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第六話 男ヤモメに花が咲いちゃう?(四)

 恐るおそる目を開けたとき、俺はまぎれもなく日本橋のホテル、グランド・インペリアルにいた。そこはたしかに、地図に示されたとおりの正確な座標の位置である。さすがに自分で豪語するだけあって、やはりエルミヤさんの魔法は大したものだ。


 だが、一つ残念なことを挙げれば、高さの指定が「大幅に」間違っていた。



「おわあっ! どこだここは! 落ちるぞ!」


 視界は三六〇度、夕方の東京がパノラマになって広がっていた。俺の足元に地面はなく、それははるか数百メートル下に存在していた。なすすべなく真っ逆さまに落下するこの状況に、魔法便瓶の中のエルミヤさんもすぐに気づいたようで、あわてながらも超早口で呪文を詠唱した。


「れれれっ、『空中浮遊魔法レビテーション』!」


 その言葉とともに俺の体の落下は止まり、ふたたび頭を上にした姿勢に戻った。地面までほんの数メートルといったところで、俺は危うく墜落死をまぬがれたのだった。

 グランド・インペリアルのエントランス付近にゆっくりと降り立った俺は、二本の脚の裏が地上についていることのありがたさを心底実感できた。


「竜司さん?」


 背後からの聞き覚えのある声に振り向くと、そこには前園ゆたかちゃんが立っていた。淡いピンクのワンピース姿で、彼女の清楚な黒髪によく似合っている。


「おお、ゆたかちゃん。待ち合わせの時間ちょうどだな」


 俺は、腕時計を確認しながらそう言った。


「あの……いま、空から落ちてきませんでした?」


「いや? そんなこたぁあるはずねえよ、まさか」


 そう言ってはぐらかしながら、俺は右手に握りしめていた魔法便瓶をさりげなくセカンドバッグにしまった。中の魔女がどうなっているかの確認をするヒマは、いまのところない。



「あ、そうだ。今日はわざわざ来ていただいて、本当に申し訳ありません。私の勝手なお願いで……」


「いや、いいさ。いつも安か郎スーパーで世話になってるしな。その服、なかなか似合ってるぜ」

 頭を下げる優ちゃんを、俺はそう言ってほめた。高校の制服にエプロンをつけた店員いつものスタイルの彼女も悪くないが、フォーマルにおめかしした優ちゃんはかなり魅力的だ。


「ありがとうございます。そう言っていただけるとうれしいです! それじゃ、参りましょうか」


 優ちゃんと俺(と瓶の中の魔女)は、一流ホテルのドアマンの歓待を受けながら、フロントへと歩みを進めた。



「では、竜司さん」

「おう、乾杯!」


 席に着いた俺たちは、そう言ってグラスを鳴らした。優ちゃんのグラスはジンジャーエール、俺のはビールだ。高校生にアルコールを勧めるほど、俺は常識知らずではない。極道ヤクザではあるが。


「実のこと言うと、竜司さん来てくれないかもと思ってて。ダメ元だったんですよ」

 ジンジャーエールを飲み干した優ちゃんは、そう言って口元を押さえた。どうやらめずらしく彼女は、ごく薄いリップグロスをつけているようだ。


「どうしてだい?」

「それはやっぱり……ほら、トラちゃんがいるし」

小虎ことらが?」

 俺の頭に、針猫はりまお小虎の顔が浮かんだ。そう言えば、ふたりは小学校からの幼なじみだったか。


「私たち、二人とも片親同士で。家庭の境遇のこととかいろいろ話してるうちに、すごく親しくなって。性格とか趣味はぜんぜん違うんですけどね」

「そうか。そういえば優ちゃんも……」

「私が幼稚園くらいのときに両親が離婚して、それからずっとお母さんが仕事をしながら育ててくれたんです。大きい商社に勤めているから、経済的にはまったく問題ないんですけど。だから私、父親というものをよく知らないんですよね」

「父親ねえ。俺も物心ついたときにゃ親兄弟ってもんがいなかったからな。小虎の父親が、言わば俺のオヤジ代わりだ」

 今度は、組長オヤジである針猫権左ごんざのことを思い出した。俺たちはお互い、おぼろげにしか父親像というものを持っていないということらしい。


「そうだったんですね。ところで小虎トラちゃんって、竜司さんのお嫁さんになるために留学先のシンガポールから帰ってきたんだって言ってましたけど、ホントに結婚されるんですか?」


「いやあ、どうかな。もうすぐ大学卒業と言っても、俺から見ればあいつはまだまだ子供だしな」


「そうですか? 小虎トラちゃん十八歳だし、もう子供じゃないですよ? ――それに、私だって」


「えっ?」

 その時の優ちゃんの目が、俺にはとても大人びて見えた。それはほんの一瞬で、すぐに元のあどけない女の子の表情に戻ったのだが。


「うふっ、なんでも。……ねえ、竜司さん。私、このディナービュッフェで食べたいもの、いーっぱいあるんです。ローストビーフに特上お寿司に、アクアパッツァにキッシュロレーヌ! しばらく好きに食べてますから、竜司さんも私を気にせずご自由にしていてくださいね♪」


「そうかい? わかったよ」

「それじゃ、行ってきます」


 そう言って優ちゃんは席を立つと、皿を抱えて料理を取りにいった。先日のホットドッグ早食い大会の時のように、彼女は一度食べだしたらしばらくは、食べることのみに没頭してしまうだろう。

 俺はそんな彼女を確認したのち、物陰に隠れて瓶の中からエルミヤさんを外に出した。


「あー、おいしそうな匂いがいっぱいでもうたまりません! リュージさま、これみーんな、好きなのを食べてもいいんですよね!」


「ああ、べつにかまわねえが、ほどほどにしとけよ? あと、くれぐれも目立つなよ」


「はい、――『秘匿魔法カモフラージュ』!」


 自分の姿を魔法で見えなくしてから、エルミヤさんは料理の並ぶテーブルへと駆けていった。俺は、彼女との距離が離れすぎないよう注意しながら、この後に待つほかのデートの算段について考えを巡らせていた。



「おい、そろそろ次の約束の時間だろ、行くぞ」

「ああん、ローストビーフもうひと切れだけ!」




続く



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