの力にはなるけど、もっと力がある方がいっぱい壊せるでしょ? だからこの子からも信仰心を貰いたいのに」
「あ……」
そうだ。スティルは月を司る神でもあるが、破壊を司る神でもある。そんな彼女に、月が輝いている時間帯の今、更に力を与えたらどうなる? 誰かを攻撃しても生きていれば問題ないと思っているような彼女にだ。たとえすぐに死人は出なくとも、瀕死の人が続出するのではないか? そんな光景は……見たくない。それはきっと、命を奪い奪われるのが好きではないと言ったロクドトも同じなのだ。
「やっとキミも気づいたか。ならば無暗に神に力を与えるような事をするな」
「……はい」
ケチ。とスティルが呟いた。