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第2話 仕事の話―――さぐりあい、そしてキムにおける中佐の位置

「何、切ってしまったんだ」


 旧友との逢瀬の翌日、「仕事」のために会った連絡員は、帽子を取りながら、結構驚いた顔をしていた。


「背中の真ん中までなかった?かなりお前、似合っていたのに」

「ちょっと邪魔になったからね」


 首が、少しばかり寒いけれど。

 そう言うと、ふうん、と連絡員は肩をすくめ、昼間のオープン・カフェの、彼の斜め前の椅子に座った。

 黒い長いスカートにフリルの可愛い白いエプロンを着けたウエイトレスにホットチョコレートを注文する言葉を投げると、でも久しぶり、と何気なく彼の唇に軽くキスした。

 彼は平然としてそれを受け取る。周囲も、そんな他愛のない行動には、穏やかな無視を決め込んでいるらしい。その惑星は、そういう穏やかな雰囲気が漂っていたのだ。

 海の音を、彼は思い出していた。同じ惑星の上だった。巻き付けるあの大きな手の感触を、気がつくと、考えてしまう。まだ思いは残っているというのだろうか。自分にも、相手にも。


「ま、いいけどさ。結構それはそれで似合うし」

「似合うかな」

「似合うよ」


 ありがと、と彼は短く答えた。こういうことを案外この連絡員は、照れずに言う。そういう所は彼もまた、結構好きだった。

 だがそれ以上の存在ではない。確かに、彼の属する「MM」と呼ばれるこの反帝国組織で、彼と同じ最高幹部格にあるこのキムという名の連絡員は、他の同僚よりは仲も良い。時には、ただ単に快楽を共有することもある。それは、それで楽しい。そうすることは嫌いではなかった。

 だがそれ以上ではなかった。

 この同僚が、別の地で綱渡りのような役所で任務を果たしている本命の同僚が居るように、彼にもまた、自分の心を占めてどうにもならない相手が居ることを知っているのだ。

 いや、ずっと忘れていた。それは最近思い出したことだったのだ。

 それはあの旧友ではない。

 同じ、遠い時間を知っている人物だったが、あの旧友ではないのだ。

 あの旧友をずっと好きでいられたら、どれだけ楽だったろう、と彼は思わずにはいられない。だが、そうできない自分が居ることを思いだしてしまった。

 そして、そうしたことで、自分に起きた様々なことも。

 忘れてはいけないのだ、とその偽名は、彼自身に突きつける。


「…で、今度の仕事ってのは何なんだ?」


 ふふん、と連絡員は笑顔を見せた。どうぞ、とその前にホットチョコレートがマグカップに入って運ばれてくる。ご丁寧に、生クリームがアラザンまで振りかけて乗せてあるのには、彼はややうっとこみ上げてくるものを感じた。


「最近さ、伯爵がこれに凝ってさあ」

「…あのひともよく判らない人だな」


 全くだ、と言って連絡員は生クリームを避けるようにして一口ずっ、と口に含む。彼はそんな同僚を急かさない。やや呆れている。…よくこんな甘いもの呑めるもんだ…


「…ペロン財団を知ってるよね」


 ああ、と彼はうなづく。


「ずいぶんとでかい会社だろ」


 連絡員はスプーンで生クリームをすくいながらうなづく。

 彼は記憶をひっくり返す。正確に言えば、会社、ではなく会社の集まりである。それも、帝国有数の。


「代替わりがあったんだってさ。『エビータ』の」

「代替わり」

「うん。ただし、無論公式には発表されていない。だって、『エビータ』だよ。ペロン財団の」

「と言うと?」

「お前知らない?」


 ある程度は、と彼は返した。知ってはいる。だがそれが、組織の必要とする知識の分野であるのかは彼も判らない。曖昧に言って、テーブルに頬杖をつくと、彼は連絡員の反応を見た。

