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第六話 男ヤモメに花が咲いちゃう?(八)

 かくして、俺はようやく自分の家に帰ってき――――てはいなかった。まだ。


「どこだここは? ウチじゃねえぞ」


 辺りを見渡すかぎり、どう考えてもここは六本木ヒルズの建物のどこかである。だが、先ほどまでいた映画館ではないようだ。

 おそらくは、なにかの報道プレス向け発表会のようなものが行われていた会場らしい。周囲には多くの関係者・来場者がいたが、幸いにして俺の出現に気づいたものは誰一人いなかった。


「すみません! 次が順番的にオガタさんのところだったので、つい間違えてしまいました」


 セカンドバッグの中から、エルミヤさんの声が聞こえてきた。うっかり転移先の座標指定をミスれば、最悪壁の中に埋まって人生終了ということすらあるというのに、なんとも危ない橋を渡ったものだ。


「おいおい頼むぜエルミヤさん、ホントに行けるのか?」


 そう言ったちょうどそのとき、俺は背後から声を掛けられたことに気づいた。



「ねえ、もしかして……竜司くん?」


 その聞き覚えのある声に、俺は思わず目を見開いた。そして、ゆっくりと振り向いたそこには、思いがけない女が立っていた。


「あ、……亜也子、だよな?」


 それは、俺のかつての女房・大森おおもり亜也子あやこだった。




「どうしたの? こんなところで――――この前の電話以来かしら」


「ああ、そうだな。俺はその、ちょっとした野暮ヤボ用で……。そっちこそ、なにやってんだ?」


 雑踏の中、俺と亜也子は向かい合って旧交を温めて……などと呑気な状態とはほど遠く、突然すぎる衝撃の再会に俺はなんとか平静を保とうとしていた。


「私は相変わらずよ。ようやく、前々から進めてたIT関連の株式取引の件がうまくいってね。その関係で、ひとつゲームの運営会社を買収することになったの」


「ゲーム?」


「そ。『ドラゴンファンタジスタ』っていうの作ってるとこなんだけど、知らない? そこの新規事業の発表会ってわけ」


 そう言って亜也子は、会場に掲げられている大きな看板を指さした。そこには、そのゲームのタイトルと思しきド派手なロゴが踊っている。ドラゴンファンタジスタ、か。どこかで聞いたことある気もするが。


「いや、あいにくそういうのにはまるでうとくてな。だがまあ、お前さんの商売ビジネスがうまくいってるようで何よりだ」


 亜也子は企業に属さない、個人投資家フリートレーダーだ。株取引に関してたぐいまれな才覚を持ち、日々数千万から数億円単位の株取引を成立させている、いわば天性の相場師ギャンブラーである。極道ヤクザ稼業とはいえ、経済的にはきわめて堅実な俺とは、ハナから釣り合うはずもなかった。


「まあ、おかげさまで。アナタもお変わりないようね」


「ああ、そっちはまあ、ずいぶんと――――アレだな」


「やだ、もう。ふふっ」


 口に手を当てて笑う亜也子。その見慣れた仕草に、俺はようやく落ち着きを取り戻していた。



「だが、お前さんは株取引にしか興味がないと思ってたぜ。ゲーム会社の経営者オーナーなんぞになって、どうする気なんだ?」


「まあね。いろいろとあるのよ、私にも。――――え? あ、はい、わかったわ」


 会話を続けていると、遠くから亜也子を呼ぶ声が聞こえてきた。会場のスタッフが、なにやら彼女に用があるらしい。


「ごめんね竜司くん。ちょっと待っててくれる? すぐ戻ってくるから、まだ帰らないでね」


 そう言うと亜也子は、スタッフのもとに駆けていった。その姿を見送りながら、俺は小脇に抱えたセカンドバッグが小刻みに揺れていることに気づいていた。



(どうした、エルミヤさん)


(すみませんリュージさま……早く……おトイレ……もう……もれちゃう……)


 魔法便瓶の中で、どうやら彼女は猛烈な尿意に耐えていたらしい。俺は急いで廊下に出て、トイレの場所を探した。亜也子にあそこで待っているように言われたが緊急事態だ、仕方がない。


