ニンベン屋やサトル、他にも懇意にしている数人の常連の試食を経てスシは新メニューとしてデビューすることとなった。
メニューの追加は一ヶ月に一度くらいのペースで行われ、その度に「『食事処 げん』の新メニュー!」と大々的に広告を打っていたため、新メニュー実装から一週間は「食事処 げん」は戦場となる。
今回も例に漏れず、多くの客がスシを求めて店に押しかけてくる。
それもそうだ。源二が提供するプリントフードは今までからほとんど全ての客の期待を斜め上方向に裏切ってきた。味覚投影ではそこまでうまいと思えなかったものが実際に味わうと同じ味のはずなのに違う表情を見せる、そんな体験ができるのは「食事処 げん」だけ。今回も「普通に出力したらただ生臭いだけ」のスシがどれほど化けるのか興味津々で訪れていた。中にはちゃっかり新メニューだけ楽しむことでお馴染みの客もいるが、それはそれで新しもの好きの常連として源二はしっかりと覚えている。
「すごい、生臭くない!」
「ってか、生魚ってこんなにうましいんだ!」
そんな声を上げながら舌鼓を打つ客の反応に、源二が満足そうに頷く。
「すごいよな、このショーユって奴を付けるだけでこんなにうましく食べられるなんて」
醤油を付ける、付けない、と食べ比べをする客に源二が笑う。
「これは普通の出力では真似ができないものですからね。その食べ比べにもう一つ追加してみませんか?」
そう言った源二の顔がにやけている。
あ、悪い顔してる、と隅のカウンターでこれまたスシを食べていたヨシロウは手元の皿に視線を投げた。
源二は時々料理でいたずらをしてくる。あのフードプリンタ展示会準備で「飴を作った」と言って何の細工もせずに出力した味のない飴を出してきた恨みはいまだに忘れない。それともう一つ——。
「え、食べ比べにもう一つあるの?」
——あ、被害者。
源二の言葉に興味を持った客が食いついている。
ヨシロウとしては心の中で南無と弔わずにはいられなかったが、この源二の洗礼を耐えることができればこの客は「食事処 げん」の常連として「完成された」ものとなる。
源二が小皿に黄緑色のペーストをほんの少しだけ乗せて客に差し出す。
「何これ」
「これをスシに付けて食べてみてください。あ、付けるのは少しだけでいいですよ。ほんの少しでもとんでもない効果を出しますから」
へー、と客が興味津々で皿に乗せられたペーストを源二の指示通りに少しだけ乗せる。
そこにショーユを少し付けて、口に運び——。
「〜〜〜〜!?!?」
鼻の付け根を押さえて声にならない声を上げた。
「……南無」
その様子を眺めていたヨシロウが小さく呟き、同じように自分の小皿にあったペーストをスシに付けて食べる。
「……この良さが分かれば立派な常連だよ」
「な、なんですかこれ!?」
ヨシロウの呟きをよそに、客が涙目で源二に訴えかける。
そんな客に、源二はにっこりと笑いかけた。
「わさびですよ」
「ワサビ?」
聞き慣れない食材に、客が首を傾げる。
「な、なにこれ、すごく鼻がつんとして、ピリピリして——でもなんだろう、不愉快じゃないんだ。なんだろう……」
最初の衝撃が通り過ぎ、客が別のスシに今度はもう少し量を減らして源二が言った「ワサビ」を乗せる。
それを口に運び、もう一度声にならない声を上げてから客は満足そうに頷いた。
「すごい、これスシに合う! なんか『大人の味』って感じがする!」
「そうですよ、お子様にわさびは少し早いですからね」
ニコニコと笑う源二に客もつられて笑う。
「うわー、すごいな。スシなんて大昔の食べ物だし、大昔の食べ物ってそんなにうましくないって歴史の本には書いてあったけど……。こんなうましいもの食べてたんですね」
そう、源二に言った客の顔は輝いていた。
大昔の料理が全てまずいわけじゃない、うましいものはうましかったのだ、と感動する客に、源二はまあ、と答える。
「初期の寿司はもっと別物だったんですけどね。それが時代を経るにつれてどんどん進化していったんですよ。私が出力したものは江戸時代の早ずしをベースに西暦二〇〇〇年代頃に流行したものとなっています」
