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第15話 少女時代のユエメイ、サンドに教会まで送られる

 その調子で、次第に薄くなる三杯の紅茶を飲み干した後、ようやく子供はカップをGに手渡した。


「あ… ありがと…」

「お腹は、空いている?」

「そうでもない」


 公用語だった。しかしどうも発音がおぼつかない。母語ではない。後で覚えたものだろう、と彼は判断する。


「じゃあ後で、君が食べられそうなものでも買って来よう。欲しいものはある?」


 子供は首を横に振る。


「そう。じゃあ俺が何か見繕ってくるよ。ところで一つだけ、君に聞いてもいい?」


 うん、と子供はうなづく。


「ここは、何って惑星? そして今は何年?」


 途端に子供の目に怒りの様なものが走る。からかわれているのではないか、と思ったのだろう。


「ごめん。でも至って俺は真面目なんだ。正直、今がいつで、ここが何処だか判らないんだ。君は、知っている? 知っていたら、俺に教えてくれない?」


 できるだけゆっくり、優しく、彼は問いかける。そんな声が、口調が、子供であれ、効かないはずが無い、と彼は思っていた。信じていた。経験からくる自信がそこにはある。


「…735年。…ここは、3-18」

「3-18?」


 子供はうなづいた。

 惑星3-18。確かそんな名前の場所があったことは、彼も記憶している。

 数字が惑星の名前についている星系。クーロン。

 元々そこは居住可能な惑星ではない。小惑星帯の中で、重力がたまたま上手くはまったものに設備を付けて、一つ一つに番地を付けた、星系というよりは、むしろ、コロニー群に近い。

 だとしたら、公用語も北京官話も話されている理由は判る。このクーロン星系の中でも、ナンバー3を付けた番地では、北京官話がまかり通っているのだ。

 一つの暗号言語として。


「君はずっと、ここに住んでいるの?」


 今度は自分のための茶を口にし、彼は問いかける。子供は首を横に振る。


「近くの、3-14に、住んでたの。けど、壊れたから」


 壊れた、ではなく、壊された、のではないだろうか。彼はたどたどしい子供の言葉をそう読みとった。


「それで、3-18に売り飛ばされた?」


 ぱっ、と子供の顔が上がる。身構える。Gはカップをワゴンに置くと、両手を挙げた。


「…ああ、そんなに怖がらないで。俺も、そう長い時間、ここに居る訳ではないから… ただ、今がどういう世界なのか、ちょっと把握しておかなくちゃならないから」


 言ったところで、意味が通じるとは思っていない。実際、子供は首をひねっている。


「OK、こうしよう。今このあたりが、どういう状態なのか、君が教えてくれたら、俺は君に一宿一飯で恩を返す」

「それだけで、いいの?」

「俺にとっては、大事なことなんだ」


 彼はにっこりと子供に微笑みかける。途端、子供は真っ赤になった。

 そう、大事なことだった。何処に飛ぶにしても、とにかく位置を確かめることから活動は始まる。


「俺はサンド。サンド・リヨン。君の名は?」

「ユエメイ」


 こう書くの、と子供は彼の手を掴んで、月梅、と漢字を並べた。ユエメイ?

