投資家でもあったサトルの協力により導入することができた最新式のフードプリンタの出力はとても静かで、早かった。
ヨシロウの家にあるものよりもずっと早く、緻密に形を作り上げるその様子を源二が見守っていると見覚えるのあるお好み焼きが皿の上に出来上がっていく。
まるで業務用の食品を扱っているスーパーで売っているお好み焼きみたいだなあ、と見ているうちにオコノミヤキは次々と完成し、源二はそれを客の前に出す——前に調理台の一角に皿を置いた。
フードプリンタの隣に作られたスペース、そこにはいくつかのボトルが並べられている。
そのボトルを手に取り、源二が料理に中身を垂らしていく。
ボトルの中身は少しどろっとした感じの茶色い液体や、液体というには粘度が高すぎる、ペーストというにはさらっとしすぎている液体をかけていく。
その作業を済ませ、源二はようやく皿を客の前に置いた。
「はい、オコノミヤキです!」
これは源二の想定通りだったのか、想定外だったのは分からないが、全ての招待客が同じ料理——オコノミヤキをオーダーしていた。
他の店では見かけない料理、それどころかサンプルの写真もフードプリンタのレシピの見本写真とは明らかに違うそれに招待客は目を引かれていた。
「これが……オコノミヤキ……」
もの珍しそうに、チハヤが声を上げる。
オコノミヤキと言えば炭水化物に食物繊維やタンパク質を混ぜて丸く仕上げたもの、というのがチハヤの印象だった。味覚投影ではそこにスパイシーな塩味も含まれていた記憶はあったが、今彼の目の前に置かれたオコノミヤキは明らかに見たことがないものだった。
丸く仕上げられている点ではチハヤがよく知るオコノミヤキと同じだ。しかし、その上に見たこともない液体がかけられている。茶色とクリーム色の液体は一見オコノミヤキを台無しにしているようだが、同時に「食べてごらん」とチハヤを誘っている。
何が自分を誘うのだ、と考え、チハヤはすぐに気がついた。
「味覚投影していないのに——香りがする?」
ほのかに香る、スパイシーで香ばしい香り。それは味覚投影と同時に嗅覚にも作用するオコノミヤキの香りをさらに際立たせたような匂いでチハヤを誘っていた。
「食べる前から楽しみがある——これは期待できますね」
フォークを手に取り、チハヤはオコノミヤキを一口切り分け、口に運んだ。
その瞬間、ガツンとしたパンチのある味が液体から広がり、次いで食べ慣れたオコノミヤキの、炭水化物の味が口の中に広がっていく。
だが、食べ慣れた味であるはずなのに決定的に違うのは炭水化物、食物繊維、タンパク質の味がそれぞれ独立していること。そこへ更にスパイシーな塩味が広がって味に深みを持たせていく。
「——これは」
オコノミヤキを飲みこみ、チハヤは感心したように声を上げた。
他の招待客も驚きや感嘆、賞賛の声を次々に口にしている。
「味覚投影オフでこの味とはやりますね。そしてオコノミヤキにかかったこの液体が絶妙に味を広げてくれている」
「ソースとマヨネーズですね。頑張って再現しました」
チハヤの反応に気をよくした源二が説明する。
「どうですか、『食事処 げん』の料理は」
挑発にも思える源二の言葉。
しかし、その場の招待客は全員、この場を支配しているのは源二だと確かに感じた。
見たことがあるはずの料理に見たことがないものを使い、懐かしいのに新しい味を当たり前のように差し出す、こんな料理店の店主は見たことがない。
これはすごい、とオコノミヤキを食べるチハヤを窺いつつ、ヨシロウもオコノミヤキを口に運んだ。
「——、」
口の中に広がるスパイシーさと酸味に言葉を失う。
チハヤの言う通り、オコノミヤキにかけられたもの——源二が「ソースとマヨネーズ」と呼んだ二つの液体がオコノミヤキに不思議な深みを持たせている。
例えるなら、宇宙。底の知れない深い闇がヨシロウを包み込む。
だが、その闇は決して不快なものではなく、とても心地よく懐かしいものだった。
口の中で弾ける味はまるで星々の煌めきのようで、同時に不思議な熱が体を温めていく。
「ソースとマヨネーズって、すごいな」
オコノミヤキを飲み込み、ヨシロウが呟く。
この二つをヨシロウは、いや、この街の人間が知らないということはない。この二つが使われた料理は口にしているから味も分かっている。だがそれは味覚投影による、あくまでも「調味の一つ」であったため、単体としての味は知らなかった。
「これは——売れますね」
いつの間にかオコノミヤキを完食したチハヤが確信したように呟く。
「味覚投影しなくても食べられるというだけでも驚きですが、この味のクオリティも素晴らしい。初めて食べたはずなのに、とても懐かしい気持ちになりました」
そんなことを言いながら、チハヤはテーブルに備え付けられていた紙ナプキンで口元を拭く。
