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第12話「味の魔力は人をも動かす」

「——うん、」


 あらかじめ出力していたライスに今しがた出力した具を包んで小ぶりのオニギリを作った源二は、一口食べて満足そうに頷いた。


「我ながら完璧だな。いや、栄養ペレットニュートリションや味覚投影で元々の味から離れているから多少思い出補正が入ったか……? でも、この時代で再現するならこんなものか」


 トーキョー・ギンザ・シティに迷い込んでからまだ二日目ではあるが、それでも口にしたものは出力された紛い物ばかり。本来の味との差異を確認しようにも本物の食材が手に入らないとなると完全に記憶に頼るしかない。

 ——が、源二は「まあいいか、」と自分を納得させた。


 仮に本物と全く同じ味を再現したところでこの時代の人間にはその差を感じ取ることはできない。もし、再現された味を体験した後に本物を食べることができればその時に本物を知ってもらえばいい。

 大切なのは「本物に近づけた、味覚投影ではない本物の味覚」を体験してもらうこと。決して「本物を知ってもらうこと」ではない。


 そう考えた瞬間、源二はふむ、と声を上げた。


「味覚投影ではなくて自分の舌で味わってもらいたいってことだから昔の味にこだわらなくていいんじゃないか……?」


 調味用添加物はその組み合わせで無限の可能性を秘めている。それこそ、元いた時代には存在しなかった新たな味を開発することもできるのではないか? と考え、源二はぶんぶんと首を振った。


「いやいや、まずは基本からだ。基本を極めてこそ、応用ができるってもんだ」


 物事を極めるに当たっての手順として挙げられる「守破離」。基本を守り、他の流れを取り入れ、そして独自のものへと昇華するという流れはかつて見習いとして勤めていたレストランのシェフも言っていたことだ。今の源二は調味用添加物の基本を極めなければいけない段階、ここで焦って突拍子もないことをすれば調味用添加物を無駄に消費してしまいかねない。


