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第33話「自分で決めたことなら」

 その客の来訪は突然だった。


「いらっしゃい!」


 店内に響く源二の声、その声に招かれて出入り口でほんの少し躊躇していた家族連れが入ってくる。


「あ——」


 家族連れの顔を見た源二は思わず声を上げた。

 その顔には見覚えがある。

 数日前、閉店後に偶然見かけた迷子の男の子と母親、隣にいる男性は見覚えがないが、一緒にいるということは父親だろうか。


「あ! クッキーのおじちゃん!」


 源二の姿を見つけた男の子が嬉しそうに顔を輝かせて声を上げる。


「お、来てくれたのか?」


 源二が嬉しそうに笑いかけると、男の子は早く早くと両親の手を引っ張った。

 三人が席に着くと、男の子がにこにこと笑いながら源二を見上げてくる。


「ママ、このおじちゃんの作るごはんすごいんだよ!」

「こら、まずありがとうでしょ!」


 あまりのはしゃぎように母親が苦笑しながら促すと、男の子はあっと声を上げてぺこりと頭を下げる。


「この間はおいしいクッキーありがとう!」

「そっちじゃなくて!」


 どうやら、男の子には味覚投影せずに食べたクッキーの味が強く印象に残っているらしい。

 母親が慌てて訂正しようとするが、源二は笑ってそれを制止した。


「大丈夫ですよ。そもそもの話、いくらメディカルタグを確認したとはいえ子供に勝手に食べ物を与えたのは本来なら許されることではありませんから」

「その点に関しては気にしないでください。迷子になったこの子を安心させるために見守ってくれたということは分かっていますので」


 父親もそう言うが、その視線はメニューに落ちていた。


「お、ペペロンチーノあるのか、俺ペペローンチーノ好きなんだよなあ……」

「ちょっとあなた!」


 お礼も何も言えてないじゃない、と文句を言う母親だったが、男の子と父親が夢中でメニューを眺めていることで諦めることにしたのか。

 はぁ、とため息をつき、それから源二を見て会釈した。


「あの時は本当にありがとうございました。あの日はコンサートの帰りだったんですけど、その時にこの子が急に走り出しちゃって……」

「あー、子供あるあるですね」


 母親の言葉に源二も苦笑する。

 幼い子供が親の手を振り切って飛び出すのはいつの時代も同じ、源二が元いた時代もそれによる事故を防ぐために子供用ハーネスが流行していたくらいだ。源二としてはあれはなかなか画期的なものだと思っていたが快く思わない層も一定数はいたわけで、SNSでよく炎上案件になっていた記憶がある。


 この時代はというと元の時代よりはハーネスを使う親をよく見かけるがそれでも普及しきったという感じでもなく、ハーネスの是非を巡る論争は今でも続いているのかと源二は思ったものだ。


「やっぱり、ハーネス買おうかしら。でもおばあちゃんが『そんな犬みたいなこと』って言うのよねえ……」

「はは……」


 これには源二も苦笑せざるを得なかった。

 だが、すぐ真顔に戻り源二なりの意見を口にする。


「お母さんが必要だと思うなら使った方がいいと思いますよ」

「えっ」


 源二の言葉に母親が声を上げ、源二はしまったと一旦口を閉ざす。


「いや、私からは付けろとも付けるなとも言いません。だってお母さんの問題ですから。お母さんが必要だと思うなら使った方がいいかな、というだけで、私含め他の人の声なんて聞く必要はないと思いますよ」


 これは源二も心掛けるようにしていることだった。何かを始めるのに他人の声でするしないを決める必要はない。実際に動くのは自分なのだからその主導権を他人に握らせてはいけない、そう思っている。


 実際のところ、源二には悔いがあった。

 あの新型ウィルスが原因で修行していたレストランが閉店したとき、開業を諦めたのは両親の言葉がきっかけだった。

 「もう、こんな状態で飲食店なんて目指さない方がいいのかもしれない」と両親に言われて源二は一度は開業を諦め、別業種へと転職した。


 もし、両親の言葉を振り切りいつかはこの混乱は終わると信じてつなぎとしてアルバイトをしていればもしかすると開業できずとも別のレストランで働けたかもしれないし、この時代に転がり込むこともなかったかもしれない。


