亀甲縛りをされている上半身を揺らして、
『ちがう、ちがう』
大きく首を振った親友・伊央吏の瞳には、公明正大をモットーとしていた中学、高校時代の光が戻っていた。
『護彌、やめるんだ。いったいいつから、そんな口調で相手を責め立てる人間になったんだ。僕は、そんな護彌を知らない』
なんだろうか。
ひどく非難がましい目を向けられていることに、伊勢崎は首をかしげる。
「ちょっと、待て、伊央吏。俺は、そこまでいいヤツじゃない。ほら、憑いていたならオマエだって何度か見ているだろ。いきなり声をかけてくる女に、俺が辛辣なこと言って追い払うところとか」
「女はいい。護彌に手をだそうとするから」
そうだった。伊央吏は俺のことを……
禮子には否定するなといわれているが、いまだ伊勢崎のなかでは受け入れがたい部分だった。しかし、それをいま話し合うわけにはいかない。
そこに話が及ぶまえに伊勢崎は、いまだにショックを受けている金髪男を指さした。
「そもそもコイツが悪い。伊央吏に対して、あんなことを……」
あんなこと――親友が辱めを受けた亀甲縛りについても、触れたくはなかった。
仕方なく伊勢崎は、また自分の話に戻す。
「俺だって口が悪いときもある。それこそ、俺に憑いていたなら知っているだろ。高校のときなんて、喧嘩ばかりしていて……」
『だから、護彌。それはちがう。僕はそういうことを言っているんじゃない』
これでもかとはっきり、伊央吏は否定してきた。
『喧嘩のときでも、たとえ女に言い寄られたときでも、故意にだれかを傷つけるようなことを、護彌は言わなかった。ましてや、傷つく相手を見て笑うようなヤツじゃなかった……でも、さっき護彌は笑っていた。あの人が傷ついたのを見て、嬉しそうにしていた』
頭が痛い。いつもとはちがう種類の痛さを、伊勢崎は感じていた。
「いいか、伊央吏。この男のことなんて、いまはどうでもいいだろ? オマエに亀甲……そんな縛り方をして吊るすような男だぞ?
『僕は、ひとつも
伊央吏の青い目には、公明正大な意思の強さだけでなく、知性の輝きまでも戻ってきていた。
『あの人は、元からそういう人だと見ればわかる。おそらく無自覚型のパーソナリティ障害の可能性が高い。口が悪くて尊大で傲慢。精神的に未熟だから、他人に対する共感力が乏しくて、人を傷つけても本人はいたって平気。他者からの反応を気にすることもないから、自分の何が悪いのか気づけない。具体的にどうしたらいいのか分からないんだ。ある意味では、過去の経験から自己を守ろうとする無意識の防衛本能だともいえる』
悪霊だということを忘れそうになるくらい、理路整然とした分析だった。しかも悪口でしかない人物像評価に「そのとおり!」と拍手さえしたくなった。
それにしても、いったいどこで心理学の教養なんて身につけたんだ、と思った伊勢崎だったが、そういえば伊央吏は元々、頭脳明晰な男で、中学時代から読書量は並外れていた。
てっきり高校は高原南に進学すると思っていた秀才が、ランクを下げてまで自分とおなじ高原東にしたのは……いま思えば、あのころにはもう自分に強い執着があったのかもしれない。
と、ここで伊勢崎は嫌な予感がしてきた。
伊央吏の分析口調というか、理詰めで話すこの感じは、必要以上に相手を怒らせるということを、対人スキルが高い伊勢崎は知っていた。
北御門左近之丞のようなタイプは、とくに……
「伊央吏、わかったから」
とりあえず止めようとしたが、むかしから話を遮られるのが嫌いな親友は、伊勢崎を制した。
『最後まで聞くべきだ。僕が言いたいのは、
「おい、クソ霊!
◇ ◇ ◇
水際で寿々は、神楽殿をみていた。
呪いが解けた伊勢崎が、悪霊〈海原伊央吏〉と話すため、神楽殿へと向かっていってから二、三分が経つ。
これまでの経緯からして、短時間で互いの気持ちを理解し合えるとは思えないけれど、悪霊〈海原伊央吏〉には穏やかな気持ちで成仏してもらいたいし、伊勢崎には心残りがないように、親友と別れてもらいたい。
そんな気持ちで見守っていた寿々だったが、
「……ん?」
舞台上の二者一霊の様子に首をかしげた。
最初のうちこそ、ただならぬ緊張感が漂っていたけれど、左近之丞が何かを言って、そこから伊勢崎との口喧嘩がはじまった。
「――関係ないだろ」
「――頭イカれてんな。だれの――」
ところどころ声は聞こえるけれど、神楽殿は依然として、強い結界が張られているため、内側の声は途切れてしまう。
そのため話の内容まではわからないけれど、寿々からみれば、左近之丞と伊勢崎は互いの鬱憤を吐き出すように、ギャアギャアとやっているようにしかみえなかった。
憑物に呪いと不運が重なり、日々のストレスが相当だったはずの伊勢崎。左近之丞を相手に溜まったストレスを発散できるのなら、それはそれでいいのかもしれない。
楽観的に思って見ていたら、急に左近之丞がこちらを振り返って、ヒラヒラと手を振ってきた。振り返す寿々のとなりで、禮子は呆れている。
「なにをやってんだい、あのふたりは。悪霊をほったらかしにして」
「兄弟ゲンカ……みたいな感じかな。ふたりも三人兄弟でしょ」
「だからって、神楽殿ですることかい? まったくもう、どうして男っていうのは、こうも子どもなんだろうねえ。やだやだ」
禮子がボヤいているうちに、長引くと思われた口喧嘩は、伊勢崎に軍配があがったようだった。
意外。罵詈雑言を吐きなれている左近之丞を、逆に言い負かしてしまうなんて……と思っていたら、今度は悪霊〈海原伊央吏〉に何かを言われた伊勢崎が狼狽えている。
いったい、なにが?
耳を澄ませてみても、悪霊〈海原伊央吏〉が何を話しているのかは、まったく聞こえてこない。
そうこうしているうちに、ふたたび怒り出したのは左近之丞で、また取っ組み合いでもはじまるのかと思ったら、
「――・オン・――」
左近之丞の霊力がグッとあがり、結界が大きく揺らいだ。