カディアンと別れたテオドールは、ナルサスが押し込まれた物置に来ていた。
さすがにあれだけの騒ぎを起こして、無罪放免とはいかないらしい。見張りとして二名の船員がついているのは、ミレーナの用心深さゆえだろうか。
船員に開いてもらったドアの内側には、木箱や樽などが雑然と置かれている。そして、それらの間に褐色肌の青年が座っていた。いいや、座らされているといった方が正しい。
木箱同士の間に置かれた椅子の上に、ドアの方を向いて座っている。
投げ出すように開いた太腿の間に両腕を落としたまま項垂れた青年は、ドアが開かれても顔を上げる気配はない。両手首に嵌められた細いリング同士を縄で結ばれている様子はまるきり罪人で、さしづめ、見張りの船員は看守だろう。
後ろ手にドアを閉じたテオドールは、その場に留まって青年を眺めた。
見る限り、普通の青年だ。多少目つきの悪さが目立つものの、異常者だとは思えない。
「……悪かった。どうかしていたんだ。……言い訳のしようもない」
やがて、ナルサスは静かに謝罪を口にした。
テオドールは、すぐには反応できない。
そうだ、どうかしていたのだろう。あの日の自分と同じように。
彼女を見た瞬間、すべての感情が沸騰してしまったのだろう。
怒りも憎しみも、殺意も苛立ちも、何もかもが急激に膨れ上がって全身の熱が引き上げられて、殺さなければと刃物を握った瞬間の衝動。生かしてはおけないと、殺さなければならないと。そう思ってしまった。
自分のものだとは認められないほどの、異様なほどに強い憎悪。
それを、テオドールは知っている。
「……魔女を、知っているのか」
テオドールが静かに問いかける。
しかし、ナルサスは答えなかった。
沈黙が数秒、数十秒と続く。ナルサスは答えない。ぐっと唇を引き結んで沈黙を貫いている。沈黙に対して、テオドールはゆっくりと息を吐いた。
「……俺は見た」
テオドールが溢した言葉によって、ナルサスは弾かれたように顔を上げた。その顔は驚きと困惑に染まっている。
「この目で、確かに見たんだ」
言葉を紡ぐ声が冷えて、喉奥が渇いていく。
忘れられるものか。あらゆるものを破壊して、全てを奪ったあの女を。
炎の中で微笑んだあのおぞましい生き物を。
水都カラジュムの森で見た顔も、確かに記憶の中の女と相違なかった。
「……俺も、お前のように彼女を襲ったことがある」
テオドールは言葉を続けた。
青年もまた、かつて故郷を奪われた生き残りなのだろうと思ったからだ。
そうでなければ、あれほどの殺意を抱く説明がつかない。
そして、彼女が
「……だが、彼女ではない」
ゆっくりと、殊更に言葉を含んで聞かせるようにしてテオドールは言う。
彼女ではない。彼女は魔女ではない。
目を閉じれば、燃えさかる炎が思い出せる。
彼女に乱暴しようとした山賊の男達は炎の制裁を受けた。
だが、眼前の青年は無事だ。
彼女がもし魔女と通じているのであれば、この青年こそ燃え盛る業火に焼き尽くされるに違いない。
彼女は魔女ではない──それは共に過ごすうちに感じたことであり、そして、そうであってほしいという願いのひとつだ。
もしも彼女が魔女だったなら、自分は彼女を殺さなければならない。
だが、もうだめだった。
今の自分には、そのようなことはできない。
テオドールにとってのシェリアは、かつて失った家族と同等に──あるいは、それ以上に大切な存在になっていた。
「……復讐を、するつもりか」
ナルサスが問いかける。
テオドールは、沈黙を挟まずに頷いた。
「そのために生きている」
あの魔女を殺すために。あの魔女に復讐するために。あの魔女の心臓を引き裂くために。
旅を続けて、人生を捧げて、すべての時間を費やしている。
テオドールの答えに迷いはなかった。
「……気分を害したらすまない。あの娘が……魔女の、依り代だとは考えたことはないのか」
ナルサスは眉を寄せた。
それほど迷いなく復讐に己を捧げている男が、魔女と同じ顔をした少女を守る理由が解せなかったからだ。
「……」
沈黙を返したテオドールは、ゆっくりと息を吐いた。
その可能性を、考えなかったわけではない。
彼女を餌にすれば魔女をおびき出せるのではないかと、思ったことがないわけがない。
彼女を傷つければ魔女が出てくるのではないかと、考えたことが一度もないはずがない。
あらゆる可能性を思って、そして、そのあらゆる可能性を否定した。
彼女が魔女である証拠など、見つけたくなかったからだ。
たとえ、それが現実逃避だとしても、テオドールはシェリアと魔女を結び付けることはしたくなかった。
「……彼女ではない」
まるで自分自身に言い聞かせるように、その言葉を繰り返した。
彼女であるはずがない。
彼女であってほしくない。
これ以上、大切なものを奪われたくなかった。