 ヨシロウに立て替えて買ってもらったこの添加物を無駄にしないためにも、源二はまず基本の味を徹底的に再現することにした。

 ヨシロウがニンベン屋と通話しながら自室に戻って数時間。時間は深夜だがもらったカフェイン錠で眠気はない。

 もう少し頑張りますか、と源二は食べかけの試食用オニギリを平らげ、次の味を再現するためにデータベースを展開した。



◆◇◆  ◆◇◆



「うーっす」


 ヨシロウがそんな声を上げながらダイニングに姿を見せたのは夜が明けたどころか時計では昼ご飯時分を示す頃だった。

 源二は明け方にカフェイン錠の効果が切れて眠りについていたが、ヨシロウはどうやら貫徹で作業を進めていたらしい。


「ああ、おはよう」


 いくつかのオニギリをラップフィルムに包んでいた源二がヨシロウに声をかける。


「作業は終わったのか?」

「ああ、戸籍謄本にお前の戸籍をねじ込んでおいたぞ」


 そう言いながら、ヨシロウが源二に向かって何かを弾く動きを見せると源二の視界に近接通信通知が届く。

 源二が空中をタップして受信すると、視界に見覚えのある書類が表示された。


「住民票の写しな。ああ、面倒だから居住地はここにしておいた。引っ越したらちゃんと転居届出せよ」

「仕事が早いな」


 ヨシロウがハッカーという話は既に聞いていたことだが、たった一晩でここまで仕上げてしまった手腕にただただ驚く。

 ふふん、とヨシロウが鼻高々でいるように見えるのも気のせいではないな、と思い、源二は「どうする?」と尋ねた。


「住民票ができてるならニンベン屋の仕事なんてなさそうだが」

「いや、これからがニンベン屋の仕事だ。というわけでさっさと行くぞ」


 椅子に掛けていたジャケットを手に取り、ヨシロウがちら、と源二を見る。

 源二も同じように椅子に掛けていたヨシロウのジャケットを手に取り、それからテーブルに置いたいくつかのオニギリを手近な袋に詰めた。


「ん? オニギリ?」

「朝飯食ってないだろ。移動しながらでもいいし、なんならニンベン屋とやらに食ってもらえば俺がやりたいことも分かってもらえるだろ」


 そう言いつつも袋を手に玄関に向かう源二に、ヨシロウは思わず口元を拭った。

 源二のオニギリは絶品だ。ありふれたプリントフードであるはずなのに味がする。

 本人は「調味用添加物を組み合わせただけだ」と謙遜しているが、それが並大抵の人間にできることではないことはよく分かっている。


 そんなオニギリがまた食べられるのか、と思うと朝食を摂らずに家を出ようとしたことが悔やまれるが、そこはいいや、と考えなおす。

 源二の言う通り、ニンベン屋にもこの味を体験させるべきだ。


 ヨシロウはニンベン屋に「うまい飯が食えるとしたら?」と話をしていた。それを手っ取り早く体験させるには源二のオニギリはあまりにも強すぎる。

 一つ食べれば世界が変わる、そこまで考えながらヨシロウも靴を履き、外に出る。


「こっちだ」


 とりあえず、駅に向かうぞ、とヨシロウは足早に歩きだし、源二もそれに続いた。



 なんとなく見覚えのあるトーキョー・メトロのギンザ駅からヒビヤ・ラインの電車に乗って数駅。ツキジで降りるとごみごみしたビル街が源二の目の前に広がる。


「……東京メトロ、まだあったんだ……」


 初めて乗ったはずなのに懐かしい感じがした電車に、源二がぽつりと呟く。


「まぁ、都心エリアトーキョー・メトロポリスの移動は車より電車の方が早いんだよ。金持ちは安全性のために車移動する奴が多いが、庶民はこんなもんだ」


 ヨシロウの説明になるほどと頷きつつ、源二がきょろきょろと周りを見る。

 築地と言えば築地市場があったが、源二が元の時代にいた時点で営業終了し、解体が進められていた。その周辺で築地場外市場と称した商店街が賑わいもしたが、この世界では本物の食材が売られないためかただのビル街として再開発され、多くの人や車が行き来しているだけとなっている。