「ヤマノベ、と言いましたか」
「はい」
チハヤに声をかけられ、源二が向き直る。
「これはあくまでも一人のくたびれた男の独り言として聞いていただければ。この店——今後、様々な試練に見舞われるでしょう」
「ハクア殿、それは——」
チハヤの言葉にヨシロウが怪訝そうな顔をする。
いや、何となくは分かる。この店が何の問題もなく存続できるとはヨシロウも思っていない。
「恐らく、噂を聞きつけた多くの企業がこの店に目を付けるでしょう」
「そこまで行きますかね」
フードプリンタの展示会で「コラボしましょう」と言われた時のことを思い出しながら源二が応える。
行きますよ、とチハヤは即答した。
「大手企業なら『食事処 げん』の味を盗んで利権を奪おうと考えるでしょう。もし、この店が貴方一人で守るのが辛いと感じたなら、こちらを頼るといいでしょう」
そう言いながら、チハヤが源二に向けて指をスワイプした。
源二が送られてきたデータを受け取り、展開するとそれは一枚の名刺だった。
白い鴉の代紋の下に記載された【白鴉組】という文字、肩書きは組長、その下にはこの時代には珍しく漢字表記で
《表立って支援することはしません。『食事処 げん』には地域の皆さんを支えていただきたい》
名刺の下にはそんなメッセージが添えられていた。
「ハクアさん——」
源二がチハヤを見ると、チハヤは一つ頷き、立ち上がった。
「それでは私はここでお暇させていただきますよ。大将、美味いオコノミヤキをどうもありがとう。オープンしたら食べに来ますよ」
にっこり笑っての退店。
それだけで、源二はこの店の安全性についてはクリアされたという手応えを感じる。
ヨシロウの話から推測するだけだったが、白鴉組というヤクザは有名ではあるものの表立っての諍いはほとんど起こさず、真っ当に生きる一般市民の目にはつかないよう水面下で活動しているという認識が源二にはあった。
今回、「食事処 げん」を開業するに当たっても必ずどこかの組が干渉してくると予想していたため、それならお目付け役のヨシロウが懇意にしている白鴉組と繋がった方が話は早いと先手を打っていた。
その先手が功を奏したのならその時点で源二の勝ちだ。
他の招待客も食事を終え、感謝の意を表して退店した後、源二は皿洗いを手伝ってくれるヨシロウに視線を投げた。
「ヨシロウ」
「なんだ?」
「これで、この店はひとまず安泰だと思わないか?」
その一言で、ヨシロウも察する。
「安泰だな。他の組が絡もうにももう最大手の白鴉組がバックについている。手出しはできんさ」
なら安心だ、と源二は食洗機の扉を閉めた。
「あとは他の企業がどう動くか、だな。あの展示会で可能性は浮上している、いつかレシピを開示する気ではいるが、それまでは盗まれないように気をつけないとな」
「そこは俺に任せろ。BMSの防御は俺が何とかする」
ヨシロウがそう言った時、源二の視界にメール着信のアイコンが点滅した。
「ん、メールだ」
メールアドレスの交換など、ヨシロウとあと数カ所の取引先以外していないはずである。
ということは取引先からの連絡か? と源二がメールのアイコンをタップすると。
「……マジか」
メールの本文を読んだ瞬間、源二が呆然として声を上げた。
「ん? どうした?」
ヨシロウの声に我に返り、源二が慌てて視界に映る画面を共有する。
ふむふむとヨシロウもメールに目を通し——
「なんっ、じゃこりゃあぁぁぁぁ!?」
思わず声を上げた。
メールの差出人は先ほど帰ったばかりのチハヤ。
内容は至ってシンプルだった。
『本来は店の守りとなるとそれ相応の費用を請求するところですが、「食事処 げん」には金銭ではなく現物でお支払いいただきたい。ついては、月に一日、白鴉組に貸切で店を開けていただきたい』
「ハクア殿、よっぽどお前の料理が気に入ったんだな」
呆れ半分、メールを読んだヨシロウが声を上げた。
「まさか貸切とはな……」
酒は出さんぞ、と続ける源二に、ヨシロウもまあな、と同意する。
「とはいえ、お前の料理はアルコール以上に強い麻薬みたいなものだからな。被害があるとすれば——ダイエットの敵、ということくらいだ」
「そんな、麻薬って」
大袈裟な、と肩をすくめる源二にいやいやいや、とヨシロウが全力で首を振る。
「お前の飯は一度食うと離れられないっての。ハクア殿もすっかり虜になって、だが頻繁に通えば一般人に迷惑がかかるからこうやって月一で貸切にして部下とかにも食わせたいって魂胆だろ。それだけお前の飯は士気を上げるのに十分ってこった」
「マジかあ」
そうは言ったものの、源二も悪い気はしていなかった。
正式オープン前にでき上がった超強力な「食事処 げん」のファン。
これは大切にしなければいけないな、と思いつつ、源二はチハヤのメールに承知した旨の返信を送るのだった。