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第八話 異世界、行っちゃうのかよ?(三)

 ある休日のことだった。ひさしぶりに自宅マンションの床に掃除機をかけていると、ベッドの下からなにやら長い木の棒が出てきたのだ。

 それはなんとも古めかしい木製の杖で、言ってみればそう、まるでおとぎ話に出てくる魔法使いが持っていそうな代物である。


「なんだってこんなモンが……?」


 もちろん、これが自分のものであろうはずがない。俺は、誰かがいつもこの杖を持っているのを見たような気もするのだが、どうしても思い出せなかった。


 俺はベランダに出て、とりあえずこの杖を窓際に立てかけておくことにした。なぜそうしたのかは、自分でもよくわからない。ただなんとなく、こうした方がいいような気がしただけだ。




 そして、その夜。もう十二時も回ろうかという時間に、オートロックの呼び鈴チャイムが鳴った。インターホンの画面に映った来客は誰あろう、針棒組の若頭補佐である雷門らいもん伍道ごどうだった。

 奴とは気の置けない親友同士ではあるが、事前連絡もなしにこの家へ来ることなどちょっと考えられない。今日は伍道も休みだったはずだが、トレンチコートに舶来物と思しきスーツを着て、いつもの洒落しゃれたストールを首に巻いている。


「伍道か? どうしたこんな時間に」

わりいな、竜司。話があるんだが、ちょいと開けてくれねえか」


 酔っぱらっている様子もなく、その表情を見た限りではとくに怪しい点もなかったので、俺は解錠のボタンを押した。伍道はカメラに向かって軽く目くばせをすると、開いたドアを通って入ってきた。



「おう、夜分にすまねえな。礼を言うぜ竜司」

「まあ、べつにかまわんが。いったいどうした? なにか組で厄介やっかい事でも」


 玄関から部屋に上がってきた伍道は、コートを脱ぎながら答えた。

「いや、組はまったく関係ねえ。いて言やあ、極めて個人的な話だ」


「個人的だと?」


「と、その前に……ちょいと邪魔するぜ」

 伍道はそう言いながら、そのまま俺の横を通り抜けてベランダの窓をガラガラっと開けた。


「お、おい!」


 そして迷うことなく、伍道はベランダの隅に置いておいた例の杖を手に取った。

「ふふっ、ようやく見つけたぜ。まさか竜司、お前が持ってたとはなあ。粗大ゴミなんかに出さないでくれて助かったぜ。なにしろ、これがないとろくな魔法も使えねえからな」


「どういうことだ? 伍道。その杖は――」


「エル・モルトン。由緒正しい、魔法の杖だ。正真正銘、


 そう言い放った伍道に、俺は例えようのない動揺を覚えた。


「なんだって? それは、エル――エル――――。そうだ、エルミヤさんの杖なんじゃねえのか!」


 俺は、自分の口から自然について出たその名前に、自分自身で驚いた。そうだ、由緒正しいエルフの魔女・エルミヤさん! いったいどうして、今の今まで彼女のことを忘れていたんだ? 俺は。


