「…混線してるんだよねえ、情報が」
声を低め、眉を寄せ、長い髪を鬱陶しそうに連絡員はかき上げた。色素の薄い瞳を細めて、彼はぴん、と手元のスイッチを指で上げ下げしてみる。電源が入っていないから、それは何の反応も示さない。
「そうなのかい?」
落ち着いた、やや高めの声が、それは心外、とばかりに問い返す。
「そうだよ。だいたい一人の人間が、一度に同じ時期に何ヶ所で発見されるってのは、あんまりあることじゃないでしょ?」
「君の連絡網が、最近情報収集を怠っているということではないのかい? 『情報員』」
「あんたのお仕事よりは俺のお仕事の方が、コンスタントというものよ。俺はちゃーんと、毎日毎日、あちこちに散らばった部下の連絡をこれでもかとばかりに聞いてるからね」
「それは失礼した」
ふん、とキムは鼻を鳴らす。
この日、反帝国組織MMの「連絡員」のキムと、「伯爵」は、帝都本星の地下放送の発信基地に居た。
発信基地とは言え、決してその設備は大きい訳ではない。
放送設備も殆ど無いに等しい。言われなければ、地下放送とは何の縁も無い、ただの若者向けのダンス・ホールやミュージック・ホールの音響設備程度にしか思われないだろう。
地下放送の様に、ただ音声だけを発信するには、大がかりな設備は要らない。必要なのは、中継局の量だった。帝都政府の管理下にある惑星、管理下に無い惑星、コロニー、宇宙ステーション、そんな場所ごとに、どれだけ小さくとも中継局を持っていさえすれば、何処からでもMMの地下公式放送の電波を飛ばすことはできるのだ。
実際この場所は、普段はそんな若者向けの小さなダンス・ホールとして使われている。帝都本星は、昔その名をウェネイクと言った頃から、学生の数がどの惑星よりも多い。
実際に地下にある、この開店前の店の湿った静けさは、彼らの会話を無駄に響かせない。自分達がこそこそと集まる場所としてはそう悪いものではないな、とキムは思う。
もっとも反帝国組織「MM」の幹部達が公式に集まる場所、というのは存在しない。それぞれがそれぞれでその必要により、顔を合わせるのが普通だった。
「こないだ起きた、惑星フーリエでの爆破事件。平たくいやぁ、あんたのお屋敷がやられた奴だけどさぁ」
得意のはすっぱな口調に、ふふ、と伯爵は口元に笑みを浮かべる。
「君にしては、奥歯に物が挟まった様な言い方だな」
「どうせあんたが爆破させたんだろ? ああもったいない。あんたのお屋敷ってさぁ、いつもいつも調度に金かけてるじゃない。貧乏性の俺としてはさあ」
吐き出す様に口にする連絡員に向かい、伯爵は笑う。
「で、その時、我らが同僚、サンド・リヨンことG君が居たとか居ないとかいう噂があるんだけど」
「居たことは居たのだがな」
「あんたこそ、歯切れが悪いよ」
ぴん、とスイッチを強く弾く。勢い余って、黒い小さなそれは宙に跳ねた。
「試したのかよ」
「さあて」
「Mのお言いつけって奴?」
「さて」
「あんたのその言い方、結構腹立つぜ」
ふふ、と伯爵は意にも介さない顔で笑う。
「だいたいあんたいつもびしっと、何処のお貴族様かい、って感じでまとめてるのにさ。何だよそれ」
「私は何処かの御貴族様なんだが。あいにく。しかし今日のこれは似合わないかね?」
キムは露骨に眉をひそめた。
「似合わねえよ。何そのアフロ」
「なかなか面白いと思ったのだがな。まあ火事で少し髪が焦げたので、そのついでと思ったのだが」
「Mは何にも言わなかったのかよ」
探りを入れてみる。さて、と伯爵はさらりとかわす。
「じゃあそれはMの命令じゃあなかったんだ」
「あの方がどうしてそんなことを私にさせよう? 彼はあの方のお気に入りだろう?」
「けど」
キムは次の言葉を探す。
「それに、その理由は、君が一番良く知っているのではないかね?」
心臓が飛び上がる。
人工のものなのに、どうして過敏なのだ。
いや違う。いつもだったら、こんなことは無い。キムは凍らせた表情の下でつぶやく。
「裏切り者には、死を」
「当然だろう?」
「おや、君が本当にそう思っていたとは知らなかったがね」
くっ、と今度は声を立てて伯爵は笑った。不愉快だ、とキムは思う。何がどう、という訳ではないが、彼はこの男が苦手だった。苦手になりつつあった。
それまでは同僚とは言え、この男に対して関心というもの自体、殆ど無かったのだ。Mとの最も古い知り合いということは知っている。だがそれだけだ。伯爵が何をどうしようが、キムには何の興味もなかった。
周囲にそう関心は無かったはずなのだ。
はず。
キムはそこで立ち止まってしまう自分に気付いていた。
弁解はするのだ。そうあいつは俺にとってやっぱり一番古い知り合いだし因縁だよなこれって。だから。
だから?
