源二の読み通り、様々な
普段の「食事処 げん」はカレーやカツサンドなどボリューム感のあるメニューが好まれていた。だが、そういったものは比較的味付けが濃い目で、多くの客がオニギリやスシなどさっぱり目の料理を合わせて頼むことが多い。そうなると今度は炭水化物の比重が高くなり、一日の許容カロリーをオーバーする、といったことになりがちだった。
それが、今回の「サラダ」である。
カロリーは控えめ、整腸作用などもある食物繊維をふんだんに含み、味は自分の好みで付けられるとなると少しでも健康的にと考える人間は喜んで注文する。そのため、美容には特に気を遣うような女性も罪悪感なく味覚投影オフの料理を楽しめるとして通うようになっていた。
「オニギリもサラダも色んな味が楽しめるっていいわねー」
「ねー」
友達と連れ立って来たのだろう、二人組の女性が楽しそうにサラダを食べている。
「この店、彼氏がすごくお勧めしてくれてたんだけどメニューがちょっと重くて来づらかったのよね。でもこんなヘルシーメニューもあるなら何度でも来ちゃう」
「しかも、ベジミール社の最新機種を使ってるから見た目が『映える』のよね」
これが元いた時代の女性ならスマートフォンを取り出して撮影会をしただろうが、この時代ではそういった行為は一切見られない。そもそもスマートフォンは廃れて久しく、デジタルカメラもプロのカメラマンや書類添付写真を撮影するカメラ以外で見かけない。
世の中の人間、どうやって写真記録を残すのかと来たばかりの頃は疑問に思っていた源二だが、それはBMSを入れたことで疑問が解けた。
「『食事処 げん』なう、っと」
そんな声が聞こえてきて、源二は「この時代でも『なう』って言うのか」と苦笑した。
二人組の女性客は出された料理を楽しそうに眺めまわしていた。
それが「撮影」なのだと二人の周囲に投影されたBMSステータスではっきり分かる。
電話や撮影といった特定の動作をすると使用者の周囲に「通話中」「撮影中」といったステータスが表示されるのはもう慣れたが驚きは大きかった。だが、なぜそんな仕様になっているかはヨシロウの説明を受けて納得できる。
「んなもん、盗撮とか隠れて通話とか、そういう悪用防止に決まってんだろうが」というヨシロウの言葉ははっきりと覚えている。
確かに、視覚がそのまま映像として記録されるのならこうでもしないと盗撮も、それだけでなく盗撮の冤罪も多発してしまう。ヨシロウによると義体の指先に小型カメラを仕込むこともできるので悪辣な輩はいくらでも悪用してしまう、ということらしい。
ヨシロウから説明されたときは「未来になっても盗撮はあるんだなあ」と逆に感心してしまったものだが、実際にこうやって料理を撮影する様子を見るとBMSのステータス表示は視覚的に確認できて便利である。
料理を視覚的にも味覚的にも楽しむ二人組を源二が微笑ましく眺めていると、視界に注文のアラートが表示される。
見ると、この二人組が茶碗蒸しを注文している。
それじゃ、やりますかと源二は自分に気合を入れ、フードプリンタに調合した調味用添加物を投入した。
◆◇◆ ◆◇◆
閉店後、いつものようにヨシロウやニンベン屋と夕飯を済ませ、戸締りを済ませた源二が帰路に就く。
ヨシロウと並んで他愛のない会話を広げながら裏口のある路地裏から表通りに出ると、どこからか泣き声が聞こえた気がして源二は足を止めた。
「どうした?」
怪訝そうな顔でヨシロウが源二に声をかけると、源二はきょろきょろとして口を開いた。
「いや、子供の泣き声が聞こえた気がして」
「子供の泣き声? もう夜だぞ」
まさか、こんな時間に子供が、と反論しつつもヨシロウはBMSを操作し、周囲を確認する。
周囲の飲食店の多くは閉店しているものの、結構な数の店はまだ営業しており、車通りも人通りも多い。「眠らない街」として機能するトーキョー・ギンザ・シティはホロサイネージや立体映像が煌めき、喧騒は収まるところを知らないようだった。
その中でもヨシロウは周囲にある防犯カメラの映像にアクセスし、声が聞こえそうな範囲にいる人間を確認しようとしていた。
時間としては夜ももう遅い。子供がいるとしても一人だけのはず。
そう予測して周囲を探索したヨシロウがあっと声を上げる。
「マジでガキが一人でいるじゃねえか。こっちだ」
源二にルート案内を転送し、ヨシロウが先導する。
「一応、ガキもBMS入れてるならGPSですぐに親が見つけるだろうがその前に悪い奴らに見つかったら終わりだ、急ぐぞ」
「悪い奴らって——」
そうは尋ねてみたものの、源二もなんとなく察していた。
元いた時代でも人さらいというものは多かったし、子供の誘拐となると身代金要求、人身売買、臓器売買といった目的のものも多い。