 ぺろり、とキムはスプーンをなめる。


「『エビータ』ってのが、あそこの代々の当主の別名であることはお前も知ってるよね」

「そのくらいは」

「その名の通り、だいたいは女性なんだけど、まあ男である時もあるのよ。つまりはフンイキとしての『女帝陛下』みたいなもんかな」

「ふん」

「まあだいたいは穏健に代替わりするんだけど、どーも今回はそうではない」

「クーデターでも起こったのかい?」

「さあ」


 キムは大きく手を広げる。


「さあってお前」

「さてそこが問題だ」


 生クリームをホットチョコレートの中に突っ込むと、連絡員はぐるぐるとかき回しはじめる。甘ったるい香りが、鼻につくのを彼は感じた。


「そのあたりの情報が、さっぱり入ってこない」

「まさか」


 彼は同僚の顔をうかがい見る。再びカップに口をつけるキムの目は決して笑っていない。


「俺の手の者を幾らか送ってもみたのよ。あの付近で表向き働いてる奴もいるからね。ペロン財団の中で、結構な役についている奴も居る。だけど、そのどれもが、ある日いきなり、消息が絶える」


 Gは眉を大きく寄せた。


「それがただ単に、うちの人間だってばれたから、というならまだ判りやすい。だけど果たしてそれがどうなのか、確かめようと別の者を送ると、これがこれでまた、迷宮にはまったかのように、消息が知れなくなる」


 Gは目を細めた。


「お前も知ってるだろ? うちの情報網は」

「ああ」


 それこそ、帝都の中枢にまで入り込んで、…その姿を見せぬ支配者層の命をも狙おうと思えば狙えるだろう、彼らの組織の情報網。蜘蛛の巣のように張り巡らせ、入り込んでいる構成員の数。その糸の目から簡単に脱出できる奴がそう簡単に居るとは、彼には考えにくかった。

 無論買いかぶりはいけない。信用と信頼は別のものなのだ。


「で、その件をMに話したら、お前さんに白羽の矢が立ったんだよ」

「…」


 Gは苦笑する。そこでいきなり盟主の名が出るとは。彼の無言をどう取ったのか、キムはそのまま続けた。


「だから、今回のお前の仕事ってのは」

「内部に入り込めってことだろ?」

「そう。ただし、場所の限定つきだ」

「場所」

「人工惑星ペロン」


 彼は記憶をたどる。


「確かそれは、あの財団の中では、どっちかというと、プライヴェートにあたる部分じゃないか?」

「まあね。正確に言えば、居城。女帝陛下のね。でもなかなかとんでもないと思わない? だってさ、あれって昔は軍事惑星だったんだよ」

「戦争はなやかりし頃?」

「そう。お前も知ってるよね? あの時代のことは」


 ああ、と彼はうなづく。その時間の中に居続けた訳ではないが、移動し、点在する時間の大半は、戦争の中だった。

 好んでそこを飛び回った訳ではない。少なくとも表層の意識は。ただし、自分の中にある何かが、天使種としての何かがどう考えたのかは判らなかった。自分の中にはまだ自分にも判らない部分がある。


「その人工の軍事惑星を、全星域の戦争を帝国の手によって終結させた後、ペロン財団の、当時の当主、当時のエビータが買い取った。そして自分自身の城にしたという訳さ」

「無粋な城だね」

「と思うだろ」


 そして残りのホットチョコレートをキムは飲み干す。


「じゃあお前、あそこの中身は何だと思う?」

「今は軍事惑星じゃない?」

「表向きはね」

「裏では今も軍事惑星?」

「機能を捨てた訳じゃないだろ。いや問題はそれじゃないのよ。あそこは城だって言ったろ?」

「ああ」

「だから、その城には、後宮があるんだよ」


 え? と彼は聞き慣れない単語に思わず問い返していた。


「後宮。お前知らない?」

「…支配者の家族が住むところ… じゃないのか?」


 彼はあまり熱心ではなかった前時代の歴史の知識をひっくり返す。


「半分あたり。半分はずれ。…まあ今の時代にはあまりそういうとこ無いからね。やんごとない皇室にもそういうところは今は存在しないし。じゃひらたく言うさ。つまりは、たくさんの愛人を囲ってあるとこだよ」


 はあ、と彼は思わずそう答えていた。


「人間ってのは何でか支配者になると、金で愛人を買おうとする。子供を産ませようとする。まあそれだけじゃあないけどさ。ともかく、そういう意味での遊ぶ相手を、自分の家に囲っておくとこ。それが、今の人工惑星ペロンなんだよ」


