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第21話 ディックへのナガノからの最後の伝言

 や、と約束の場所でディックが手を上げているのを見たので、サァラもまた、手を振った。小走りに近づくと、今朝仕事に出る時とはうって変わって、よそ行きの格好になっている。もっともディックのよそいきなのだから、たとえそれが穏やかな色合いのスーツでも、何処かくたくたくに着崩してはいるのだけど。


「どうしちゃったの? いきなり外で食事しようって」

「うん、ちょっとね」

「ちょっとねちょっとね、ってディック」


 そして彼女は自分自身のあちこちに目を走らす。


「そういう格好をする様な所に行くならちゃんとそう言ってくれないと困るのよ? んもう、それに私卿仕事帰りだから……」


 そうだな、と言いながら、ディックは彼女の手の中にあったデザイン帳や資料の本が入ったバッグを採る。


「……ねえ、別に私怒ってる訳じゃないのよ?」

「うん判ってる。でも、どうしても、今日はそうしたかったから」

「……」


 彼女はいつもと違う相手の口調に戸惑う。毎日一緒に暮らしている相手なのに。

 いや、毎日一緒に暮らしている相手だからこそ、戸惑うのかもしれない。出会った時ではなく、出会ってしばらくしてから、相手の一つ一つの挙動にときめいた時の様に。


「……うん、そっちまではいいわよ」


 小さなバッグまで持とうとした彼に、サァラは首を横に振る。


「それより、何処で食事するの?」

「ん。ちょっと……」


 こっち、という様に、彼は空いた方の手を彼女に差し出した。



 店は待ち合わせの場所からはそう離れていなかった。時々二人で行く様な店と雰囲気はよく似ていたが、彼女がまだ入ったことの無い店だった。

 上が丸くなった扉をくぐると、少し高い、白いごつごつとした天井が彼女の視界に入った。入り口と同じ形をした、オレンジ色の枠取りをされた窓。壁にはやはりその色の灯りがぽつぽつ、と点る。

 決して空いてはいない店内を、ディックは迷わずに一つのテーブルへと進んで行く。そこには既に一人の女性が席についていた。彼が席を間違えている訳ではない。では知り合いなのだろうか。

 丸いテーブルには四つの椅子があったが、その一つに荷物を置き、ディックは彼女に座る様にうながした。二人が座るのを見計らったかの様にウェイターがオーダーを取りに来る。そしてゆっくりと一礼して下がったのを確認すると、ディックはサァラに向かって言った。


「紹介するよ。これ、俺のおふくろ」

「お…… かあさま?」


 唐突な言葉に、サァラは思わず口を押さえる。


「アナ・Eです。よろしくサァラさん」

「こ、こちらこそ……」


 にっこりと笑うアナに彼女は思わず全身から汗が吹き出るのを感じる。


「実はこのひと、今度近くに…… と言ってもさ、隣りの隣りのコロニーなんだけど、引っ越して来るって言うんで、……で、まあ、どうせなら、俺もサァラに一度会わせたいなあ、と」

「逆でしょう? あなたの可愛い奥さんを私に見せたいのじゃなくて?」


 くすくす、とアナは笑う。ディックは馬鹿やろ、と「母親」を軽くこづく。


「……えー、……だからさ、ついでに…… って言うと何だけど」

「何?」


 もう何言われても驚かないぞ、とサァラも思う。


「籍入れない?」

「は?」


 さすがに彼女も、それには驚いた。今の今まで、そんなこと決して口にされたことはなかったのだ。一緒に住んで、楽しくて、それだけで充分だとは思っていたけど。


「……だけど、それは……」

「だから、このひとも連れてきたんだってば。……仕事の方でも、お前、ちゃんとこっちの籍あった方が、楽になるし」

「それはそうだけど」


 あれから彼女は、何とか、プレイ・パァクの関係の仕事の端にありつくことができた。彼女の熱心さは、周囲のスタッフの中でも評判が良かったし、嫌味のないデザインのセンスは、強烈とかインパクトという言葉とは無縁だったが、遊園地の中で、誰もが使う場所には欠かせない部分だった。

 この仕事の場所は自分に合っている、とサァラは満足していた。だが、その仕事は永遠ではないこともまた、彼女はよく知っていた。いつか、この集団は解散するだろう。そして今度は、自分でも大きな仕事を探すのかもしれない。