「こっちだ」


 ヨシロウの言葉に、源二が細い路地へと足を踏み入れる。

 人気のない路地を通り過ぎ、たどり着いたのは古ぼけたマンション。それでも源二が元いた場所のものに比べればかなり新しい。


 そういえば、今は西暦何年なんだろう、と思いつつ、源二はヨシロウに続いてエントランスに入り、その中の一室を呼び出す。


《もう来たか、ロックは解除してるから勝手に入ってこい》


 ニンベン屋の言葉に、ヨシロウも分かった、と頷いて源二を手招きする。

 エレベーターに乗って五階へ、廊下を歩き、とある部屋に立ち、ヨシロウは扉を開けた。


「おう、来たか」


 廊下を抜けて奥の一室に入ると、様々な機材に囲まれて一人の小太りな男が座っているのが見えた。

 小太りな男はエナジーバーを咀嚼しながらキーボードに指を走らせている。

 ヨシロウと源二が部屋に入ってきたことで男は椅子を回して振り返り、二人を見た。


「へえ、そいつが偽造書類を必要とするって奴か」

「ああ、とりあえず戸籍謄本にデータはねじ込んだが書類を出すにも身分証明IDカードが必要だからな。そこはニンベン屋頼りだよ」

「えっ」


 ヨシロウと男——ニンベン屋の会話に、源二が思わず声を上げる。


「まだ物理カードがあるんだ……」

「なんだ、物理カードなんて当たり前だろ?」


 そうなんだ、と源二が驚く。


「二〇一六年にマイナンバーカードの交付が始まって、俺も作ったんだが、結構面倒だったんだよな。もうその辺全部電子データになってると思ってたが」

『にっ』


 源二の言葉に、ヨシロウとニンベン屋が顔を見合わせる。


「……二〇一六年って、西暦だよな……?」

「……西暦とか、歴史の授業以来だわ……」


 そんな会話を繰り広げながら、ニンベン屋は訝し気に源二を見た。


「そんな百年以上も前の時代から来たと言われてもにわかには信じられんな」


 こんな奴に戸籍謄本いじる価値あったのか? と呟くニンベン屋に、ヨシロウが苦笑する。

 それから、源二を見て目配せした。


「?」


 一瞬、どういうことかと考えた源二だったが、すぐにヨシロウの意図を理解して手にしていた袋からオニギリを取り出す。

 それをヨシロウに渡すと、ヨシロウはほら、とニンベン屋の手にオニギリを握らせた。


「? なんだ、オニギリじゃねえか」


 こんなもの、どこでも買えるだろ、と言わんばかりのニンベン屋に、ヨシロウはニヤニヤしながら「食ってみろよ」と促す。


「……別に今腹減ってないんだがなあ……」

「いいからいいから。食ってみな、飛ぶぞ?」


 ヨシロウがそう言ったことで「昔のネットミームがこの時代にも残っているなんて」と思いつつ、源二も頷いてニンベン屋を促す。


「あ、味覚投影はオフな? このオニギリは味覚投影オフで食べるものだからな」


 調味アプリを開こうとするニンベン屋に忠告するヨシロウ。


「なんでぇ、味覚投影しなかったらまずくて食えたもんじゃないだろ」

「いいからいいから。騙されたと思って食ってみろ」


 その言葉にえぇ……となりつつもニンベン屋がラップフィルムを剥がし、オニギリを口に運ぶ。


「えー、別に普通のオニギ……!?」


 ニンベン屋の言葉が途中で止まる。

 次の瞬間、仕方なく口に運んでいたオニギリを猛烈な勢いで食べ始めた。


「何だこれ!? 味がするんだが!?」

「だろ?」


 どうだ、これがゲンジのオニギリだ! とヨシロウがドヤ顔をする。

 時折、のどに詰まらせたか水を飲みながらもニンベン屋はオニギリを完食し、驚いたように源二を見た。


「なんだこのオニギリ……。初めて食った。しかも食ったことのない味! レシピにない味だった!」

「何!?」


 ニンベン屋の言葉にヨシロウが源二を見る。


「レシピにない味って——」

「はい」


 詰め寄るヨシロウに、源二が落ち着き払ってオニギリを渡す。

 それを奪うように受け取り、ヨシロウも一口頬張った。


「!?」


 口の中に広がる味はマヨネーズか。クリーミーながらも酸味の混ざった味の奥から魚の風味が噛むたびに混ざりこんでくる。


「なんだこれ!?」


 このオニギリ、フードプリンタのレシピには収録されていない。とても斬新で、それでいてどことなく懐かしさを覚えてしまう。

 ふふん、と源二が得意げに笑う。


「ツナマヨだよ。フードプリンタにレシピはなかったが、ツナマヨペーストはあったから合体させて復活させた」

『!?』


 源二の説明に、ヨシロウとニンベン屋が目を見開いて顔を見合わせる。


「そんなことできるのか!?」

「ああ、簡単だよ」


 あっさりと答える源二に、ニンベン屋は「これはやばい」と本能的に悟った。

 ヨシロウから依頼を受けたときは「なんでこんな奴に」と思っていたが、これは本気を出す価値がある。


 行政サービスを受けない、ただ警備局に身分提示を求められたときに提示できるIDカード程度ならいくらでも偽造できるが、行政サービスを受けられるレベルとなると相当緻密な作業が必要となる。何しろ一般的には「偽造不可能」と言われているカード内電子データを偽造するのだ、失敗すれば即逮捕もあり得るほどのリスキーな偽造は相手にそれほどの価値があると思わなければ手を出すべきではない。


 しかし、ニンベン屋は源二のオニギリをたった一個食べただけで理解してしまった。

 「この男にはそれだけのことをする価値がある」と。

 ヨシロウは「源二が正式な手順で料理屋を開けるようにしたい」と言っていた。

 はじめは「そんなどこにでもあるもののために」と思っていたが、そんなことはない。

 源二の料理は唯一無二のものだ。この料理をが世に知られず埋もれてしまうのはあまりにも惜しい。


 それに、ニンベン屋は食べることが好きだった。味覚投影の味変で同じ料理でもいくらでも食べられる。そんなニンベン屋が源二の料理に魅入られるのは当然のことだった。

 よし、とニンベン屋が両手を合わせる。


「これは手を抜けないな。いいぜ、本物同然のカードを作ってやる」


 ただし、と続け、ニンベン屋は源二とヨシロウを見た。


「店を開いたら絶対に俺を呼べよ? 毎日でも食いに行ってやる」

「……ああ!」


 お安い御用だ、と源二も大きく頷いた。

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