 何処かでその名前は聞いたことがある、と彼は思った。何処だったろう。記憶をたどる。急には思い出せない。

 ただ一つ言えることは、その名前は、…少女のものだ、ということだった。



「14に家があったの」


 近くの屋台で買ってきた粥と杏仁豆腐を交互に口にしながら、ユエメイは問われたことを話し出す。


「でも、14が壊れたから」

「それ、壊れたの? 壊された、ではないの?」


 もう少し実のあるものを、と彼はあつあつの肉饅頭を口にしていた。


「壊れたの」


 どうやら譲る気はないらしい。


「その時に、母さんも父さんも見えなくなってしまったから、とにかく、誰か、大人にくっついてたら、この18まで連れて来られて」

「売り飛ばされた、と」

「うん」


 ユエメイは黙ってうなづいた。


「その売り飛ばされた先で、…何か、強い匂いのするものを嗅がされた?」

「強いにおい?」


 ほら、とGは彼女の骨張った手を取った。そのことか、と気付いたらしい。


「うん。行った先で。でも一度だけだよ」

「一度だけ?」

「うん。気持ち悪くなって、吐いちゃったから。その代わり、何か知らないけど、しばらくごはん食べさせてもらえなかったけど」


 なるほど、と彼は思った。このやせ方は尋常ではない。

 「売られた子供」の使い道は色々あるが、少女であるなら、その大半は身体を売ることに回されるだろう。それが一番金になるのだ。少年もそれなりの需要はあるが、それでも少女に比べれば多くは無い。


「綺麗じゃないし、だったら、高いアレを使うことない、って誰かが言ってた」

「それは君、幸運だったよ」

「そうなの?」

「そうだよ。君の手についた、そのにおい。その匂いを出すものが欲しくて、人殺しする奴だって、世の中にはたくさん居るんだから」

「ふうん。でもそうだよね。見たことがある」

「あるのかい?」


 うん、と彼女は匙を置く。まだどっちの腕にも半分以上残っている。

 それ以上、胃に入らないのだろう。胃が縮みすぎていて、どれだけ頭が食べろと命令している様に見えても、胃の方が拒否するのだ。


「上の階のお姉さんが、きれいなひとだったの。でもいつも、あのにおいがしてて、下のあたし等の部屋までぷんぷん匂ってきたの」


 匂いが漂う程度では、中毒までは引き起こさない。焚かれている煙を至近距離で吸うことが必要なのだ。


「いつも?」

「いつも」


 ユエメイはうなづく。


「あたし達、お姉さん達のように使われないこども達は、狭い部屋にぎっしり詰め込まれてたから、その匂いがやだって言っても仕方なかったし」

「でもよく逃げ出せたね」

「お姉さんが、刺したから」

「刺した? 誰を?」

「あたし等を、連れてきたひと。お姉さんが、何だかいきなり、叫び声を上げて、りんごをむくナイフを持って」


 こんな風に、と匙を逆手に持ってみせる。


「すごい早口で、違う言葉を言ってた」


 違う言葉。


「それは、君が知らない言葉だった、ってこと?」


 公用語でも、北京官話でも無い言葉。例えば辺境の星域、ノーヴィエ・ミェスタではキリル・アルファベットを使用する言語が使われている。

 辺境では、時々そんな、公用語以外の言語が残っている所がある。最初の移民の中心地域と、その地域が「辺境」であり、帝都本星を中心とした文化圏から遠く離れていることが理由であることが多い。

 すると、そんな場所から女をかき集めていたということだろうか。


「お姉さんはそのまま『連れてきたひと』を刺して、スリップに血がべっとりついたまま、ほかの階にも駈け上っていったの」


 興奮状態と、普通でない力。

 亜熟果香の禁断症状だった。それが「身体を損なう」ことでないのか、と問う者が確か医師団体の中にもあったが、意識の開放と潜在能力の発揮、とかいう言葉に置き換えられ、見逃されている事実の一つである。

 この状態になった時、運動能力が著しく上がっているので、おそらく普段は非力だった女性でも、その様なことができたのだろう。逆に言えば、そうなるまで、その女性は亜熟果香を用いられてきたということなのだが…


「それからどういうことがあったのか判らないけれど、開けっ放しになっていた扉がぜんぜん閉まらないし、何か、上で悲鳴とか聞こえてくるし、怖くなって、あたしは窓から逃げたの」

