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いいことがあった夜

「…ただいまー」

我ながら『疲れてるなぁ』と分かるほど覇気のない声で玄関の扉を開けたら、

「おっかえりー!」

と、底抜けに明るい声で彼女が出迎えてくれた。




「どうかしたの?なんか疲れてるみたいだけど」

彼女がいち早く気付いて声をかけてくれたけど、俺は

「あー、うん…」

とお茶を濁して、

「そっちこそどうしたの?なんだかすごくご機嫌みたいだけど」

と返した。

すると彼女は、

「わかるー?実は今日、とってもいいことがあったんだー」

にこにこしながら答えた。

「いいこと?」

「うん。それはごはん食べながらお話しするね。さ、早く着替えてごはん食べよう?」

彼女はそう言いながら俺を食卓に誘った。



「ずいぶん豪華だねえ」

着替えてテーブルについた俺は、並んでいるご馳走を見て素直な感想を言った。

「でしょー?しかも今日は…」

彼女はそう言いながら

「とっておきのワインも開けちゃいまーす!」

と、とっておきのワインを目の前に出してきた。




「で?どんないいことがあったの?」

俺が聞くと彼女は、

「あのジジィがとうとう異動になったのよ!」

と答えた。

「あのジジィって、『セクハラパワハラ大魔王』って言ってたあの?」

改めて俺が確認すると、

「そーそーそのジジィ。ついに天罰が下ったの。『てんもーかいかいそにしてもらさず』ね。ざまぁみろよ」

スッキリとした表情で言った。

「それは本当によかったね。これでのびのび仕事ができるようになるね」

彼女の愚痴をいつも聞かされていたから、俺は心底そう思った。

「でね、それだけじゃなくてジジィの後任で来た上司もいい人でね」

「ふんふん」

「今までのあたし達の仕事ぶりをちゃんと見直してくれて、『これからはちゃんと評価する』って言ってくれたの!次のボーナスも期待していいってさ!」

本当に嬉しそうに彼女は続けた。

久しぶりに見せた彼女の嬉しそうな表情に、俺も嬉しい気分になった。




「…やっぱりなんか浮かない顔してるみたいだけど、どうかしたの?」

彼女が俺の顔を見ながら聞いてくる。

けど俺は、

「あー…いや、うん…」

どう見てもあからさまにお茶を濁した。

だけど彼女はそれで納得したのか、

「まぁ、何かあったらすぐに言ってくれるもんね」

そう言うとまた楽しそうに話し、ごはんを食べ、ワインを飲んだ。

俺もそれに付き合いながらも、心の隅に引っかかっていることを忘れられないでいた。


「さすがにこのタイミングで、『俺の勤め先が今日倒産した』なんて言えないよなぁ…」

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