ヨシロウに引き続き「うまいbot」と化したニンベン屋がオニギリとクッキーが大量に入った袋を手に引き上げるのを見送り、源二が苦笑する。
「そんなに俺が作った飯はうまいか?」
言っとくが、ただのプリントフードだぞ? 栄養価とか全く変わりないんだがと呟く源二の背をヨシロウがはたく。
「った!」
「何言ってんだ、お前の飯は特別なんだよ」
ただのプリントフードじゃない、唯一無二の「味」があるだろと言うヨシロウに、源二は「まあな」と頷く。
「でも、これは調味用添加物の調合さえ理解してしまえば誰にだってできるものだ。ヨシロウ、あんたもこの配合表を理解すればいつでもオニギリが食えるぞ?」
ヨシロウの視界に共有されるスプレッドシート。
見た瞬間、ヨシロウがうへぇ、と声を上げる。
「お前、よくこんなの作ったな」
「千里の道も一歩から、地道にやってたらそのうち成功するんだよ」
実際、源二はヨシロウやニンベン屋がうまいbotと化したのは自分がきちんとデータを取ったからだと思っていた。スプレッドシートにまとめた各調味用添加物とその配合データをきちんと理解できる人間がいれば同じように、いや、源二以上においしいものを作ってくれるはず、とも思っている。
ただ、この時代の人間は本物の味覚を知らないだけだ。知れば、きっと失われた味は蘇っていく。
とはいえ、源二も一人の人間だ、欲くらいはある。
「ま、でもこのデータを一般的に公開する気は今のところないけどな」
「本物の味を独占する気か?」
ヨシロウの問いに、源二が頷く。
「この時代で本物の味を再現できるのが俺だけなら、暫くはその栄光に縋りたいんだよ。まぁ飯屋が成功するかどうかはさておき、得られる利権は得ておきたいってもんだ」
「お前、
源二の発言に、ヨシロウが意外そうな顔をする。
「得られる利権は得ておきたいとか一部の特権階級が考えそうなことだってこったよ。俺たち下々はそのおこぼれにあずかれればラッキーってもんだ。だが——」
そう言い、ヨシロウはにやりと笑う。
「お前のような野心たっぷりな考え方、俺は好きだぜ? 下々であってもやっぱり一山当てたいとかうまい汁吸いたいとかは思うもんだしな」
「実際、あんたはもう吸ってるけどな」
「物理的な味じゃねえよ! 利権的な意味だよ!」
源二の言葉が冗談だとは分かっているが、思わず反論する。
反論してから、ヨシロウはぱん、と両手を合わせた。
「いいじゃないか、成り上がり。ゲンジ、お前の飯で上れるところまで上り詰めてやれ!」
「望むところだ。この時代で本物の味覚が武器になるなら俺はメガコープにだって喧嘩を売るぞ」
「流石にメガコープに喧嘩を売るのはやめとけ、死ぬぞ」
そう、止めたもののヨシロウは源二にわずかな期待を寄せていた。
源二の武器は革命を起こす。店を出して人気が出ればメガコープも看過してはおけないだろう。
そうなれば得られる利権は最大限に貪ろうとするメガコープが動くのは必然。
そんなことを予想しながら、そうならなければいいが、と思いつつ、それでも源二の店が成功してほしい、と願ってしまう。
こんな、メガコープが世界を牛耳るどうしようもない世界、とヨシロウは思っていたが、源二という「異物」により世界に一石が投じられるのではないか、という期待。
日々を生きることが精いっぱいの人々に、少しでも希望の光が差せば、と思い、ヨシロウは思わず苦笑する。
自分もその一人なのに、どうしてこんなことを思ってしまったのか。
それなら自分は全力で源二をサポートするまでだ、とヨシロウは台所で添加物の調合を再開した源二を尻目に自室に戻った。
PCのディスプレイに視線を投げ、源二の開業資金調達用に稼働させている暗号資産のマイニングプログラムを確認する。
本来なら確認作業が一番早く終わったユーザーに与えられる報酬を振り込まれる前に掠め取るというプログラムを走らせている。ヨシロウがしているのは基本的にどれだけ掠め取れているかの確認と、その行為が発覚していないかの警戒のみ。