「それでも十分大昔ですよ! タイショー、よくそんな大昔の味を復元しましたね」
まるで実際にその時代に行ったことがあるみたいだ、と言う客に、源二の心臓が一瞬だけ跳ね上がる。
「その時代に行ったことがある」ではない。「その時代から来た」のだ。
そんなことを話したところで信じてもらえるとは思っていないが、それでも客からすれば「実際にその時代を経験したのではないか」と思いたくなる味だったらしい。
「西暦か……特に二〇〇〇年代って今よりアナログだけどそれでもテクノロジーの発展途上という感じでワクワクするんですよね。そこそこテクノロジーがあって、食べ物もプリントフードじゃなくて本物の食材で作られたもので、なんか今より満たされていたんだろうなあ……」
紀年も変わり、時代も大きく変わったがノスタルジーというものは存在する。
この客も源二の料理に自分の知らない時代へのノスタルジーを感じたのか。
客の「今より満たされていたんだろうな」という発言に、源二はどうだろう、と考えてみた。
この時代はテクノロジーが発展している。元いた時代と比べるとホログラム映像は当たり前だし義体も当たり前のように——事故等で欠損せずとも置き換えるくらいには普及している。脳もBMSというシステムを導入することで拡張されたし、源二から見ればこの時代はとても満たされているように感じる。
しかし、それと同時に失われたものも多い、と源二は理解していた。
その筆頭が料理だ。
環境汚染や就農人口の減少、フードプリンタの普及によって一般市民が本物の食材に触れることはなくなった。自分の舌で味わうこともなくなり、味覚投影による紛い物の味で日々の食事を誤魔化している。
それは食文化の喪失という形でこの世界に広がっていた。
そう考えると、元いた時代はあの新型ウィルスを発端に苦労はしたが食の楽しみというものがあった。その点では、客の言う通り「満たされている」。
実際に二つの時代を経験して、源二はどちらが良かった、とは甲乙付けられなかった。あの時代にも、この時代にも、素晴らしいところや物足りないところはある。
だが、源二はこの時代に来て、この時代の料理を食べて、調味用添加物という「可能性」を見つけて思った。
「この時代で失われたものを擬似的に再現できる」と。
そう考えればむしろこの時代の方が満たされる「可能性」がある。
むしろ、この時代を満たすために自分はタイムスリップしてしまったのではないか、と。
ワサビを付けたスシを楽しみながら、客は言葉を続ける。
「そういえば、『ビッグ・テック』が昔『タイムマシンを開発したい』って発表してたなあ……。俺が子供の頃だったからもう二十年前か……? あれから続報がないってことを考えるとやっぱり夢物語だったのかなぁ……」
「え?」
客の言葉に、源二が思わず聞き返す。
——タイムマシン?
まさか、という考えが源二の胸をよぎる。
ほんの一瞬、クラクションを鳴らしながら自分に迫ってきた車を思い出す。
タイムマシンは源二が元の時代にいた頃からSF作品でよく取り扱われていた題材だ。現実でも開発しようとした研究所はあっただろうが、それでも「親殺しのパラドックス」など様々な論理的パラドックスが問題視され、結局は実現不可能ではないか、と源二も考えていた。
とはいえ、ここはその時代から数百年経過したらしい未来。もしかするとタイムマシンの研究が進んでいる可能性がある。
「いや——まさかね」
自分の心に浮かび上がった可能性を、源二は否定した。
まさかタイムマシンが実際に開発されていて、それによって源二がこの時代に連れてこられたなど与太話も甚だしい。それに、源二はタイムマシンに乗った記憶も下された記憶もない。車に轢かれたと思ったらこの時代のスラム街に落ちていた、とヨシロウも言っていたではないか。
だから、自分がこの時代に転がり込んだ原因は不明。それでいい、と源二は考え直す。
今更元の時代に戻りたいとも思わない。この時代で人々の味覚を楽しませることに喜びを覚えている。
それでいいじゃないか、と源二は自分に言い聞かせた。
元の時代に戻らずとも、この時代にいた方が俺は多くの人に受け入れられる——と。