さすがのエルミヤさんでも続けて二度失敗することはなく、球場の正面ゲート前にちゃんと地面に足がついた状態で到着することができた。
さらに今回は
「つぎはチマキと野球観戦か。エルミヤさんは、プロ野球って観たことあるのか?」
「はい、ニュース動画で何回か。私、ジャイアンツのファンです!」
「巨人か」
「そうですそうです、かっこいいですよね『巨人ジャイアンツ』!」
「読売ジャイアンツ、な」
「ヨミウリ……ってなんですか?」
そうこうしているうちに、
《竜ちゃんごめん 電車のせいで 二十分くらい遅れるから 先に入っといて あと ビールとたこ焼き 買うといてな》
というメッセージが、何かのキャラクターが謝ってるスタンプ入りで送られてきた。こんな事態を予測していたのかどうか知らないが、チマキは俺の入場券だけをあらかじめ郵送してきていたのだった。
「しゃあねえな。先行くか」
俺は球場内の売店に並んでたこ焼きを二皿買うと、チケットに示された外野の指定席に向かった。ビールは、席についた後で売り子の姉ちゃんに注文すればいいだろう。
「竜ちゃん、ゴメンなー! 電車がえらい遅れてもうて……。おおー? ウチ、竜ちゃんのスーツ姿なんか初めて見たわ。めっちゃカッコええやん!」
試合がはじまって数分後、ようやくチマキが姿を現し、俺の隣に座った。生まれながらに大阪人の血を引く彼女らしく、阪神キャップに縦ジマのハッピ、手には黒と黄色に彩られたバット型メガホンと、どこに出しても恥ずかしくない
だがそのとき俺は、彼女を取り巻く周囲の視線の異様さに気づいていた。
「あのよう、チマキ。ちょっと聞くんだけどよ」
「ああこれ、あのチェーン店のたこ焼きやろ? 油で揚げてはる固いやつやんなぁ。これもおいしいけど、ウチはやっぱ関西のやらかいほうが好みやなあ」
たこ焼きをほがほがほおばりながら、お気楽に話すチマキ。
「いや、ちょっと周りを見てみろよ。ここって、巨人側の応援席じゃねえか?」
「は? まさか、ウチが間違えるわけあらへんやろ…………って、ホンマや!」
俺たち以外の観客は、すべてオレンジ色のタオルやボードを手にした巨人ファンだった。どうやらチマキは、あろうことかホームチーム側の応援席を取ってしまったらしい。言うまでもないが、ホーム席でビジターの応援グッズを着用することはご法度である。
隣に鎮座している俺の姿に委縮してか、表立って大きな声を上げる者はいなかったが、そんなアウェーの雰囲気をチマキもようやく感じ取ったようだ。
「しゃあないな。これは脱ごか」
そう言いながらチマキは、そそくさとハッピとキャップをしまった。それからというもの、巨人ファンで埋め尽くされた外野指定席の中、阪神の選手がヒットを打ったりファインプレーをするたびに、チマキは小さなガッツポーズをうれしそうに俺に見せるのだった。
「なあ、なんでわざわざ
試合が谷間に入った中、俺は気になっていたことをチマキに聞いてみた。
「だって、やっぱ本チャンが手元にあったらちゃんと行く気になるやん? 『ああ、今度の日曜はチマキとデートやなあ』って」
「そうか」
「ほら、竜ちゃんって、最近わりとモテてるし」
「べつにモテてねえよ」
「ええ、ウソやろ? あの魔法使いのエルミヤさんとか組長さんの娘さんとか。ほかにもいっぱいおるんとちゃう?」
セカンドバッグの中で、ガラス瓶が少しだけ揺れたような気がした。
「亜也子さんと別れてから、やっぱり竜ちゃんの相手はウチしかおらへんのかなあって思ってたけど、ホンマ隅に置けへんわ」
急に元妻の名前を聞いて、俺は一瞬考え込んでしまった。そんな気持ちに気づいたのか、チマキは笑いながら続けた。
「ええんよ竜ちゃん、ウチそんなにあせってへんから」
「チマキ……」
「でも、この前チューしたんは本気やからね」
俺は、先日の首都高バトルの時のことを思い出していた。本気、か。ドーム球場の喧騒の中で、俺を見つめるチマキの潤んだ瞳だけが、そこだけ切り取られたかように浮かび上がった。
軽く咳払いをして、俺は話題を変えるようにチマキに声をかけた。
「そうだ、もっと食べるか? うまいだろ、このたこ焼き。また買ってきてやるよ」
「ええの? ありがと、竜ちゃん! でも、今からやとけっこう並ぶかもしれへんよ?」
俺は、セカンドバッグを片手に席を立った。そして物陰に行き、周囲に目立たないような声で瓶の中のエルミヤさんに話しかけた。
「たしか次は、六本木ヒルズで映画だったよな」
「あー私も生で観たいです、巨人ジャイアンツ」
続く