 そんな時に、ちゃんとした戸籍があるのと無いのとでは、信用に格段の差がある。


「でも、何で今なの?」


 何でかな、とディックは曖昧に笑った



 嘘だろ、とその時ディックは思わず椅子から立ち上がった。


「嘘じゃない」


 夜時間になってからやってきた男は言った。シェドリスが行く前に通信で話していた男。オリイの同居人だと言っていた男だ。

 何だって、この男が、そんなことを告げるのだ、とディックは訳の分からない苛立ちを覚えた。


「サイドリバー監督は、病院の方へ行っている。後で君も行ったほうがいいかもしれない」

「……あんたは、いいのかよ」

「俺は、君に言わなくてはならないことがある」

「俺に……?」


 ディックは再び椅子に腰を掛けた。だが鷹は勧められても椅子には腰を下ろさず、端末に向かうとそれを立ち上げ、その中にメ・カを入れた。

 何をするのだろう、とディックは椅子を動かし、明るくなる画面に視線を移す。


「俺は君にこの女性のことを頼んでくれ、と言われた。君はこの女性のことを知っているかい?」

「女性?」


 再び彼は立ち上がると、画面をのぞき込んだ。ああ、と彼はうなづいた。アナ・Eに関する調査書だった。

 その昔、彼女がこの地に流れて来る前の居住地や、その家族についても、事細かに記してある。


「……いつの間にこんな……」

「奴も優秀な男だったからね」


 過去形で言うのか、とディックは今更の様に、その言葉が重く感じる自分に気付く。先程から、言われたことに実感が湧かないのだ。

 無論自分は元々のディックではない訳だから、彼との昔馴染みの記憶がある訳がない。それでもここしばらくずっとシェドリスと仕事をしてきて、彼という人間に親しみを感じていたのは事実なのだ。

 だから、これからも上手く付き合っていければいいな、と感じていたのだ。彼がここの仕事を終え、この地を立ち去ったとしても。

 なのに彼はいなくなってしまった。疑問だけを残して。

 サイドリバーは彼をナガノと呼んだ。ナガノ。ナガノ・ユヘイ? いやそんな筈はない。ナガノ・ユヘイだったら、サイドリバーと対して変わらない年齢のはずだ。

 シェドリスがサイドリバーとこの場を立ち去ってから、ディックの頭の中を、疑問符が飛び交っていた。自分は彼のことを知らなかった。それでも構わないと思っていた。

 だがその時、初めて彼は、この「幼なじみ」のことを知りたいと思ったのだ。本当のことを。


「奴は優秀さ。だけどそんな時間無かったはずじゃないか。ずっとこの計画に打ち込んでいたんだから」

「だけど奴はここのことをはなから知り抜いていたからね。それに、君がディックではないことも、奴は知っていたさ」


 彼はその時、頬からすっと血が引くのを覚えた。なにを、と口が動く。


「彼は、シェドリスを名乗った時に、自分を偽物と気付かない君は元々のディックではないこと位、気付いていたよ」

「どうして……」


 ふらふら、とディックは頭を横に振る。最初から、知っていたというのか。だが次の言葉は、彼を更にぐらつかせた。


「本当のシォドリス・Eってのは、女なんだよ、ディック」

「は?」


 鷹は苦笑する。


「……D伯の孫のシェドリス・Eは、向こうに少年と間違われて引き取られた。いや、その時、母親がもしかしたら、男として差し出したのかもしれない。相続の関係があるからね。そのあたりはよく判らない。とにかく、シェドリスという少女は、祖父の所に引き取られる時に、少年とされていたんだ。公式資料にも男となっているはずだが」

「確か、ホッブスさんは、今のあの姿を見て、俺にあれはシェドリスだって言ったんだよ…… 彼は昔のシェドリスだって知っていたはずだ」

「騙されたんだよ」


 さらりと鷹は言う。だがそれ以上は言わない。シェドリスの死んだ原因は彼等にあることを。


「そうなのかもしれないな」


 自分の声が奇妙に乾いていることにディックは気付く。


「きっと騙しやすいと思ったんだよな」

「いや、そうじゃないさ、君には言いたくなかったんだろ」

「……何を」


 鷹はそれには答えなかった。そして別の話を切り出す。


「少女のシェドリスは、祖父の所に引き取られたはずだった。だが与えられた別邸で、彼女は出奔し、そしてその道中でコロニー群の攻撃に巻き込まれた。……さて、ここからは、俺の口からじゃ言いにくいな」


 そして端末から別のソフトを立ち上げる。すると、画面にはシェドリスの姿が映った。

 さてここで、と彼の口が開いた。



「あのさサァラ、ホッブスさん、いきなり店畳んだんだ」


 唐突な話題の転換に、彼女はややきょとんとした顔になる。


「へえ、そうなんだ…… だけどそれが?」


 彼女はディックほどにあの店には用事は無かったので、ほとんど面識が無いと言ってもいい。


「いや、だからどんなものでもずっとそこに居るっていうのは難しいことなんだろな、と思ってさ」

「それで?」


 彼女は苦笑する。そして単純だ、と言ってやろうかと思ったが、そばに「母親」が居るので遠慮する。アナはにこにこと二人の様子を見守っている。


「うん、いいわよ。あなたがそういうなら、これからよろしくお願いします。お母さま」

「そう呼んでくれで、嬉しいわ、サァラさん」


 アナはそう言って、サァラの手を取る。ディックは軽く目を伏せる。



『きっとこれを見る様な時には、僕は既にこの地にはいないことだろう。できれば見ないで破棄してしまうことが望ましいが、もし君が見ていたら、僕は言わなくてはならない。済まなかった、ディック』


