店内の最終的な準備が整い、楽しみだが緊張する日を迎え、源二もヨシロウもやや不安そうな顔をして「食事処 げん」の店内を見回した。
「いよいよプレオープンか……」
感慨深そうに呟くヨシロウに、源二がやや緊張した面持ちでそうだな、と頷く。
「あの展示会でそこそこ手応えは感じてるが、それでもやっぱり店として受け入れてもらえるかは分からんからな」
「まぁ、受け入れてもらえるんじゃないか?」
極めて楽観的に、ヨシロウが源二を励ます。
ヨシロウとしては「食事処 げん」は大ヒットするものと信じていた。少なくとも初めて源二の料理を口にした時から驚いていたし、その後もニンベン屋やサトル展示会で試食した多くの人の反応を見ればそれは明らかだ。
だが、それでもあれは特殊な状況だったからその目新しさ、珍しさで評価されただけかもしれないという不安は付きまとう。
その、店の行先を占うのが今日のプレオープンだ。
プレオープンということで客は全て源二が招待した人間となる。今後世話になるフードトナーの卸問屋やヨシロウの家の近所に住む人、他には——。
「お邪魔しますよ」
光の暖簾をくぐり、初老の男が店に足を踏み入れる。
その後ろから二人の男が「連れです」という体で店に入り、初老の男の左右に座る。
「これはハクア殿。ご足労ありがとうございます」
入ってきた初老の男に、ヨシロウが立ち上がって会釈した。
「ああ、イナバも来ていたのですか」
ハクアと呼ばれた初老の男がヨシロウにそう言い、それからカウンターの奥の源二を見る。
「貴方がイナバのお気に入りですか」
「ええ、ヨシロウ——イナバさんにはお世話になっています」
源二も初老の男に会釈、すぐさま名簿を確認する。
「イナバさんからお話は伺っております。ハクア・チハヤ様ですね」
BMSで視界に呼び出した名簿を見ながら源二は注意深く初老の男——チハヤを観察した。名簿に添付された顔写真と目の前のチハヤを画像認識で同一人物と確認し、務めて笑顔でお冷の入ったコップを差し出す。
チハヤはというと受け取ったコップの水を一口飲み、じっと源二に視線を投げた。
「イナバから紹介されたということは私が何者かはご存知のはずでしょうに」
「ええ、もちろん存じ上げております」
そう言い、源二がちら、と周囲を見回し、口を開く。
「トーキョー・ギンザ・シティの闇を引き受ける
声のトーンを落とし、そう言う源二の顔は真剣だった。
店内にいる人間はチハヤたち以外にはヨシロウがいるだけで、他の招待客はまだ姿を見せていない。
話すなら今だと言わんばかりの源二に、チハヤもそれは、と声のトーンを落とした。
「表の人間ならヤクザと関わることは嫌がるものでしょうに。我々反社勢力と呼ばれる人間と関わりがあると知れば
「ええ、
含みを持たせたチハヤに、源二も含みを持たせて応える。
「このご時世、裏社会と完全に繋がっていないクリーンな企業はそうそうないですよね? メガコープの子会社であってもどこかではヤクザと繋がっていますし、先日のフードプリンタ展示会も大手各社が参加しているにも関わらず、その主催は白鴉組と繋がっていた——そうでしょう?」
「よく調べましたね。『好奇心は猫をも殺す』と言うではありませんか。知ることで危険な目に遭うとは考えなかったのですか?」
静かな声で忠告するチハヤだが、その言葉の奥に鋭い警告が混ざっているのを源二は感じ取っていた。
源二も分かっている。裏社会と関わらないに越したことはない、ということくらいは。
それでも敢えて白鴉組の組長をプレオープンに呼んだことにはちゃんと理由がある。
もちろん、と源二が頷く。
「真っ当な人間なら関わらなくていいものには関わろうとしませんよ。ですが、私はもう十分関わっていますからね——後戻りできないくらいに」
戸籍の偽造や違法な手段での開業資金調達はすでに行なっている。それはしなくて済めばよかったが、時代を超えてこの街に転がり込んでしまった源二はそうしなければ生きていくことすら叶わなかった。
ヨシロウが面倒を見ると言い、それを受け入れた時点で源二は心を決めていた。
生きるためには裏社会ですら利用する、と。
源二の言葉にはその重みが含まれていた。
チハヤもそれに気付き、そうか、と低く呟く。
「しかし、それでは表社会から守られることはなくなるのですよ?」
「覚悟の上ですよ。少なくとも、今この街にいる私には——何もありませんから」
「こんな立派な店を作っておいて、よく言いますよ」
そう言い、チハヤは初めて笑みをその顔に浮かべた。
「いいでしょう、イナバが見立てた人間なら我々白鴉組も可能な限り裏でサポートさせていただきますよ——と言いたいところですが、まずはこの店の料理を味わってみないことには。我々がサポートするに値する店かどうか、見極めさせていただきますよ」
チハヤがそう言ったところで、他の招待客がちらほらと顔を見せ始める。
これ以上の会話は危険だと判断したチハヤがもう一口水を飲み、話題を変えた。
「それで大将。どのようなものを食べさせてくれるのですか」
「よくぞ聞いてくれました」
他の客も席に着いたところで、源二が空中をタップすると全員の目の前にメニューが表示される。
「メニューはこれから増やして行きますが、今日のところはこちらからどうぞ」
その言葉に、席のあちこちからほう、という声が聞こえた。
メニューはよくある料理屋と大差はないが、いくつかは店のメニューに掲載されてはいるもののフードプリンタのレシピには掲載されていない。
それだけですでに目新しいのに、この店の売りは「味覚投影オフ」ということは周知されているので自然と招待客の期待も高まってくる。
「——それでは、このオコノミヤキというものをいただきましょうか」
チハヤがメニューの一角を指差し、オーダーを始める。
その言葉を皮切りに、他の招待客も思い思いのメニューをオーダーし始めた。
「はいよ! 少し待ってくださいよ!」
BMSのオーダーシートを確認し、源二が元気よく声を上げ、慣れた手つきでフードプリンタを操作し、オーダーされた料理を出力していく。
調理台に並んだ三台のフードプリンタが静かに動くのを興味津々で眺める招待客を見ながら、ヨシロウは緊張を紛らわせるように水を飲んだ。
この店の主人は源二なのに、なぜかヨシロウまで緊張していた。
自分が目を付けた人間の店が本当に成功するのか、見届けるとは決めたが見るのが怖い。
それに、オコノミヤキといえば早い段階でメニューに追加するとは決めていたが、源二はつい最近まで「やっぱりもう少し後にするか……」と悩んでいた。
ヨシロウも試食は何度か付き合い、十分店に出せるレベルだと思っていたのに源二としては「もう一つ足りないものがある」という状態だったらしい。
それでも最終的にメニューには掲載することを決定したのだから調整自体は終わっているのだろうが、本当に大丈夫だろうかという不安はある。
「……いきなり難易度高そうなものだが……うまくやれよ、ゲンジ」
祈るようにそう呟き、ヨシロウはフードプリンタが料理を出力する様を眺めていた。