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第11話「切り開くべき道」

 ヨシロウが出してきた「見返り」に、一瞬呆気にとられるものの、源二はすぐににやり、と笑った。


「なんだ、そんなことでいいのか?」


 その言葉は自信に満ちたもので、出会ってから今までの間に垣間見せた不安の色はない。

 こいつ、飯に関してはなかなかの自信家だな、と思いつつも、ヨシロウは頼もしさを覚えていた。


 源二ならきっと店を開いてもうまくやっていける。そこに自分のサポートは必要かもしれないが、源二が夢を叶えるため、そして源二が作る不思議な料理を体験できるのならできる限りのことはする、と心に誓う。


「となると善は急げだ。ニンベン屋にお前の戸籍を偽造してもらう」

「ニンベン屋?」


 聞きなれない言葉に源二が首をかしげると、ヨシロウはそっか、と頭を掻いた。


「偽造屋のことだよ。偽の文字ににんべんが入ってるだろ、だからニンベン屋」

「なるほど」


 身一つでこの世界に転がり込んだことを考えると、裏社会のお世話にならなければ生きることすらままならない。元の時代では関われば人生が詰むとも言われた裏社会に足を踏み入れることに、源二はほんの少しだけわくわくとした感情を抱いていた。


 とりあえず先に連絡だけは入れておくか、とBMSの電話機能を呼び出すヨシロウに、源二は「よろしく頼む」と会釈する。

 偽造屋との通話がつながり会話を始めたヨシロウを尻目に、源二はさて、と呟いた。


「俺はもう少し調味用添加物の研究をしますかね——」

「おいゲンジ、」


 源二の呟きを耳ざとく聞き取ったか、ヨシロウが通話を遮って声をかける。


「なんだ?」

「お前は寝ろ。もう夜だぞ」


 それともカフェイン錠飲んで徹夜するか? と確認するヨシロウに源二もそうだな、と頷く。


「早いうちに色々再現しておきたい。ありがたくカフェイン錠をもらうよ」

「あいよ」


 ヨシロウが引き出しからカフェイン錠を取り出して源二に投げて寄越す。


「慣れないうちは半錠にしておけ。別にお前は徹夜する必要がないんだから眠くなったら寝ればいい」

「そうさせてもらう」


 スプーンを取り出し、アルミシートから出した錠剤を置いて半分に割る。

 この時代でも薬は同じ構造のようで、割ってもいい錠剤に刻まれた割線になんとなくの安心感を覚えてしまう。

 ウォーターサーバーから汲んだ水で一息に飲み、源二はさて、と両手を合わせた。


 戸籍の偽造の手配をヨシロウがしてくれるのなら源二はそれを任せるしかない。それにヨシロウは偽造屋と懇意にしているらしく、時々冗談も交えながら談笑しているので世間話に花を咲かせているのかもしれない。

 いずれにせよ、今は自分にできることをするだけ、と源二はメモアプリを開き、保存していた調味用添加物の一覧を呼び出した。


 メモアプリではあるが表計算スプレッドシート機能もあったため、データを全て移行する。その上で調味用添加物の組み合わせと分量、そしてどの味が再現されるかのメモも追加していく。

 このメモが埋まっていけばどれほど楽しいだろう、そんなことを考えながらデータを参照し、添加物のボトルを選定していく。


 ヨシロウが通話をつないだまま自室に戻っていくのを視界の隅で見送り、源二は「何を再現しよう」と考えていた。



◆◇◆  ◆◇◆



 偽造屋ニンベン屋とやり取りしつつ、ヨシロウはPCを立ち上げ、キーボードに指を走らせる。

 詳しいことは夜が明けてから源二を連れてニンベン屋との待ち合わせに使っている場所に行けばいいが、それとは別に今回はヨシロウもやらなければいけないことがあった。


 それは政府が据え付けている戸籍情報システムへの侵入。

 いくら戸籍が簡単に偽造できると言っても、それは行政のサービスを受けない前提の話で、源二が正式に料理屋を開くとなるとどうしても行政の許可は必要となってくる。戸籍と身分証がデータベースによって紐づけられて久しく、大昔——それこそ源二が本来いるべき時代辺りなら保険証の使いまわしも可能だっただろうが、今ではそんなことは不可能。それにより医療費の不正受給はほぼ消滅した、と言われているが実際のところはそんなことはない。こうやって戸籍情報システムに食い込むレベルでの戸籍偽造を行なえば違法な戸籍で行政サービスを受けることはできる。だが、それが発覚するのは並大抵のことではない。