だから、どうしたいのだろう。
そこで思考が停止するのだ。
裏切り者には死を。MMが帝国最大の反帝国組織である以上、それは鉄則だった。特に彼らは幹部構成員だった。この末端が何処まで広がっているのか把握ができない程の組織の中で、たった四人だけ存在している幹部構成員なのだ。互い以外の構成員の誰に対しても命令ができる立場にあるのだ。
そんな人物が裏切りでもしたら。
答えは明白だ。
明白なはずなのに。
キムは迷っていた。彼にはこの感情の意味が良く判らないのだ。
しばらくの間、薄暗い空間に沈黙だけが漂う。
その重い空気を破ったのは、小さな音だった。何処かの惑星の、肥えた土の中で夜泣き続ける虫の声の様な。
「何だ?」
キムは黙って、小さなフォーンを耳にする。眉間が狭まる。
「…第三の情報だ。惑星ミント方面に、我々がマークしている人物達が集結しつつあるらしい」
「ほぉ」
軽くかわすと伯爵はあっさりと席を立つ。
「それで一体、何の用だったんだよ? 俺を呼びだしたのは、あんたじゃなかったのか? 伯爵」
「いや、呼び出したのは、Mだ」
何、とキムは思わず問い返す。
「君をここに連れて来る様に、と言ったのはあの方だ。そして君がどうするかも、それは君の自由だと」
言い放つと、伯爵は吸音板の扉から出て行く。キムは立ち上がると、それまで伯爵が座っていた丸い木の椅子を思い切り蹴り上げ――― そして、踏み砕いた。
お見通しな訳ですよね。
胸の中が、奇妙に空っぽな気がする。
空っぽなのに、どうしてこうも、痛むのだろう?
あのひとだったら、教えてくれるだろうか。遠い昔に、自分に感情の在処を教えてくれた、人間の心を抱えたレプリカントの首領。
あれからずいぶん長い時間が経っているというのに。
ぱちん、と脇のスイッチを入れると、機材の電源が一斉に入る。
彼は軽く目を閉じると、頭の中にずらりと暗号コードを並べ始めた。
それがあなたの望みならば。
*
湿った空気が鼻をついた。
「…痛ってぇ…」
つぶやきながら彼は、じっとりとした地面に両手をついて身体を起こす。重い。ひどく重かった。地面の水気が服に染み込んできていて気持ち悪いというのに、重力に逆らって手足を動かすのが、どうにも辛い。
この重さには、覚えがあった。
滅多なことでは出てこない、あの能力が発動した後のものだ。
そうだ。
彼はかさかさに乾いた声でつぶやく。
確か、あの時、炎に包まれたはずだったのに。
そのままその場に居たら、確実に自分に待っていたのは「死」である。あの時、身体は紅茶に仕込まれた薬物のせいで動くのもままならなかった。
それでも、気が付いた今、そこが天国ではなく、どうしようもなく現実でいうことが目に痛い。
ビルの谷間。光は遠かった。
一体ここは何処なのだろう、と彼は思う。立ち上がった身体をもたれさせている壁の生々しい冷たさは、むき出しのコンクリート。見上げると、遙か向こうに、微かに青空と、入道雲に似たものが見える。
そうかそれでも今は昼間なのか。
遠すぎて、ここまで光が射し込んでも来ない。高い高い、壁。
べたべたと窓が壁には張り付いていて、その一つ一つから小さな張り出しがのぞき、色鮮やかな洗濯物がひらひらと揺れる。
だったらここは、人の住むビルなのか。
まだすぐには動きたくはなかった。無意識の能力は、体力をこれでもかとばかりに奪う。立ち上がるのも億劫だったが、立ち上がらないことには、何もできない。動かなくては。ここにじっとしている訳にはいかなかった。
まず、ここが何時の時代の何処なのか、を探して…
経験が彼の思考を動かし出す。
しかし。
「ひっ!」
彼は思わず、心臓と身体をひくつかせた。
足に、柔らかい何かが絡みついている。
何故今まで気付かなかったのか。自分の消耗ぶりに彼は苦笑いする。
払おうとして足元を見て、彼はその手を止めた。
「君…?」
子供だった。
やせた子供が、身体ごと自分の足に絡みついているのだ。