 ちょっと待て、とディックは眉を強く寄せて。


『僕は君の幼なじみということにしていたシェドリスではない。本当のシェドリスは別に居て、しかも、それは女性だ』


 嘘だ、と鷹に言われた時にはすぐに思った。だが。


『僕がこの地に再びやってきた時、誰かしらの名をかたる必要があった。今から数年前のことだ。戦争が終わるか終わらないか、という頃だった。

 僕はその時シェドリスでもなかったし、そしてかつてこの地で名乗った名前も使える訳ではなかった。何故なら、その名前はこの地では知られすぎていた。だから、別の名を使う必要があった。

 極端な話、誰でも良かった。その名前の人物が、生死不明であるのなら。

 そんな時に、僕は一人の女性に出会った。彼女はコロニーの攻撃の時に巻き込まれたらしく、何処へ行けばいいのか判らない様子だった。彼女は自分がシェドリス・Eだと名乗った。……本物のシェドリスだ。

 だが彼女は混乱していた。その名を出せば、祖父であるD伯のもとへ謝礼欲しさに連れて行ってもらえるのは判っているのに、それは困ると言った。では名前を出さなければいいのに、と思ったが、何故かそれを言わずにはいられない様だった。

 僕はそれがひどく気になって、彼女に催眠をかけて、何があったのか詳しく聞き出した。僕にはその程度の能力はあった。僕の種族的な能力はそう多くはない。だが、その程度にはあった』


 種族的な能力? ディックは首を傾げる。その疑問に気付いたのか、鷹は口を挟む。


「彼がナガノ・ユヘイだってことは、君も気付いたんじゃないか?」

「だけど…… それにしては若すぎるんじゃ……」


 そしてそこまで言った時に、彼ははっとした。若すぎる。歳をとらない。


「天使種……」


 そして腕を組みながら画面を見据えている鷹をも彼はまた見た。


「……あんたも、そうなのか?」

「さてね。それよりどんどん進むよ」


 慌ててディックは画面に集中した。


『彼女は、D伯の別邸から逃げ出してきたのだ、と言った。と同時に、D伯が自分にどんなことをした悪い人間であることを主張したい、という気持ちを持っていた。その二つが、彼女の中で渦巻き、ひどく彼女を混乱させていた。

 彼女は何も知らずに祖父に会えるのだ、と思ってD伯邸に出向いたのだという。だがそこではどう間違いがあったのか、シェドリスは男子である、という報告がD伯にはされていた。伯はその報告の方を信じた。だから当初彼女は全くの偽物で、名を騙る不届きな者とされそうになっていた。だが一応目通りは許されたらしい。

 何が何だか判らないうちに、彼女はD伯の前に通された。少年と言われれば少年にも見えた。そして何よりも、彼女は母親に良く似ていた。母親の名はアナと言った。アナ・Eだ』


 は? とディックは思わず声を上げていた。彼女が待っている「娘」とは、本物のシェドリスだ、ということなのか?


『母親が間違った報告をしたのか、それとも意図があったのか、取り違えられたのか、そのあたりは判らない。D伯は、アナの娘とは認めたが、自分の孫娘だとは認めなかった。

 ただ、その時には伯は自分の孫息子だと認めたらしい。少年として通せ、と彼女に言ったらしい。そして別邸を与えて住まわせた。

 ただし、その後がいけなかった』


 画面の中の彼は、声の調子を落とす。


『彼女は少年の様に見えたが、と同時に、若い頃のアナとよく似てもいた。そして彼は、彼女を自分の孫とは思っていなかった。……そして、彼女は祖父に犯されたのだ』


 ごく、とディックはつばを呑み込む。それって。


『彼女は訳が判らなかったらしい。その時彼女が生娘であったかどうかまでは判らないが、とにかく、祖父と名乗った人物が、わざわざ別邸を与えて、そしてそんなことをするのが、理解できなかったらしい。

 でもそうは言ったところで、その館の持ち主であるところの人物に抵抗はできなかった。少女は大人の男をはね除けることはできなかった。

 そこで彼女は自分が何であるのかだんだん混乱していく。D伯はアナの娘が気に入ったらしく、たびたびやってくる。彼女は更に混乱する。D伯は祖父だと名乗る。そんなこと信じていない。そして彼女をそこらの女と同じように抱く。彼女はどんどん混乱していく。