特にこの時代で考えると異常性癖を持った人間への人身売買や生身至上主義者に対する臓器売買は十分にあり得る。
急がなければ、と源二がヨシロウに続いて角を曲がると、そこに一人の男の子が途方に暮れて泣いているのが見えた。
親とはぐれたのか、と思いながら源二とヨシロウが男の子に駆け寄る。
「おい坊主、大丈夫か?」
ヨシロウがそう声をかけると、男の子はびくりと身を震わせて後ずさる。
「おいおい、ビビってんじゃないか」
源二が呆れて笑いながら腰をかがめ、男の子に目線を合わせるが、それでも男の子は怯えている。
その姿に、なぜかこの時代に来た直後の自分を思い出し、源二が苦笑する。
一人で慣れない場所にいればそれだけで不安になる。今は少しでもこの子の不安を和らげるべきだと考えた源二は無理やり近づくこともせず、それでもすぐに対応できる位置で男の子に声をかけた。
「あー、怖いよな、ごめんな。だけど君一人じゃ悪い人に連れていかれるからお父さんお母さんが迎えに来るまで一緒に待とうか」
ふるふると首を振って立ちすくむ男の子。
さて、どうしたものやら、と考えた源二は自分の鞄に試食用のクッキーを入れていることを思い出した。
「なあヨシロウ、この時代ってアレルギーはもうないんだよな?」
念のため、ヨシロウに確認する。
「あー、一応アレルゲンのほとんどは除去されてるから滅多に起こらないが、ごくまれに通常のフードトナーが一切ダメなアレルギー体質があるからな。なんだ、ガキになんかやるんか?」
「ああ、試食用のクッキーがあるから」
源二がそう答えると、ヨシロウは再び「あー」と声を上げる。
「ちょっと待ってくれ、メディカルタグを確認する」
そう言いながらヨシロウが素早く指を動かし男の子のBMSにアクセス、生活上の配慮事項を記載したメディカルタグの有無をチェックする。
メディカルタグはその人物のアレルギーの有無や周囲が配慮しなければいけない症状を記載したもので、普段は可視化されないが緊急時にアラートとしてタグが表示されるのは源二も実際に見たことがある。救急救命の心得がある通行人が即座に対応、その結果救急ビークルが到着する前に回復した、という流れになった、というところからこの時代のメディカルタグの重要性はよく理解しているつもりだった。
時間にして十数秒、ヨシロウがすっと空中に指を走らせてウィンドウを閉じる。
「大丈夫だ、いたって健康体だぞ」
「ならよかった」
それなら安心してクッキーを渡すことができる。
鞄から名刺サイズのショップカードを貼り付けた試食用クッキーを取り出し、源二は男の子にそっと差し出した。
「よかったらこれ食べて落ち着こうか」
「……でも、知らない人からもらっちゃダメだって」
ふるふると首を振る男の子。
「デスヨネー」
隣でヨシロウがそう呟いているが、源二はめげずに大丈夫、と繰り返す。
「味覚投影しないで食べてごらん。びっくりするから」
「……え?」
源二の「味覚投影しないで」という言葉に、男の子は興味を持ったようだった。
「……お母さんが、『味覚投影しないと食べられない』って言ってたよ?」
「うん、おじさんのクッキーは特別製なんだ。そのままで食べてごらん」
源二がどう? とクッキーを近づけると、男の子は恐る恐る受け取り、個装を開けた。
「本当に、大丈夫?」
不安そうな男の子の言葉に、源二が力強く頷く。
思い切って、男の子はクッキーを口に運んだ。
ぱくりと一口、そして次の瞬間驚いたように声を上げる。
「味がする! いつものクッキーの味だ!」
「だろ? すごいだろ?」
子供に対しても源二の態度は変わらなかった。
夢中でクッキーを頬張る男の子を、源二は優しい目で眺めている。
「おじちゃん、もう一個!」
クッキーを完食した男の子は、あろうことかおかわりをおねだりしてきた。
「仕方ないなあ」
そう言いながらもまんざらではない顔でクッキーを手渡す源二。
「いいなー。俺も食いたい」
男の子があまりにもおいしそうにクッキーを頬張るので堪り兼ねたヨシロウも源二にねだりだす。
「お前もかよ」
仕方ないな、とヨシロウにもクッキーを渡した源二は男の子の隣に移動して、周囲に視線を巡らせた。
少し離れたところで、一人の女性が名前を叫びながら走ってくるのが見える。
「おっ、お母さん来たみたいだ」
源二がそう声をかけると、男の子も顔を輝かせて走り出した。
親子は無事に合流し、母親は息子に大丈夫だったか、と確認している。
男の子がこちらの方を指さしながら何かを言い、源二たちの姿を認めた母親が深々と頭を下げる。
それを見届け、源二も片手を挙げて軽く振った。
男の子も笑顔で手を振り返す。
「……じゃ、帰りますか」
もう一安心、と源二が歩き出す。
「……すげえな、お前のクッキーでガキを救っちまったよ……」
そんなことを呟きながら、ヨシロウも源二の隣に並んで歩き始めた。