払うために向けた手が、そっと、その肩に触れる。びく、と子供の肩は反射的に動いた。
だがすぐにその動きは止まった。止まっただけではない。不意にその顔が、上がった。彼を真っ正面から見据えた。
「…」
かすれた声。耳に飛び込む頃には言葉にはならない。湿った空気の中に消えていく。だが唇の動きは判る。大きく、はっきりと、一つの言葉をつづる。路地の、薄暗い光の中でも、彼の目には、判った。
た・す・け・て。
骨ばかりになったやせた手が、そう言いながら彼の顔へと伸びようとする。Gはその手を取った。握りしめた。
ふとその時、ふわりと甘い香りが漂うのに彼は気付いた。
子供の指先から、首筋から、その香りは立ち上ってくる。まるでそこに香水の原液をかぶったかの様だった。
ただし彼が知っているその香りは、水ではない。
亜熟果香、と名がついている。
およそ、こんな子供には似合わない、そして、子供からその香りがするなら…
「…何処でこの香りをつけたの?」
Gは子供に問いかける。答えは無かった。抱え上げた首が力無くだらり、と後ろに倒れる。息はある。力尽きただけだろう、と彼は判断した。
そっとその子供を抱え上げる。軽い。自分も細いとは言われることがよくあるが、それとは違う意味の、やせた身体が手の中にはあった。
自分の身体とて、まだ回復している訳ではないのだが。
そういうところがお前は甘いよね。
同僚の、言葉が頭の中に再生される。
甘いよな。彼は内心つぶやく。
だけど、目の前で震えながら気を失う子供を、どうして見捨てられよう?
*
ふう、と確保した安ホテルの一室で、彼はようやく一息入れる。
固い椅子に座り、これだけはやけに高い天井を見ると、人の顔と牛が戦っている様な染みが一面に広がっている。
天井は高いくせに、部屋は狭い。
人一人がただ寝るためだけに取る様な宿である。子供だから、と渋い顔をされながらも店主は二人で泊まり込むことを了承した。正直、懐の中の金が何処まで通用するのか、判らないのだ。
空間はともかく、時間を飛んでしまった場合、カードは役には立たない。それこそ同じ年内に居るのではない限り、そのカードを使えるという保証は全くない。
現金にしたところで、先日の惑星ミントで下ろした分の札の発行年月日が、今現在居るこの時間より向こう側だったら、使ったことで危険になる可能性もあるのだ。
いずれにせよ、この場所と時間がはっきりするまでは、そうそう動きが取れない。
それに、こうやって飛んだことが、実はまたMの予測範囲内のことなのかもしれない。そう思うと、下手な動きは余計に取れない。
う… ん、と子供が寝返りを打つ。その声に彼はふと我に返る。
それにしても。彼は子供をまじまじと観察する。
頬がこけ、顔色も悪い。
それは、亜熟果香のせいではないのだろう。亜熟果香は強烈な習慣性のある香の一種だが、健康を直接的に損ねることはない。
帝都政府の直下の国家警察において、「麻薬」として取り締まることのできるものは、「習慣性があり」「身体を損ねる」ことが医学的に証明されているものである。
その定義から行くと、亜熟果香はそれに当たらない。
全星域で最も恐ろしい麻薬と言われている、通称「スウィートハニィ」と呼ばれる「RQ1889D」と匹敵する習慣性があるくせに、「身体を損ねる」決定的な証拠が掴めないために、野放しになっているのだ。
実際、何処かの国の太古から伝わる「香道」をたしなむ金持ちの間では、余興として、亜熟果香の純度の高いものをその中に入れることもあるというくらいである。
しかしどう言葉と使い方を繕ったところで、その習慣性の強さが、様々な裏組織で利用されてきたことには違いはない。
つまりは、彼の属する「MM」でも何処かしらで使われてはいるのである。使われていない、と考える程に彼はさすがに甘くはなかった。
一度組織への忠誠を誓っておきながら、裏切った下部構成員にそれを大量に与えたのち放出する。