 そして彼女はある日その別邸から逃げ出した。もうその時、彼女は混乱の極みに居た。殆ど着の身着のままで、チューブを乗り継いでコロニーの方へ向かったらしい。彼女自身もその辺りははっきりしていないが、チューブは、切符を買うのが比較的容易だからだろう。

 行くべき場所は一つしかない。彼女はルナパァクへ帰りたかったのだ。母親のもとへ。

 だがそこで、彼女は攻撃に巻き込まれる。

 僕が出会ったのは、それからしばらくした頃だ。彼女は混乱した頭のまま、街で男達に絡まれているところだった。これは偶然だよ、全くの。ただ、助けたのは、彼女の口からシェドリスの名が出たからだった。でなかったら、僕は無情にも彼女を見捨てていたことだろう。サーティンから僕はシェドリスが行方不明になっていることは聞いていた。だから、彼女を捕まえておけば、切り札になるかもしれない、と考えた。ところが、だ』


 画面の中の彼は苦笑した。


『情が優先してしまった。情けないことにね。僕は彼女の記憶を封印し、ルナパァク行きの輸送船に乗せてやった。その後彼女がどうなるかはどうでもよかったが、少なくとも、そこに居るよりはましだろう、と思った。

 そして彼女には別の名をつけた。シェドリスというのは、遠い昔の子供向けの物語に出てくる少年の名なんだ。下町で育った少年が、実は貴族の子供だった、なんて話の。だから僕はそれと同じ作者の、逆に父親の死で突き落とされる。サァラという』


「何だって!?」


 ディックは思わず叫んでいた。


『……さてそこからは君も予想がつくだろう?』



 ああ全く、とディックは運ばれてきた料理に口をつけながら、その時のことを思い出す。

 目の前では楽しそうに話している彼女とアナの姿が目に入る。



 病院でシェドリスの遺体に別れを告げた後、サイドリバー宅に監督が遅くなる旨を告げるついでに、アナに本当の娘が見つかった、と報告したのはディックだった。

 シェドリスが事故で亡くなったことを言ってから、彼から頼まれていたことだから、とディックは自分の聞いた通りのことをかなりかいつまんで伝えた。

 ……いくら何でも、自分の祖父に疑われ、その様なことをされたなどというのは、男の息子の妻であり、娘の母親である女性には言いたくはなかった。

 辛いことがあったのね、とアナはうなだれて話を聞いていた。

 このひとにも記憶の混乱傾向はあった。ここのところはサイドリバー家の健康的な空気に馴染んだせいか、安定しているらしいが、おそらくはサァラもその体質があったのだろう。彼は納得する。

 そして二人で、彼女に対してどうすればいいのか、話し合った。アナはディックが娘の恋人で同居人であることを、案外あっさりと喜んだ。

 そして彼女はこう提案した。


「では私があなたの母親と名乗りましょう」


 それでいいのか、とディックは訊ねた。自分には帰る場所も、家族もない。誰が家族の顔をしていても構わない。だが彼女は。


「いいのよ。だってあなたの母親だったら、あの子の母親になれるでしょう?」


 あ、と彼は首を縦に振っていた。


「それとも私の娘ときちんとした形にはならならいつもり?」

「いえ、そんな訳では……」


 では決まりね、とアナは笑ってみせた。



 その時の様にアナは、笑いながら娘と話す。ただし決して昔のことなど口にはしない。

 もしもそれでいつかゆっくりと記憶が取り戻せたなら、それはそれでいい。その時に改めて自分が母親であることを告げればいいのだから、と彼女は言った。

 ただそれだから、多少彼等は離れて暮らす必要はあった。近くに居すぎると、下手にサァラを刺戟しかねない。

 アナには他のコロニーにシェドリスが他の立ち退き民同様、移転先を用意してあった。そこに住み、会いたい時にチューブに乗ってやってくればいいのだ。このウェストウェストは、人々が簡単に行き来するためのチューブが整備されている。

 それは嘘の上に成り立つ平和かもしれない。真実を追うジャーナリストのはしくれとしては、間違っているのかもしれない。

 だけど、とディックは思う。

 目の前のサァラは楽しそうに話す。今度ちゃんと部屋が調ったらいらっしゃいな、とアナは言う。私の手料理を食べて欲しいわ、と。きっとあの味はサァラもよく知っているだろう


『でもねディック』


 そしてあの彼が、最後に言ったことを思い出す。


『その物語のヒロインは、最後には幸せになるんんだよ。自分を本当に捜していた…… 待っていた人のところに居場所を見つけて』


 そうだね、とディックは思った。

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