ティーナが相手にしたイチの部下の二名は、イチと比べて格段に腕の劣る者だった。ティーナの銀の鎧を見ただけで緊張を顔に表わし、戦いが始まるまで体を硬直させていた。
つまるところ、憧れの騎士に相手をして貰って舞い上がっていたのである。結果は言うまでもなく、僅か数分でティーナに負かされてしまった。
「早かったですね。ゆっくり出来ませんでしたよ」
武舞台を下りたティーナは、イオルクの方を見ずにイチの居る方を見る。敗れた二人に、イチはアドバイスをしているようだった。
「あちらも同じ事情のようだ。残りの二人は人数合わせだったのだろう」
「だったら、何で、俺がイチさんに怒られるわけ? 同じ人数合わせを自分も使ってるのに」
「人数合わせにしても、力量が違う。短剣の手練れは少ないから、お前とは真剣に戦いたかったのだろう」
ティーナはイオルクを見て、イチに同情しながら溜息を吐く。
(コイツが戦う時以外でも、まともな思考をしていれば、要らぬ誤解が生まれることはなかったのだがな)
そんな目のティーナの気持ちを知ってか知らぬか、イオルクが疑問を口にする。
「でも、イチさんって仮にも銀の鎧なんだから、何処かしらの部隊に居るんですよね? 俺なんかに拘らなくても、相手には事欠かないと思うんですけど?」
「ふむ、確かに」
ティーナは顎に右手を添え、自分たちのような少数な特殊部隊でなければ起きない問題だと納得する。
そして、ティーナが理由を考えている中、イオルクが続きを話し出す。
「俺が思うにですね――」
思考を中断し、ティーナがイオルクの予想を聞こうと顔を向ける。
「――きっと、隊長みたいに友達が居ないんですよ」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「そんなわけあるか!」
「同じタイプだと思ったんですけど」
「タイプも何も……! 何で、私には友達が居ないということになるのだ!」
「え? 友達居るんですか?」
「当たり前だ!」
イオルクに意外そうな顔を向けられると、ティーナは怒りを通り越して頭痛がした。
(真面目に相手にするのが馬鹿らしくなってきた……)
しかし、ティーナが相手をしたくなくても、イオルクは話を止めない。
「そうなると、理由が分かりませんね?」
「もう、分からなくていいだろう……」
「そうはいきませんよ。気になるじゃないですか」
イオルクはポンと手を打つ。
「この前みたいにプライバシーを暴いて確認しましょう」
ティーナの目が座り、イオルクへ呆れた目が向けられる。
「お前、それを本気で言っているのか?」
「はい」
「私は、嫌だぞ」
「俺にも権限あるなら、俺がやりますよ」
「……この前、嫌な思いをしたばかりだよな?」
そう問いかけながら、ティーナはイオルクを睨みつける。
しかし、イオルクは何も気にしていないかのように言う。
「自分は嫌ですが、他人は問題なしです。寧ろ、どんどん首を突っ込みたいです」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「反省しろ! それと、その話題を出すな! 私が思い返して気分が悪くなる!」
「ははは。隊長が嫌な思いをさせた張本人ですからね」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「だから、傷を抉るな! 二度と、その話題をするな!」
「じゃあ、イチさんの謎が分からないじゃないですか」
「分からなくていい!」
イオルクは頭をガシガシと掻きながらティーナから目を逸らす。
「仕方ない」
イオルクは席を立つと何処かに歩き出した。
ティーナは『イオルクの相手をする方が戦うよりも遥かに疲れる』と、呆れながら項垂れた。
…
十五分後――。
武舞台近くの大会参加者用の観覧席で、ティーナが椅子に座って次の相手になるかもしれない者の戦いを見ていると、イオルクが再び姿を現わした。