「ほおう、エルミヤさん、ねえ。まだ覚えていたか、その名前を」


「そうだ。俺は確かにこの部屋で、あのと一緒に暮らしていた」


 俺の言葉に、伍道は少し笑みを浮かべながら聞き返した。

「じゃあ竜司、ひとつ聞くがお前さん、あののフルネームって知ってるか?」


「フルネーム? …………いや、聞いたことねえ」


「彼女の名前は、エルミヤ・ライモン」

「ライモン? ――――って、ま、まさか!」



「この俺、ゴドゥー・ライモンの、実の娘だ」




 俺は、あまりのことに頭の中が混乱しかかっていた。次から次へと疑問が浮かび、口調がしどろもどろになってしまっている。

「ちょちょ、ちょっと待て! どっ、どういうことだ――――お前はいったい?」


「今まで黙っててすまなかったな、竜司。俺はこういうモンだ」


 伍道は、手にした木の杖エル・モルトンの先で自分の顔のそばを撫で上げるような仕草を見せた。すると、奴の耳がスゥっと伸びたのだ。


「その耳! ――――まさかお前も、エルミヤさんと同じ、エルフなのか?」


「そうだ。俺はハイエルフの熟練魔導師マスターウィザード、ゴドゥー・ライモンだ。こう見えて、ちょっとした有名人なんだぜ、じゃあな」


「あっち?」


「……まあ、一度に話してもどうせワケわかんなくなっちまうだろうから、順を追って説明してやるよ。とりあえず、あっちの世界の話は後回しだ」


 伍道は、リビングのソファーに腰を下ろしながら話を続けた。


「それからな、さっき言った『個人的な話』ってのは俺のことじゃねえ。竜司、お前のことだ」


「俺の、だと?」


「ああ。まあ最後にじっくり話してやる。とりあえず、そこに座んなよ。今夜はちいと長くなるぜ」


 ゴドゥーは杖で向かいのソファーの方を指しながら言った。俺は、黙って従うしかなかった。




「なあ、お前がエルミヤさんの父親ってのは本当なのか?」


「ああ。もうかなり長いこと会ってないがな。最初にひと目見てすぐにわかったぜ。まあ、あののほうはまったく覚えてなかったようだが。こっちの世界に来た時に、いろいろ記憶が飛んじまったらしいな」


「そうだったのか……」


「それより竜司よ。俺の大事な一人娘を、よりにもよって『戦闘奴隷』にしてくれてありがとうな」


「なっ、そ、それは――――いろいろ事情が………………」


 返答に困った俺を見て、伍道(本名は「ゴドゥー」だと言っていたが、どうも俺的にはしっくりこないので今後はこっちで行くことにする)はガハハと豪快に笑った。その笑い方は、紛れもなく俺が知っているいつもの雷門伍道だ。


「いいってことよ。エルミヤも、おそらく考えがあって奴隷契約を結んだんだろうからな」


 そう言いながら伍道は、常に首に巻いていたストールを初めてほどいて、その背中を向けた。もうずいぶん長い付き合いになるが、俺は伍道の首筋を今までに一度も見たことがない。


「竜司、これを見ろ。お前は、これと同じものを見たことがあるはずだ」


 奴のうなじには、まるでスーパーの商品に貼ってあるバーコードのような黒い幾筋かの模様が描かれていた。


「これは……ああ! たしかに見覚えがある。エルミヤさんの首輪チョーカーの下の、うなじのとこにあったバーコードみてえなやつだ」


 少しずつ思い出してきた。エルミヤさんと過ごした最後の夜、彼女の首に俺の指が当たって首輪がずれ、その下のうなじにこの模様があったのを俺ははっきりと見ている。それを触れてはいけないもののように感じて、俺はあえてエルミヤさんに問いただすようなことはしなかった。


「伍道、この模様はいったいなんなんだ?」


「これは『咎人とがびとの証紋』といってな。重罪人に入れられる、言わば魔法の刺青タトゥーみたいなもんだ。一生消すことはできねえし、いかなる魔法でも隠すことはできん」


「てえことはつまり、異世界でなんかやらかした重罪人ってことなのか? お前も、エルミヤさんも」


「とんでもねえ! 俺はむしろ、魔導師として命を懸けて世界を救おうとしたんだぜ。まあ正確に言うとそのやり方にちょいと問題があって、裁判で有罪になって刑を受けることになっちまったがな」


「刑ってのは?」


「死刑だ。それも、活火山の淵から生きたまま突き落とされるっていうやつな。だが、そこは俺も熟練魔導師マスターウィザードだ。次元転移魔法リディメンションって魔法を使って、火口の底に落ちる前にこっちの世界に転移してきたってわけよ。それが、こっちの世界で言うところの二十年くらい前になるかな」


「…………」


 俺は、伍道の壮絶な生涯を聞いて思わず絶句した。奴は、そんな話をあくまで軽い口調で淡々と語っている。


「それからいろいろあって……まあ、いろいろと長すぎるから省略するぜ。俺が『雷門伍道』として針棒組に入ってからは、お前もよく知ってることだ」


 伍道は、そう言いながら俺の出した茶をグッとあおった。本当はお互い、強い酒でも一杯ひっかけたいところだったが、そうもいくまい。


「さてと。ここからが本題だ。俺が今夜、ここへ来た本当の理由――――」



軍馬ぐんば竜司りゅうじ、お前の話だ」




続く



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