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第15話 上下関係



 水際では禮子が、霊力の引き合いを見つめていた。


悪霊あれが神楽殿まで引っ張り上げられたら、こっちも仕事にかかるからね」


 禮子のいう仕事とは『呪詛返し』のことなのだが、残念ながら寿々をはじめ、だれからも返事はなかった。


 いまや全員が、拮抗する霊力の引き合いに釘付けになっている。


 神楽殿の柵を足場にしている左近之丞とはちがい、悪霊〈海原伊央吏〉は水面を足場にしているのだが、霊体であるがゆえに沈むことのない身体で、まったくハンデを感じさせない引き合いをしている。


 寿々は思いだしていた。


 仕出し御重を手土産に高原駅で待ち伏せしていた左近之丞と宅飲みをすることになった日。


 酒を積んだ100キロ超過のカートを、左近之丞が視えない霊力の縄でグルグル巻きにしていたことを。いま目にしている青く発光する鎖が、その正体だったのだろう。


「霊力勝負する気か? 身の程知らずの襤褸ぼろ切れヤロウがっ!」


 悪霊〈海原伊央吏〉を相手に、尻上がりに口が悪くなっていく左近之丞だが、なかなか勝負がつかない。


 その様子をしばらく見ていた禮子が、神楽殿に向かって声をあげた。


「いつまで遊んでんだい! 口で喚くよりも、さっさとしなっ! あっちの呪詛師に気づかれたら面倒なんだから!」


 間髪入れずに、左近之丞も言い返す。


「だまれ、ババア! ひと様に盾突く、をわきまえないクソ霊に、の世の上下関係ってものを教えてやっている最中だ!」


「馬鹿いってんじゃないよ! 上下関係を一番分かってないのは、アンタだよ!」


 目の前に悪霊がいるというのに、売り言葉に買い言葉で、霊能者同士の喧嘩がはじまりそうな雰囲気を察した寿々が、神楽殿に向かって「左近く――ん!」と声をかける。


「カッコよく釣り上げちゃって~!」


 そのとたん、左近之丞の頭からピンクの綿菓子のようなものが飛び散り、霊力が一気に跳ね上がった。


「おまかせくだぁぁぁぁっぃい!」


 霊力の鎖をしならせて、力任せに引き上げた。まさしく一本釣り。


 空高く舞い上がった悪霊〈海原伊央吏〉は、空中で最高点に到達すると、今度は真下から左近之丞に鎖を引かれて落下。ほぼ垂直に、神楽殿の床面に激突した。


 水面では質量を感じさせなかった巨体は、捕縛用の結界がある神楽殿では、その質量が通常値になるのか、激しい衝突音がして拝殿もろとも揺れた。


 白い水鳥も驚いたのか、鮮やかな朱色の冠羽を広げて飛び上がった。


「ちょっと! 壊すんじゃないよ!」


 焦った禮子の声も、寿々に褒めてもらいたい左近之丞には届いておらず、こちらに向かって大きく手を振ってくる。


「寿々さーん! どうでしたかぁー!」


「カッコよかったよー! でも、神楽殿は壊しちゃダメよー!」


「はーい!」


 禮子が額を押さえる。


「本当にもう……あの男は、寿々ちゃんじゃないとひとつも言うこときかないね」


 となりでみていた叶絵も、


「たしか、お姉ちゃんのお見合い相手だった人だよね。上手くいかなかったみたいだから、何かワケありだったんだろうなあ、とは思っていたけど……うわあぁ」


 残念そうな目で左近之丞を見て、しみじみと言った。


「いくら美形でも、あの口の悪さはちょっとないよ。お姉ちゃんにだけ良い顔するのも気になる。あっ、でも、神棚にある切り絵の御朱印を作ってくれたのって、もしかして……」 


 頷く寿々を見て、叶絵はますます眉をひそめた。


「あんなに繊細な作品を作る人が、あんなに口が悪いとは……御朱印はすごくありがたいけど、家族になるなら、ちょっとアウトかな。もし、お姉ちゃんが結婚するなら、わたしは断然、伊勢崎くんみたいなタイプがいいと思う。なんならこの際、伊勢崎くんでいいんじゃないの? 毎日、美味しいご飯作ってくれそう」


 腕組みをした七福も「うんうん」と、叶絵に同意する。


「護彌の方が断然いい。先輩を敬えるし、料理もプロ級。何より協調性があって、周囲に気をつかえるタイプだ」


 料理上手な伊勢崎に、妹夫婦は完全に胃袋を掴まれていた。


「お姉ちゃん、顔で選んじゃダメだよ。あそこまでの美形なら、三日であきることはないかもしれない。でも、もって三か月。そこからはやっぱり性格だよ」


「そうそう。男はハート、内面が大事だから。色々問題を起こされたら、結局、困るのは義姉さんだ」


 そんなことを言われているとは露知らず。


 妹夫婦の支持率急降下の左近之丞は、今度は床に転がっている悪霊〈海原伊央吏〉に片足をのせて、悪鬼のごとく口角をあげていた。


「ひと様を相手に……クソ霊ごときが調子に乗りやがって、分をわきまえろ」


 もうどちらが悪霊かわからない笑みを浮かべて足蹴にすると、今度は禮子に顔を向ける。


「ババア、ほら、さっさとしろ。気づかれたくないんだろ。それとも、その程度の呪詛返しもできないのか?」


 不遜、これに極まるが、禮子とて左近之丞を相手にしたときは、口の悪さが際立つ。


「寝ぼけたこといってんじゃないよ! ベラベラしゃべっている間にやられたら承知しないよ! 脳筋息子がっ!」


「うるせえ、何いって――」


 左近之丞が視えない攻撃を受けたのは、そのときだった。


 咄嗟に左右の腕を交差させて、不意打ちはガードをしたけれど、神楽殿のほぼ中央から一気に柵際まで飛ばされた。


「ほら、いわんこっちゃない。よそ見するからだよ。わたしの見込み違いだったかねえ。こっちが『呪詛返し』している間にやられんじゃないよ」


 禮子が鼻で笑った瞬間。


「ふざけやがって……クソッたれが」


 神楽殿では左近之丞と悪霊〈海原伊央吏〉の霊力がぶつかり合った。






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