「何処に行っていた?」
「隊長が怒るので、ユニス様のところに」
「そうか……ん? 何故、姫様のところへ?」
ティーナが不思議そうにイオルクへ顔を向けると、イオルクはケロリとした顔で言った。
「イチさんの引抜きを、お願いしてきました」
「…………」
意味の分からない言葉にティーナの思考は暫し停止し、我に返るのに数秒の時間を要した。
「ハァッ⁉」
「『面白そうな人です』と言ったら、二つ返事で。これで入隊したら、秘密を本人に聞けますね」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「何てことをしてくれたのだ!」
「いいじゃないですか。イチさん、腕立つし」
「お前の好奇心からだろう!」
「それだけじゃありませんよ」
「嘘をつくな!」
イオルクは頭を掻きながら考える。
「え~と……そうだ!」
「『そうだ!』と言ったぞ! やはり思い付きではないか!」
「いや、だから……あれですよ、ほら」
「何なのだ……!」
苛立つティーナに、イオルクはポンと手を打って言う。
「そう! この前、ユニス様を狙ったのはアサシンでしょう? だから、アサシンに対抗するにはアサシンしかいないと思ったんです!」
「絶対に、今、思い付いただろう!」
「先ほどから、何を怒鳴りあっているのですか?」
イオルクとティーナの後ろでは、先ほどイオルクと対戦したイチが首を傾げていた。
「観客の皆さんも騎士の皆さんも注目していますよ」
ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「場所を変えるぞ!」
「はい……」
「すみませんが、イチ様も御付き合い願えますか?」
「はあ」
疑問を浮かべるイチを引っ張り、ティーナとイオルクは比較的大きな声を出しても問題にならない控え室へ移動し、更にその隅へと移動した。
場所を替えると、まずイチがイオルクとティーナに頭を下げた。
「先ほどはイオルク殿と手合わせさせて頂き、ありがとうございました」
イチの真摯な態度に、ティーナは眉をハの字にして申し訳なさそうに返す。
「頭を下げないでください。これから我々が頭を下げないといけないのですから」
「は?」
ティーナは苦虫を潰したような表情で話を切り出す。
「嘘か真か分からないのですが……。イチ様を現部隊から異動させるかもしれません」
「は?」
ティーナがイオルクの頭を押さえ付けながら頭を下げる。
「この馬鹿が勝手に姫様に願い出て、『イチ様を引き抜いてくれ』と言ってしまったのです」
「は?」
「すみません! イチ様の御気持ちも確認しないで!」
突然の謝罪と異動の話に、イチは混乱している。
「す、すみません。話の内容を理解できないのですが……」
イオルクがティーナの拘束を振り解いて、イチに話し掛ける。
「ユニス様って、知ってます?」
「当然です」
「俺がユニス様に頼んで、『イチさんを引き抜こう』って言ったんです」
「それは聞きましたが……」
「そうしたら、二つ返事で了承してくれたんですよ」
にこやかに状況を説明したイオルクの言葉が直ぐには納得できず、イチは右手をあげて止める。
「ちょっと、待ってください。姫様直属の部隊編入は、そんなに簡単にいかないでしょう?」
「いきますよ」
「しかし、仮にも一国の姫の護衛を選ぶのですよ?」
「あの人は割かし俺と近い感覚をしているので、大丈夫です」
「……近い感覚? どういう意味ですか?」
「人を見る目があるということです」
平然と嘘をつくイオルクに、ティーナのこめかみの辺りがピクピクと引き攣る。
(コイツ、抜け抜けと……)
しかも、その頭痛の原因の男はイチを納得させつつ、ティーナが何と言って止めようかと考えているうちに、また勝手に話し出していた。