「窓から?」

「屋根が近かったから、屋根に降りたの。とても怖かった。高くて。でも」


 このままだったら、ごはんをほとんど食べさせてもらえないままこき使われて、自分が衰弱して死んでしまうだろうことを、身体が気付いていた。


「あの辺りには、屋根のある様なところは無かったはずだけど…」

「隣の町にはあるの」

「隣の町から歩いてきたの?」


 彼女はうなづく。


「できるだけひるま、こっそりと動いたの。通りの裏だったら、朝、残飯もあったし。でも何か、気持ち悪くて、せっかく口に入れても、半分吐いちゃうんだけど」


 それはそうだ、と彼は思う。残飯をあさって食べて平気な胃は、それなりに慣れとか耐性が培われている。弱った胃では無理だろう。


「すごく、久しぶり。こんなおいしいの」


 そう言って、一度置いた匙をユエメイはもう一度取り上げる。


「だったら、良かった。でも無理して食べなくてもいいよ」

「でも」

「急に入れると、また吐く」


 そうだよね、と彼女は大人しく匙を置いた。


「あのね、サンドさん」


 急に顔を上げる。


「あなたは本当に、人間?」


 ぐっ、と彼は思わず口に入れた饅頭を詰まらせそうになる。


「な、何を言うんだよ一体」


 慌てて紅茶を口にする。懐にあったティーバッグを使っているのだが、何のへんてつもある味ではないのに、口が結構さっぱりとする。


「だって、光が」

「光?」

「疲れたから、座ってたの。そしたら、何か、光が射したから、おどろいて、見たら」


 なるほどそんな風に見えていたのか。Gはあらためて客観的に見た時間遡航の着地時を認識する。

 たいがい時間と空間を飛んだ時というのは、生命の危険が伴っているし、その移動自体に体力と精神力をこれでもかとばかりに使っているので、移動した場所に出現する時には、意識が無い場合が多いのだ。

 ましてや人から見える姿なんて。

 彼は苦笑する。そんな理由をこの子に話したところで仕方が無い。


「俺は人間だよ、ユエメイ。ただちょっと、…少しだけ、他の人間とは、ずれているけれど。それでも、人間だと、思うよ」


 ユエメイは一瞬軽く首をかしげ、やがて小さくごめんなさい、とつぶやいた。


 君が謝ることじゃないんだ。


 Gは内心つぶやく。ただ自分でもそう言ったことには驚いていた。自分は人間だ。

 何故そう思うのだろう。今までずっと、自分は人間ではない、と思っていた。思ってきたのだ。人のフリをしているが、決して人間であるとは思ってはいなかったはずだ。


 何故だろう?



 一宿一飯で恩を返す、と言った。だがこの場所と今の時間についてに過ぎない。


「心あたりはない? 親戚とか」

「ないの」


 少女は小さくつぶやく。


「聞いたことが、ないの」


 訳ありなのだろう、と彼は思う。少女はやせすぎのあたりをさっ引いて考えれば、もう十歳かそこらに見える。そのくらいの歳の子だったら、近くに親戚がいれば、どこに住んでいるかくらいは話しているだろう。

 だったら、それをしたくない理由があったのだろう。

 この街だったら、それもおかしくはない。Gは思う。

 少女を連れて、翌日はもう、外に出ていた。少なくとも、少女が逃げ出した街からは離れる必要があった。

 それにしても。彼は思う。空が何処にあるのだ、と言いたくなるくらいに、壁と窓ばかりが視界に立ち並ぶ。

 いつの時代に作られたのだろう、曲線の多い、過多な装飾がなされたエントランスはある一時代の夢を思わせる。

 なのに階上の窓という窓には、色とりどりの洗濯物が干され、時には張り出した窓に鉢植えの花が置かれ、この場所の現実そのものを見せつける。

 では何処にこの少女を送っていこう。正直、まるで考えが浮かばなかった。


「ねえ、サンドさん、別に、もういいよ。ごはんと、一晩泊めてもらったし」

「でも君は、俺にもっとたくさんの情報をくれたろ?」


 それはそうだけど、とユエメイは恥ずかしそうにうつむく。少女がどう言おうと、情報は必要なのだ。どんな場所でも。


「…じゃあ、教会に連れてって」

「教会?」

「この街に逃げてきたのは、そのためだったの」


 教会。彼には耳慣れない単語だった。


「それは、どういうものなの?」

「あたしも、良くは知らない。けど、助けてくれる場所みたい」


 助けてくれる場所? 


