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11.甘い夜

 マネージャーのマクシムに同行するようにしてアリスターはリシャールの仕事場に連れて行ってもらった。

 何着かの衣装を着て、マダムと呼ばれるデザイナーの前を歩いてみせるリシャールに、マダムは鋭い視線を向けている。

 肌が一部分透けるようなシャツを着てリシャールが歩いたときにマダムからの注文が入った。


「そのシャツの胸の透け具合をもっとよく見せたいのよ。順調に落とせてるみたいだけど、後一、二キロ落とせないかしら?」

「やってみます」

「あなたは私の想像力を刺激する大事なモデルだけど、私の理想が十八歳のあなただというのがいけないのよね」

「今の僕で塗り替えられるようなウォーキングをお見せします」

「頼むわ」


 体重を落とせと言われているのも信じられなかったが、歩いてみせるリシャールが全部格好良すぎてアリスターは胸中で叫びそうになっていた。

 こんな格好いいリシャールを目の前で見られるだなんて思わなかった。これだけでもフランスに来た価値はあった。


「減量は続けますけど、来週は休みをもらってもいいですか?」

「体型を整える以外はフランスにいる間は自由に過ごしていいわ。もちろん、コレクションが近くなったら呼び出すけれど」

「ありがとうございます」


 休みをもらったリシャールが着替えてきたところで、マダムがリシャールとアリスターとマクシムをお茶に誘ってくれた。

 ウォーキングスペースと全く違う、猫足の椅子とテーブルの置かれた優雅な客間に呼ばれて、紅茶を入れてもらう。香り高い紅茶はフレーバーティーのようだ。


「有名店のマカロンとエクレアがあるのよ。マカロンとエクレアはお好き?」


 フランス語で問いかけられて、あまりよく意味が分からずアリスターはどう答えていいか分からなくてリシャールを見る。リシャールは微笑んでアリスターに問い直す。


「甘いものは平気?」

「嫌いじゃない」

「マダムの用意するお菓子は本当に美味しいから、いただいたらいいよ。僕は紅茶だけいただくけど」

「リシャールが食べないのに悪いよ」

「気にしないで。僕は慣れてる」


 出されたものが食べられないのも、飲み物だけで済ますのもリシャールは慣れていると言っている。本当にいいのかとマダムの方を見れば、もう皿の上にマカロンとエクレアが用意されていた。

 マカロンは色とりどりで、エクレアは一口サイズだ。

 ピンク色のマカロンをもらって口に入れると苺の味がした。口の中で溶けるようで美味しい。


「美味しいです。ありがとうございます」

「リシャールが連れてきているってことは、大事なひとなのかしら?」


 こちらもフランス語なのでアリスターにはよく分からない。

 マカロンの味を聞かれたのかと思って「美味しいです」ともう一度繰り返すと、マダムは微笑んでリシャールの方を見た。


「僕の大事なひとです。少しの間も離れたくなかったから、同行してもらいました」

「あの坊やだったリシャールにそんなひとができるだなんて、驚きだわ。もうプロポーズはしたの?」

「いえ、でも近いうちにしたいと思っています」


 これもフランス語で会話がされたのでアリスターにはよく意味が分からなかった。

 会話に混ざれないのでエクレアを食べると、シュー生地がパリッとして、中のクリームも濃厚で上にかかったチョコレートも絶妙で美味しい。アリスターだけが美味しいものを食べて、リシャールはお茶だけというのに申し訳なさを感じていたが、アリスターは遠慮なくマカロンとエクレアをいただいた。


 コンドミニアムに帰るとリシャールはトレーナーとジムに入ってしまったので、アリスターはスマートフォンでフランスの観光地を調べてみた。ルーブル博物館やエッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、オペラ座やモンマルトルの丘など、様々な場所が検索で出てきたが、アリスターはリシャールと過ごすためにフランスに来たので、観光は二の次でいいと思っていた。