「約八ヶ月近く前になりますが、ユニス様は刺客に命を狙われました。時が過ぎ、皆、忘れ始めていますが、こういう時こそ用心は必要です。イチさんよりも階級の低い俺が判断を下すのはいけないことですが、アサシンとしての実力や経験でユニス様を守って頂きたく推薦しました」
イオルクの嘘は、尤もな理由をつけて完璧だった。普段、何も考えていないくせに、イオルクの頭は自分の好奇心に従う時だけは無駄に良く働く。
ティーナは開いた口が塞がらないといった感じで立ち尽くし、一方のイチは真剣な面持ちで考えて決意を口にした。
「分かりました。もし、姫様が望むのであれば、明日にでも隊を抜ける覚悟をしておきます」
ティーナはイチに何か言いたいが、言いたいことが整理できずに口をパクパクしている。
イチは最後にイオルクとの戦いの感想と感謝を述べると、その場を後にしてしまった。
「成功です」
右手の親指を立てて振り向いたイオルクに、ティーナのグーが炸裂した。
「何してくれてんだ! 貴様は!」
「隊長、言葉遣いが変ですよ?」
ティーナは両手で頭を抱えて控室の天井を仰ぐ。
「ああ……。イチ様はいい人なのに騙すような真似を……」
「丁度いいじゃないですか。二人だと何かと大変だったし、この大会で目ぼしい人材をあと二、三人引き抜きましょうよ」
渾身の力を込めたティーナのグーが、イオルクに炸裂した。
「お前、もう口出しするな! そういうことは、全部、私が引き受ける!」
「あれ? ちょっと? 隊長? 目が人でも殺しそうな――ぎゃああああぁぁぁッ!」
このあと、イオルクは涙目のティーナにボコボコにされる。そして、これによりティーナは戦力を一人欠き、前々回と同様に一人で戦わなければいけなくなった。
また、イオルクをボコボコにするのに、今まで戦い抜いた以上の余計な体力を使い、次の試合へ赴く時には息が上がっていた。
…
次の試合――。
武舞台に上がって肩を激しく上下させているティーナを見て、王は疑問を口にする。
「何故、目を離した僅かな時間にティーナは疲れきっているのだ?」
観覧席の王は摩訶不思議な現象に、今日、何度目かの首を傾げる動作をする。
そして、また一つ報告が加わる。
「あなた、イオルクが棄権するそうです」
「何ィ⁉ まだ二回しか武舞台に上がっていないではないか⁉」
「それが怪我による棄権だとか……」
「一体、何処で怪我をするというのだ……」
王妃は眉をハの字にして首を振り、王は項垂れる。
ユニスは少しだけ残念に思いながらも、王と王妃に隠れてクスリと笑う。
「イオルクの良さをアピールするのには絶好のイベントのはずだったのだけど……」
(まあ、裏で何が起こったかは容易に想像できるわね)
ユニスは声が漏れないように両手で口を押さえる。
ユニスと違い、真実が分からない王が王妃に訊ねる。
「あの者をユニスの側に置いといて大丈夫だろうか? 強いのか弱いのか分からないうえに、何を考えておるのか、さっぱり分からん」
「そ、そうですね」
王妃は苦笑いを浮かべるしか出来なかった。
「でも、あの騎士は、もうユニスの日常の一部のようですよ?」
王妃に言われ、王はユニスに目を移すと、ユニスは背中を向けて笑いを堪えていた。
「ふむ……。ユニスは嫌なら嫌というか」
「ええ」
王も王妃と同じように感じ取っていた。ユニスの笑顔が作り笑いではない純粋なものであることを……。
「暫くは、このままで良いか」
ユニスの顔に浮かぶ笑顔を見て、王と王妃はイオルクという妙な騎士に任せることにした。歳相応の少女の笑顔を与えることは、城に居るどの騎士にも不可能だと思えたから。
「ユニスも変な騎士を選んだものだ」
王妃は頷きながら笑い、王もつられるように笑っていた。
…
そして、イオルクを欠いた大会は進む。
結局、ティーナは一人で戦い抜いたが、準決勝で体力が切れて敗退し、大会はジェムの率いるチームが優勝した。
ちなみに大会終了後にユニスはこう語っている。『強くて誇り高い、自分を守ってくれる最高の騎士が泣いているのを初めて見た』と……自分の部下があまりにアホ過ぎて。