 人間ではないこの同僚はあっさりと言った。


「…」

「でまあ、お前の今度の仕事はそこって訳」

「…なるほど…」

「無論入り込む段階では、そういう役ではないさ。ただ、その惑星に入った時点で、そういう可能性が出てくる、ということ」

「俺は男だが」

「そんなこと見れば判るでしょ。だけどG、その後宮の主自体が、男なのか女なのか、はたまた何処かの星系に多いっていう両性体なのか、それすらも判らないんだからさ。まあお前のこったから、何されてもそう簡単には壊れないとは思うけどさ」

「そりゃ壊れはしないけど。お前は行かないのか?」


 自分の頑丈さはよく知っている。そして命令を下した盟主は自分以上にそれをよく知っているだろう。

 だから少しだけ嫌味を言ってみる。だがキムは首を横に振った。


「面白そうだとは思ったけどさ。今回は俺ちょっと忙しいんだ」

「珍しい」

「俺は遊んでる訳じゃないのよ?最近、うちをこよなく愛する最高の天使さん達がひどくうるさいんで、掃除しなくちゃならないだって」


 seraphのことか、と彼は思う。

 そう言えば、と彼はふと思い起こす。このseraphという組織について、自分が大した知識も持っていないことに気付いたのだ。

 取り戻した記憶の中にも、その情報は多くない。記憶を遮蔽していた頃の「教育」の中にも、それは無かった。

 考えてみれば、奇妙なものである。「敵を知る」のは基本中の基本であるはずなのに、どうしてこうも自分は知らないのだ?

 そして、この連絡員もそのことについて、口に出したことはない。それは自分が知っていると思っているからだろうか。それとも、知らなくていいと思っているのだろうか。

 いやそれは違う。彼が生きているこの世界においては、「知らない」ことは命取りになることが多い。特に同業者については。

 彼は少しばかりかまをかけてみる。


「じゃ、今度はお前は何処なんだ?」

「惑星ゲラン。そのあたりで連中がうちの構成員をずいぶんとスカウトしているらしいんだ」

「ゲラン、ね」


 あまり馴染みの無い惑星だ。


「何でそういうことをやらかすんだろうね」

「そりゃまあ、奴らがうちと敵対するから、だよ」

「?」


 何かが、少しばかり彼の感覚をひっかいた。何処かで似た論法を聞いたことがあるような気がする。何処だったろう。


「でもあれも、大きな敵はうちと同じなんだろう?」


 帝国、という大きな敵。果たしてそれを打倒することができるのか、それすらも判らない大きな「敵」。


「看板としてはね…」


 キムは言葉を濁す。看板として。では大義名分はどうあれ、あの組織の本当の目的は違うというのだろうか。Gは目を細める。


「ま、でもそれは俺が言うことじゃないよ」


 キムはそんな彼の表情に気付いたのかどうなのか、あっさりとそう結論づけた。


「俺にかんぐりを入れるのはまだ早いってば」

「…気付いていたのかよ」


 Gはやや口を歪めた。その様子を見て、キムは長い栗色の髪の毛をかきあげた。


「それはさ。俺が言うことじゃないの。少なくとも俺は、お前には言うな、と言われてる」

「…」


 その言うなと言った人物は。


「判るだろ? 誰なのか」

「…ああ」


 長い黒髪の、あの麗人の姿が瞼の裏をよぎった。彼らが盟主、彼のかつての「司令」。反帝国組織MMの、全ての頂点に立つ、盟主M。

 天使種の、偉大なる第一世代。やんごとなき皇室とも関わりがあるらしい、その存在は、彼ら最高幹部以外には確認されていないとも言える。

 あのひとは一体何を考えているのだろう。

 それは彼にとって、進めたくない疑問だった。だが忘れてはならない疑問だった。

 何故なら、彼の最初の罪を犯させたのは。


「じゃ話を変えよう」


 どうぞ、とキムはやっと笑顔を見せる。


「その質問以外だったら、俺は答えましょ」


 禁じられてはいないのだ、とその言葉の中には含まれている。それだけは禁じられているのだ。キムはそれを言うことで、機能の一部を壊されかねないのかもしれない。

 ではそれ以外なら。


「下世話な質問、してもいい?」

「珍しいね。どうぞ」

「お前どうして中佐が好きなの」


 え、とさすがにそれは予想外だったらしく、キムの表情は止まった。


「他の質問には答えてくれるんでしょ」

「嫌がらせ?」

「嫌がらせ」


 ゆったりと言うと、彼は頬杖をついたままふふ、と笑う。そのくらいの意趣返しはしてもいいではないか。これはあくまでプライヴェイトに関することだ。下世話な、実に下世話な興味に過ぎない。


