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第23話 らしくないかな 


 陰陽助と桐生撫子が陰陽寮に戻り、


「何かありましたら、いつでもお声をおかけください」


 仲居も部屋を辞した。


 山奥の川沿いに建てられた旅館は三階建て。特別室は二間つづきの和洋室と部屋付の露天風呂がある。


 露天風呂の脇にある小路を少し歩けば、川沿いの景色を眺められる離れがあり、川のせせらぎといい、風に揺れる木々の葉音といい、とにかく雰囲気が良い。


 ひととおり部屋や庭を歩いてみたあとは、やはり立ち昇る湯気に誘われるように、寿々は部屋の露天風呂に行きかけたが、そこで仲居の言葉を思い出す。


 一階には貸し切りの岩風呂半露天がある――


 月見酒も用意してあって「いくらでもお呑みくださいませ」だった。


「左近くんは、まだ戻ってこなさそうだしな……」


 夕食までは、まだ時間がありそうだ。


 となれば、さっそく一階の露天風呂へ。


 今日はほとんど、座ってばかりだったけれど、高原市から車で3時間。途中、未舗装の悪路があって、そこから百段以上の階段をのぼり、午後から柏手を百回近く打てば、ほどよく疲れは溜まっていた。


 貸し切りの岩風呂は大人4、5人がゆっくり浸かれる大きさで、かけ湯をして汗流して少しぬるめの湯に入り、大きく身体を伸ばしたところで、寿々はさっそく湯桶に準備されていた酒に手を伸ばした。


 ほのかに硫黄の香りのする乳白色のにごり湯。ユラユラと揺れる桶から、升で地酒をいただく。


 半露天からの薄暗くなりかけた空のグラデーションを楽しみながらの一杯は、


「う~~~~~ん、うっま~~~~~~!」


 まさしく、極上の美酒。


 これで湯上りに、キンキンに冷えたビールがあったら最高だと思いながら、


「わたしだけ、こんないい思いしちゃっていいのかな。左近くんはまだお仕事中だっていうのに……」


 いまだに山中を駆け巡っているだろう左近之丞に申し訳なさを感じつつも、酒を呑む手がとまることはない。


 この地酒を飲みほしたころには、帰ってくるかな。そうだといいな。


 半身浴をしながら、夜風を顔に浴びて、温泉と美酒をたっぷり堪能してから浴衣に着替え、部屋に戻ると、キンキンに冷えたビールと一人分の料理が準備されていた。


 そこにさきほどの仲居がやってきて、


「いましがた連絡がありまして、お連れ様はいましばらく時間がかかるそうで、先にお食事をどうぞ、とのことです」


 テーブルの上の料理は、見た目にもとても美しい。


「わかりました。あとは大丈夫ですから」


 仲居に下がってもらい、広い客室で冷えたビールと美味しい料理をいただく。香りも味も申し分なかった。


 だけど、お酒がすすまないのは、どうしてだろうか。


 チラチラと横目で部屋の出入り口を見てしまうのは、「寿々さん」と左近之丞が顔をだしてくれるのではないかと、期待しているからだ。


 寿々のなかで、正直な気持ちが声をあげていた。


 左近くんといっしょに――美味しい料理とお酒を楽しみたかったな。


 ガッカリしている自分には、とっくに気づいていた。


 今日もそうだし、先週の土曜日、六天道閣別邸『松』での食事がダメになって日もそうだった。


 本当は、ちょっと怖い思いをしたあの夜。


 家まで送ってくれた左近之丞に、「いっしょにいて欲しい」と言いたかったのに、素直になれないまま、今夜のようにひとりで酒を飲んだ。


 27歳にもなって怖がる自分をみせるのが嫌だったり、出会ってまだ三か月も経っていないのに誘ったりなんかしてと、自分の気持ちとは別のものを優先してばかりだった。


 寿々はグラスに残っていたビールを、勢いをつけてグビッと呑みほした。キリッとした辛口が喉をとおっていく。


 こんなに鬱々としているくせに、本心から逃げてばかりいるいまの自分は――ポツリと漏れた。


「――らしくないかな」


 芽生えた気持ちを、認めるも認めないもない。


 そう考えている時点で、認めてしまっているようなものだから。


 ここ何週間か、ずっと抱えていた憂いが晴れて、少しお酒が美味しくなったきた。


 食事を終えて、膳を下げてもらっているとき。


「離れに、お酒を用意してありますので、ごゆっくりおくつろぎください」


「ありがとうございます。あとで、いただきます」


 喉ごし同様、なんだかすっきりして、明るい声をだして答えたときだった。


「寿々さんっ!」


 今日はもう、会えないんじゃないかと思っていた左近之丞が、部屋に走り込んできた。


 ビックリしたのと、嬉しいのと、駆け込んできたその姿があまりにボロボロで、「えっ――」しばし呆気にとられる。


 黒の上衣と袴には、見た目にもはっきりわかる数カ所の破れ。金髪も汗や埃でボサボサになっていて、顔や首元には泥にまみれた切り傷。それから手にもまた血が滲んでいる。


 にこやかだった仲居も「あらあら、まあまあ」と、心配そうにしていたが、陰陽寮から近いというのもあるせいか、比較的慣れた様子で、


「おつかれ様にございます。まずは、一階の貸し切り湯をご利用ください。切り傷や打ち身などによく効く泉質でございますから」


 寿々が目を瞬いている間に、女性にしてはけっこうな力業で左近之丞をそのまま部屋の外へと引っ張っていった。


「――あっ、はなせっ! 寿々さぁぁ~~~ん」


 一旦外に出て戻ってきた剛腕の仲居は、


「蓬莱谷様、大変申し遅れました。わたくし、元陰陽寮にて陰陽課一班の班長をつとめておりました。力王りきおう麗華れいかと申します。元部下が大変お世話になっているようで……ただいま、身だしなみを整えさせてまいますので、離れにてお酒でもお楽しみになりながら、いましばらくお待ちくださいませ」


 経歴のカミングアウトに、「えええ~っ!」となった寿々である。




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