「おい、あったぞ」


 俺は男子トイレの中に誰もいないことを確認したうえで、魔法便瓶を逆さに振ってエルミヤさんを外に出した。そして個室のドアを開け、エルミヤさんに空の瓶を渡しつつ扉を閉めた。


「ふぅ~~~~。間一髪でした……」


 個室のドアにもたれかかりながら、俺はその声とその音を聞いていた。はたから見ればずいぶん悪趣味と思われるかもしれないが、すでに俺とエルミヤさんにとっては日常茶飯事だ。


「リュージさま」


「なんだ」


「元奥様の亜也子様にお会いしたんですね」


「まあな」


「お元気でいらっしゃいました?」


「ああ。かなり元気そうだったぜ」


「あの、じつは私、ちょっとご挨拶したいな、なんて」


「あ? そんなの別にしなくていいじゃねえか」


「いえあの、できれば、お目にかかるだけでも」


「必要ねえよ。済んだらもう行くぞ。カギを開けて、瓶の中に戻ってくれ」


 水を流す音がしてから、再び個室のドアを開けると、そこにはエルミヤさんが中に入った魔法便瓶がちょこんと置かれていた。俺はそれを拾い上げると、セカンドバッグの中に入れてトイレの外に出た。


「あっ! 私、手を洗うの忘れてました!」




「竜司くん、お待たせ。ごめんなさいね」

 数分後、亜也子が戻ってきた。手には、大きな紙袋を下げている。


「いや、気にすんな。俺もトイレに行ってたしな」


「これ、ほんのおみやげ。大したものじゃないけど、来場者に配る用のお菓子だから、よかったら食べて。それから――」

 俺は、彼女から渡された紙袋の中に、大きな封筒が入っているのに気づいた。


「これは?」


「うん。まさか、こんなとこで会えると思ってなかったから、間に合わせの企業情報しかないんだけど、ぜひ読んでほしいの」


「このゲーム会社の資料か? いったいなんで俺に……」


「単刀直入に言うけど、私、竜司くんをヘッドハンティングしたいのよ。うちの会社にね」


「なんだって?」


「じっくり話したいとこだけど、今日はこれから予定が詰まってるの。悪いけど、条件や待遇その他もろもろについてはまたあらためて、ね」


 あまりのことに一瞬呆然としていた俺だったが、そのせいか思わず、手にしていたセカンドバッグを落としそうになってしまった。


「うおっと!」


 その拍子に、口が開いていたセカンドバッグから魔法便瓶が外に出てしまいそうになった。あわててしまいこもうとしたが、そのまま手を滑らせて瓶を床に落としてしまったのだ。



ガッシャーン!



 魔法便瓶は粉々に砕け、そこには魔女の姿をしたエルフの少女が這いつくばった状態で出現した。


「な、なあにアナタ、いったいどうしたの?」


「はじめまして、亜也子様! 私、由緒正しいエルフの魔導師、エルミヤと申しま――――」


 そう自己紹介をしながら、ゆっくりと顔を上げたエルミヤさんは、亜也子の姿を見て絶句した。



「あ、亜也子様でいらっしゃいますか? あの――なんというか――非常に――」


「ああ、竜司くんの知り合いなの? びっくりしたでしょ。私、こんな体だから」


 豪快に笑いながら亜也子は、大きな腹をポンと叩いてみせた。エルミヤさんが驚くのも無理はない。今の亜也子は、体重が三桁キロに届くほどの丸々とした肥満体だったからだ。


「それにしてもお前さん、離婚してから大幅に増量したよな。ちょっと食いすぎじゃねえのか?」


「いいのよべつに。こう見えて私、健康診断の数値は悪くないんだから。それじゃ竜司くん、またこんど連絡するわね。エルフの魔女さん? も、またね」


 そう言って亜也子は、のしのしと去っていった。昔から細かいことは気にしない性分だったが、目の前にいきなりエルフの魔法使いがすっ転んで登場しても動じないとは、大したものである。



「じゃ、俺たちもそろそろ帰るか、エルミヤさん」


「あの、リュージさまの好みタイプって、ああいう方だったんですか?」


 それは聞かないでくれ、と思った。今夜一番ショックを受けたのは、紛れもなくこの俺なのだから。




第七話に続く



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