「……よし、バレてないな」
掠め取ったマイニング報酬は目標金額の三分の一ほど。
長時間稼働し続けていると発覚のリスクが高まるので適度に切断しては別のルートを開拓する、といったことを繰り返しているが、このスピードでこの金額、発覚もしていないことを考えると俺の腕も大したものだな、とヨシロウはほくそ笑む。
この辺で一旦切断しておくか、とヨシロウがキーボードに指を走らせ、プログラムを停止、痕跡を残さないように細心の注意を払って離脱する。
「……少し休憩するか」
そんなに集中して作業をしたわけではないが、ハッキングの依頼も来ていない今、ヨシロウは暇を持て余している。
それなら源二の開業準備で手伝えることをするか、とヨシロウは内見予約を入れた店舗周辺の防犯カメラにアクセスした。
元々好立地な店舗なのに閉店したのだから何か理由があるはず。
店舗の閉店理由自体は単純な食中毒事件だったが、それならただ一定期間の営業停止で済むはずだ。それなのに閉店に追い込まれたのだから理由は他にあるはず。
何枚ものディスプレイに表示された周辺エリアの防犯カメラが往来する人々や車を映し出す。
「……?」
ポインティングディバイスを操作するヨシロウの手が止まり、防犯カメラの映像を一つ一時停止にする。少しだけ巻き戻し、何度か拡大操作をしたところでヨシロウはははぁ、と呟いた。
「なーるほどね」
なんだ、
「……ま、ゲンジの飯で解決するだろ」
ヨシロウにとってはあまりにも些末な理由。
閉店した前の店舗の店長には同情するが、それだけだ。
むしろ源二のために店を空けてくれてありがとう、とすら思ってしまう。
立地を考えれば余程のへまをしなければそう簡単に潰れるような場所ではない。源二の唯一無二の料理なら常連を多数獲得するのも難しい話ではない。
ただ、問題はその常連をどうやって捕まえるかだ。
今時の料理屋はほとんどが常連を抱えているし、その常連の奪い合いをしている。源二がそこに参戦しても新規で常連を獲得することも、客を呼び込むことも難しい。ましてや味覚投影が当たり前の世界でそれを必要としない料理に興味を持つ人間がどれだけいるかも分からない。そもそもプリントフードは味覚投影をしなければまともな味がしないというのが常識である。初動がまずければ誰も立ち寄らずに即閉店もあり得る。
「……初動で客を呼び込む方法、ねえ……」
店を立ち上げた経験がないからそんなテクニックは持ち合わせていない。知り合いで開業した人間もいないからノウハウを聞くこともできない。
全くの手探りの状況だな、と思いつつ、ヨシロウはフードプリンタの通販サイトにアクセスした。
「考えつつ、店で使うプリンタでも見繕っておくか」
源二はまだどのフードプリンタがいいかなどは分からないはずだ。いくつか見繕って、源二が必要だと思っているスペックのものを選んでもらった方が話は早い。
そう思っての行動だったが、通販サイトに表示された告知バナーが目に入った瞬間、ヨシロウは目を見開いた。
「……!」
これだ、という言葉がヨシロウの口から漏れる。
告知バナーからそのサイトへジャンプしたヨシロウはふむふむと呟きながら詳細を確認する。
——店に入るハードルが高ければその前に低いハードルで慣れさせればいい。
通販サイトに掲載されていたその告知はハードルを下げるのにうってつけのものだ、とヨシロウは直感的にそう思った。
アドレスをコピー、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、ヨシロウは台所に飛び込んだ。
「ゲンジ!」
「どうしたヨシロウ、そんなに慌てて」
怪訝そうな源二の声。
それには構わず、ヨシロウは指を弾いて源二に先ほどコピーしたアドレスを転送し、声を上げた。
「このイベントに参加するぞ!」
「……はぁ!?」
アドレスを受け取ってサイトにアクセスした源二が、素っ頓狂な声を上げた。