確かに身体への直接の影響は無い。しかし身体はともかく、頭の方は。
砂漠で喉の乾きを訴える旅人の様に、ふらふらと足取りもおぼつかなく歩き回り、誰にでも香は無いかと訊ね歩き、追いすがり、やがては幻覚を見て、都会の交差する交通機関の中に飛び込んで、その肉片を散らしてしまう者を、彼も見て知っている。
それはそれで、仕方ないことだとは思っていたのだけど。
「…ふぁ…」
子供の喉から、そんな声が漏れる。かっ、と目が開く。
次の瞬間、その身体が、大きく跳ね上がった。
「ひゃあぁぁぁぁぁぁ…」
悲鳴が部屋の大気を引き裂いた。起こした背をさらに前に丸めながら、子供は、声にならない声で、悲鳴を上げ続ける。大きく広げた黒い目は、周りの肉が落ちてしまっているため、ぎらぎらと大きく開いていた。
禁断症状か、とGは立ち上がりながら思った。しかし彼の知る症状とは、どうもやや違っている。
「…大丈夫だよ」
前のめりになりながらも、顔だけが前を見据えている。
そんな子供の背中を、Gは寝台の脇に座り、そっと抱きしめる。がたがた、と触れた部分から震えが伝わってくる。
やがて、ここが路地ではないことが判ったのだろうか、子供はゆっくりと周囲を見渡し、やがて背中にかかる温もりの正体を確かめるべく、ゆっくりと振り向いた。
「だれ?」
はっ、と彼は気付く。かすれたその声が発音しているのは、北京官話だった。全星域でも、その言葉を使う地方は滅多に無い。この宿にしたところで、主人が話していたのは、公用語だった。
北京官話が使われている星系は、彼が知る限り二つしか無い。その二つの中でも、ある都市に限られるのだ。星系全体でそれを使う様な都市は、あり得ない。
聞き間違いではないだろうか。
Gはとりあえず、子供をもう一度寝かせると、ワゴンの上にあった魔法瓶に手を伸ばした。湯くらいはそれでも用意してあったらしい。
白湯だけでは何となく心許ないので、掛けておいた上着の内ポケットを探ると、ティーバッグが幾つか出てきた。
こんなもの入れただろうか、と一瞬彼も思った。入れた記憶は無い。ピニルに入ったティーバッグの、その外見には、花やら果物やらの古典的な柄と、English Breakfastなどの銘柄が印刷されている。
そのまま使うのはまずいのではないだろうか、とさすがに彼も少しためらった。何せ彼がこの時間この場所に飛んだのは、紅茶に仕掛けられた薬物のせいでもあったのだ。
しかし開けたパッケージからは、「嫌な感じ」はしない。全く大丈夫とは言えなかったが、薬物や毒物が「確実に」仕込まれているということはなさそうだ。
備え付けのカップに彼はティーバッグを入れると、熱い湯を落とす。途端、周囲にふわっ、と乾いた香りが広がった。一口含む。大丈夫だ、薬物や毒物の気配は無い。
伯爵の元で呑んだ紅茶にまんまとはまってしまったのは、明らかに彼自身の不覚だった。普段から彼は、伯爵邸で、何かと美味しい紅茶を御馳走になっていた。それが、その中に含まれているかもしれない薬物の存在を、忘れさせていた。油断もいい所だった。
それとも、こんな事態を当初から想定して、伯爵は自分に美味なるティータイム、という奴を何かと過ごさせていたのだろうか。
考えるとキリが無い。彼は思考停止する。葉がすっかり開き、ある程度まで冷めたであろうことを確認してから、彼は子供にカップを手渡した。
「ほら」
両手で抱え込む様にして、カップを持たせ、ゆっくり呑むように彼はうながした。言葉は判るだろう。あの時自分に喋り掛けてきたのは、公用語だったのだから。
ごくん、と皮ばかりに見える喉が、上下するのが判る。それを合図の様に、子供は、カップの中身を一気に飲み干した。そんなに勢い良く呑んだら、火傷をする、と思いながらも、その勢いに彼は止めることができない。
ふう、と子供は空っぽになったカップを眺め、そして次に彼の方を向いた。
「もう一杯、呑むかい? 出涸らしになってしまったかもしれないけど」
子供は大きくうなづいた。