「どうしても俺に聞きたいの?」

「答えるって言ったのはお前だよ」

「いじわる」


 キムはそう言って軽く人差し指の爪で自分の頬をひっかいた。

 爪を見ると、彼はあの中佐の鋭く、長いそれを思い出す。

 真っ赤な髪と、金色の瞳を持つ、戦闘用サイボーグの、帝国正規軍の中佐。正規軍の軍警に属しているくせして、彼らの組織の最高幹部格だったりする。

 いやその逆か、とまだ言葉を探しているキムを眺めながら彼は思い返す。

 盟主は自分の手の者を軍警に送り込んだのだ。そして組織の人間を取り締まらせて、その仮面に隠れて、もう少し上の敵や、内部の裏切り者を葬らせる。

 キムが盟主の「連絡員」だとしたら、中佐は「銃」だと聞いたことがある。

 この二人が何処をどうしてそういう関係なのか、Gは知らない。だがその呼吸の合い方には、やや羨ましいものを感じる程、奇妙な穏やかさを感じるのだ。

 だから下世話とは言え、なかなか興味深いものであったのは事実なのだ。


「んーと」


 ようやくキムは言葉を見付けたらしい。彼からは目をそらしながらも、長い髪を手でもてあそび、時々小さな一房を編んだりしている。そういえば、その昔このレプリカントに髪を編むことを教えたのは、自分だったはずだが。


「ほらこっち向いて」


 意地悪な気分が、彼の手を動かす。ぐい、とキムの顔をGは自分のほうに向かせた。ぺん、と連絡員はその手を軽く打った。


「あのさ」

「うん」

「あのひとは、俺をいつか殺してくれるからだよ」


 え? と彼は、思わず問い返していた。キムは同じ言葉を繰り返す。テーブルに左の肘をつくと、連絡員は、目を半ば伏せる。


「俺がしばらく人形だったことは言ったろ? お前と、あの惑星で離れたあと」

「…ああ」

「レプリカントは負けて、俺は人形になって、それからMに拾われるまで、ずーっとそうだった。俺はもうああなるのはやだ」

「…お前」

「だから俺はMに言った。再起動させてくれた時、今度どっかの惑星で、Mの手の届かないとこで捕まってまた人形にされてしまった時には、俺を殺してくれって」


 でもそれは、笑顔で言うべきことじゃないと、思う。


「だってもう何処にもレプリカはいないんだし、ってね。だけどさ」

「…だけど?」

「レプリカは居たんだ。遠い惑星に。とりあえず俺はそれを頭においておけば、生きていけるけど… だけどもし、本当に、また、人形になるようなことがあったら、そんときは、あのひとが、殺してくれる。俺という存在を完全にばらばらにして、消し去ってくれると言った。約束した」


 胸が痛い、とGは思った。

 確かあの時会ったレプリカントは、自分にそんなことは言わなかったはずだ。とにかく生きて、とにかく戦って、やったことの是非は自分達が決めることではない、と言い切ったはずではなかったのか。


「…でもあのひとは、それでも俺を再起動させに来るんだよ?」


 くくく、とキムは口の中で笑う。


「ある一定以上の時間が、機能停止からかかる前に、あのひとは、何か、飛んでくるんだよ。何処に居ても、何してようと。…ねえ俺って、幸せものだと、思わない?」


 何と答えていいものか、彼には判らなかった。

 ひとしきり、沈黙が続いた時、どちらともなく、口を開いた。


「…仕事の話をしようか」

「そうだね」


 キムはうなづいた。


「だからお前さんの仕事は、そのエビータと会って、できるだけこっちの味方につけること、なんだよ」

「相変わらず曖昧な命令だね」

「それが俺達の立場って奴でしょ」


 最高幹部なんて名をもらっているからには、とキムは言外に含める。


「曖昧だけどそれを遂行するための権限だけは大層な量、俺もお前も与えられてるんだから」


 だから成功させなくてはならないんだ、と言葉の裏に、盟主の影が見え隠れする。


「それに、同じことを考えてる同業者は多いはずだ。今行くと、きっと、同業者の、しかもエキスパートの吹き溜まりだ」


 なるほど、とGはうなづいた。

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