 巨大複合企業メガコープが台頭して各国の機能の多くは企業に委ねられることとなったが、戸籍の管理や国家間のやり取りなどで政府はまだ存在している。そのため、行政機能があるチヨダ・エリアには国内全ての戸籍の正本が格納された量子サーバが設置されている。

 その量子サーバが曲者で、生半可なハッカーでは戸籍の改ざんなど、不可能。


 だが、ヨシロウには世界中でも少数派の量子サーバを攻略可能なハッカーという自負があった。

 旧来のノイマン式コンピュータと違い、高速で並列計算を行う量子コンピュータに対してハッキングを仕掛けるとなると、リアルタイムで切り替わるセキュリティに対して柔軟に対応する必要が出てくる。


 量子コンピュータも普及して久しいが、それでも導入コストを考えるとノイマン式コンピュータやサーバもまだまだ現役で、メガコープに喧嘩を売るのでなければノイマン式コンピュータでのハッキングも十分に主戦力となる。そんな中でヨシロウは自前で量子コンピュータを用意した、数少ない量子ハッカーの一人だった。


 そう考えると源二がヨシロウに保護されたのは好都合だった。ノイマン式コンピュータしか攻撃できないハッカーであれば、店を開くにしても証明書の類も全て偽造になり、何らかのきっかけで行政の手が入れば即廃業、下手をすれば収監もあり得たのだ。


 いくら源二が裏社会と手を組まなければ生きることがままならない人間とは言え、ヨシロウとしては最終的には裏社会から手を切って表社会に自立してもらいたい気持ちはあった。確かに、源二のスキルや適応能力を考えればアシスタントとして手を組むのもいい、とは思っていた。しかし、源二の料理を食べ、源二の店を開きたいという夢を聞き、その考えは変わった。


 できることなら表社会で真っ当に生きてもらいたい。

 多少裏社会との縁が残るのは仕方ないが、それでも裏社会と料理の提供以外で関わることが一切ない、ごくごく普通の人間として生きてほしい、そう、ヨシロウは思ってしまった。


「だからこそ、手を抜けねえんだよなあ……」

《ん? なんか言ったか?》


 独り言に反応したニンベン屋にいいや、なんでもないと苦笑しつつ、ヨシロウは戸籍情報システムへのパスを構築する。

 ディスプレイを走る文字列、サブウィンドウに展開したセキュリティのリアルタイム情報、それら全てに目を光らせ、全ての準備を整える。

 セキュリティの更新タイミングウォッチドッグタイマーを測る。


(……間隔は五分——それだけあれば十分だ)

「おい、ニンベン屋」

《あいよ》


 ヨシロウの呼びかけにニンベン屋が応える。


「お前、うまい飯を食いたいと思わないか?」

《何を急に。飯なんてどこで食っても同じだろ?》

「もし、その前提が覆されるとしたら?」


 そう言ったヨシロウの指がそれぞれ四本の精密指マニュピレータに分かれる。


「ゲンジには正規のものと同等の戸籍を用意する。うまい飯のためにもな——!」


 ミスタイプは許されない。マニュピレータ一つ一つがそれぞれ指定のキーに割り当てられ、BMSによる制御で高速かつ精密にキーを叩いていく。

 セキュリティが切り替わった瞬間、ポートをこじ開けサーバに侵入、視覚に可視化されたセキュリティマップと五分のタイマーが表示される。


 戸籍謄本が保管されているライブラリまでのルートを算出、到達までの予測時間が計算され、五分のカウントダウンタイマーの下に表示されたのを見てヨシロウはふん、と鼻を鳴らした。


「到達予測時間、一分——システムが舐め腐りやがって」


 五分というスパンで切り替えられているセキュリティの種類は網羅している。行政あるある、使われているセキュリティは何重にも下請けされた結果、報酬が少なすぎてエンジニアがそれなりの労力で作った低質なもの。低質とは言え五分で切り替えられ、離脱できなかったハッカーを即座に通報、排除するくらいの機能は持ち合わせているのでヨシロウにとって一番脅威なのはセキュリティそのものではなく制限時間。


 四十本のマニュピレータが高速でキーを打ち、コマンドを組み上げていく。

 状況を理解しやすくするために可視化されたマップを光点が駆け抜けていく。

 侵入システムが算出した一分という到達予測を大幅に下回る、わずか三十秒という時間でライブラリに到達したヨシロウはにやり、と笑った。


「一人分、割り込ませてもらうぞ——」


 ここまで来たらあとは消化試合だ、と言わんばかりに、ヨシロウは戸籍謄本にアクセスを開始した。

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