 彼は眉をひそめる。どうもあの惑星ミントの、くだもの患者が打ち揚げられてられていた薄暗い場所が連想されてしまう。それとは違うのだろうか。


「…そう、じゃあひとまず、そこを訪ねてみようか」


 とりあえずそう決めると、彼は通りの屋台や、道に座り込む若者に、「教会」の場所を訊ねた。ああ、という言葉とともに、皆同じ方向を指す。どうやらそれは隠された場所ではないらしい。


「そう遠くはないようだね」


 よかった、とユエメイは笑う。

 あ、と彼は胸の中でぽん、と明るいものが弾けるのを感じた。そう言えば、この少女が自分の前で笑うのは初めてだったのだ。


 ああ、そうか。


 それはずっと忘れていた感覚だった。

 いや、忘れていたというよりは、そんな感覚、それまでに無かった、と言ってもいい。

 単純なこと。

 どうして、それを今までまるで感じたことが無かったのだろう?


「どうしたの?」


 少女は顔を上げ、彼の顔をのぞきこんだ。やせすぎの、決して可愛いとはお世辞にも言えない顔だった。だが、その笑顔が、どうしようもなく、彼には輝いてみえたのだ。

 どんな条件も、そこには無く。


「…ああ、見えてきたね。三角の屋根って言ってた」


 ごまかすように、少女の大きく開かれた瞳から目をそらす。ユエメイはそんな彼の気持ちには気付いたのか気付かないのか、あそこよね、と真っ直ぐ指をさした。

 赤い三角屋根が確かにそこにはあった。建物自体は決して大きくは無い。可愛らしい、と言ってもいい。この高い建物、共同住宅が空を覆うかの様に建ち並んでいる3-18の中では、その教会は、異質なものだった。

 門をくぐると、奇妙な音楽が聞こえてきた。奇妙だ、というのは、彼が聞いたことが無い、という意味である。音そのものは、これといった決まったリズムも無く、流れている。

 異なる旋律が、高低でそれぞれに流れている。まるでそれは違うものなのに、耳に入った時には、上手く組み合わさる。やや不安定な、それでいてすっと胸に染み込む様な旋律だった。 

 扉を開けると、そこには、思いの外高い天井と、光が降り注ぐ明るい空間、そして正面に大きなステンドグラスがあった。


「どうしましたか?」


 音楽が止む。どうやらその旋律を奏でていたのは、声の主の様だった。低い声の、女性の様だった。


「教会がここにあると聞いて」

「ああ、この街の方ではないのですね」


 上から下まで黒一色の服を身にまとった女性は、両側にベンチが並ぶ通路からゆっくりとこちらへ向かってくる。


「この子は?」


 初老の女性は、ユエメイの前に屈み込み、目線の位置を合わせる。


「あなたの身内、では無いのでしょう?」


 ちら、とGの方を見て問いかける。


「違うの。あたし、向こうの街から逃げ出してきたの」

「ああ、そうだったのですね。まあこんなに肌も冷たくなってしまって…」


 栄養が足りないせいなのか、体温がやや低めであることは、彼も気付いていた。


「そう、あなたはこの子をここに連れてきてくれたのですね? ええ大丈夫です。ここにはこの子と同じ様な子がたくさん居ますから、安心して下さい」

「それは良かった」


 本気で彼はほっとする。

 無論、ここが全く安全な場所であるか、と問われた場合、自信をもって大丈夫だと答えられる訳ではない。

 ただ、この建物に入った瞬間、何やらほっとするものがあった。向こう側に置いてあるテーブルに掛けられた布は、決して新品のものではなかったが、きちんと糊を付けられたもののようだった。

 びろうどのカーテンは閉ざされたところはきっちりと閉ざされ、開けられた所はきっちりと止められている。

 そして何より、この女性からは何のにおいも感じられなかった。女性特有のきつい化粧も、薬の持つ不健康さも、狂信的なカルト集団の持つ、アドレナリンの沸騰したような体臭も。

 この女性から感じられたのは、ほのかな香りの石鹸と、日向のにおいだった。


「それではお願いします。…元気でね、ユエメイ」


 ありがとう、とユエメイは言いながら、ぎゅっ、と彼の手を一度強く掴んだ。

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