 ジムの部屋から汗びっしょりになったリシャールが出てきて、近付いて行こうとすると手で制される。


「汗臭いからちょっと離れてて。すぐシャワーを浴びてくる」

「気にしないのに」

「僕が気にする。アリスターには格好いい僕を見てほしい。幻滅させたくないんだ」


 そんなことを言われてもリシャールは十分格好いいし、汗で長い髪が湿って肌にくっついているのなんてセクシーで堪らない。

 健康的に体重を落とすために、ジムでの運動と食事制限をしているリシャールとアリスターは同じものを食べられない。とはいえ、ここはフランス。スーパーで買ってきたお惣菜一つとっても美味しさが違うし、ラビオリも中身を詰めてあるのが売っていて茹でてソースに絡めるだけで食べられる。

 自国では料理を全くしないアリスターもリシャールに習って簡単な料理くらいはできるようになっていた。


 次の週のリシャールの休みの前の日、シャワーを浴びたリシャールは少し湿った長い黒髪を解いて、ソファに寛いでいた。

 シャワーを浴びている時間が長かったのは、受け入れる方には色々と準備があるからだろう。

 いそいそとシャワーを浴びてリシャールのお気に入りのパジャマに着替えたアリスターに、リシャールが手を差し伸べる。


「アリスター、『おいで』」


 大人しく膝の上に抱きかかえられると、髪を撫でてリシャールが耳元で囁く。


「『いい子』だね。アリスター、気持ちは変わってない?」

「変わってない」


 それどころかこの日を待ちわびていただなんてリシャールには言えない。

 リシャールの口から出るコマンド一つ一つが甘く心地よくアリスターの耳に響く。頭の芯が痺れるような甘い口付けをして、リシャールはアリスターをベッドに連れて行った。


「アリスター、愛してるよ」


 口付けを交わしながら、吐息を漏らすように告げるリシャールに、これはベッドマナーの一つなのかとアリスターは考える。快感で頭がおかしくなりそうだし、リシャールに促されるままにアリスターも答えていた。


「俺も、愛してる」


 リシャールのことが好きだ。

 ファンとして遠くから見守っていた時の感情とは全く違う。

 リシャールにアリスターは完全に甘やかされて、どろどろに溶けていくような感覚の中で、リシャールから抜けられないほどはまっていた。


 翌朝、普通に起きてきたリシャールがバスタブに湯をためてアリスターと一緒に浸かった。長いリシャールの脚の間に抱きかかえられてアリスターは幸福を噛み締めていた。


 朝食も普段と変わらずに作ってくれるリシャールに、アリスターが問いかける。


「体、きつかったりしないのか?」

「僕主導でしたのにきついわけがないでしょう? アリスターも優しかったし」

「そうか……」


 朝食を食べながら昨夜のことを思い出してぼーっとしてしまうアリスターにリシャールが手を伸ばす。


「頬っぺた、チーズついてる」

「え!? 嘘」

「取れたよ」


 ピザパンのチーズが頬っぺたについていたようだがリシャールが取ってくれた。


「可愛いね」

「俺は可愛くなんかない」

「そう? 僕には可愛いよ」


 にこにことするリシャールも満たされているようで、アリスターはふわふわとした幸福感の中にいた。


「観光したいところは決まった?」

「特にないんだよな。いや、ルーブル美術館は見ておくべきか?」

「それなら、ルーブル美術館に行こうか。それから、僕の行きたいところに行ってもいい?」

「もちろん、構わないよ」

「モン・サン・ミシェルに行きたいんだ」


 モン・サン・ミシェルと言えばアリスターも知っている。ふわふわのスフレオムレツが名物の海の中に建っている寺院だ。


「前に一回行ったことがあったんだけど、スフレオムレツを食べられなかったんだ。今日くらいいいかなと思って」

「一緒に食べよう」

「減量が成功したら、レストランにも行こうね」


 フランスでの滞在期間はまだ一週間以上残っている。

 アリスターはリシャールと過ごす時間を楽しみにしていた。


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