 そんなIFを考えても仕方ないが、それでも源二はあの時は選択を誤ったと思っていた。

 結果として何百年も未来の世界で夢を叶えることはできたが、これが正解だったとは源二は思っていない。本来ならあるべき時代、あるべき場所ですべきことをしなければいけないのだ。


 だから、この母親にも自分と同じ悔いはしてもらいたくなかった。

 他人の意見に左右された結果、事故が起こっては遅いのだ。

 源二の言葉に、母親が一瞬呆気にとられる——と、不意にその頬を水滴が伝った。


「あ、あの、私、泣いて——」


 慌ててハンカチで目頭を押さえる母親に、源二が優しく笑いかける。


「大変でしたね」

「っ、」


 母親が声にならない声を上げる。


「おい、急にどうしたんだ」


 父親が慌てて母親に声をかける。


「お父さん、こんなことを言うのは差し出がましいですが——お母さんも子育てで大変なんですよ」


 優しい声で、源二が父親を諭す。

 別に源二は結婚していないし、当然のことながら子供もいない。

 だが、SNSではよく子育てで嘆く母親の投稿を見かけたので子育ての大変さはほんの少しだが理解しているつもりだった。その上で、自分の発言がきれいごとであることも分かっている。


 それでも源二は声を掛けずにはいられなかった。

 心に重荷を抱えているのなら、その重荷を少しでも軽くしたい、その気持ちはある。

 その手段として、源二は——。


「ま、あまり考えて抱え込んでも仕方ないので! 今日は私の料理を楽しんでください!」


 湿っぽくなった空気を入れ替えるように、源二は声のトーンを変えた。


「坊やはもうおじさんの料理がどんなものか分かってるよな?」

「うん! 僕オムライスが食べたい!」

「じゃあ俺はペペロンチーノを!」


 男の子と父親が即答する。

 母親は暫く涙を拭いていたが、すぐに落ち着きを取り戻してメニューを確認、ちら、と父親の方を見てから、


「それじゃあこの特盛牛丼をお願いします!」


 そう、高らかにオーダーした。


——これが食べられるならもう大丈夫だな。


 母親のオーダーに、源二が心の中で大きく頷く。

 恐らく、周囲の人間の言葉に振り回されて迷っていただろう母親のオーダーに迷いはなかった。

 自分の一言で母親が迷いを断ち切れたのならそれでいい。ただ、源二にはこれ以上この母親に対して責任を持つことはできない。背中は押したが、後は自分の足で歩くべきだしその隣に立つのは源二ではない。


「お父さん、頑張ってくださいよ」


 出力したペペロンチーノの皿を置き、源二は父親をそっと励ました。




「おじちゃん、おいしかった!」


 男の子が嬉しそうに源二に手を振る。

 源二も手を振り返すと、男の子の両親が深々と頭を下げた。


「とてもおいしかったです」

「いやぁ、まさかあの特盛牛丼をぺろりと行くとは思わなかったなあ」


 父親の視線はカウンターに残された丼に釘付けになっている。

 あの後、母親の前に置かれた特盛牛丼は通常の牛丼の倍はあろうかというボリュームだった。

 元々は大食いのニンベン屋向けに用意していたメニューだったが、母親が注文したことで店内の客の視線が集中したのは言うまでもない。

 その特盛牛丼を、母親はぺろりと食べきった。


「私、本当はたくさん食べたい人なの。でも太ったらみっともないとか言われてあまり食べないようにしてたんだけど、他人は他人、私は私。ここではたっぷり食べさせてもらいます」

「お、いい顔してるな!」


 晴れ晴れとした顔で言う母親に、父親が嬉しそうに笑う。


「お前がそうやって笑ってくれると俺も嬉しいぞ。まぁ、流石にいつも大量に食べたら体重が気になるところだがそうやってここだけで、とか決めてるなら何も言わんよ。またみんなで食べに来ような」

「ね! 今度カレー食べたい!」


 どうやら、この家族も源二の料理に魅入られてしまったらしい。

 抱えていた悩みはどこへやら、すっきりした顔で家族が店を出ていく。


「ありがとうございましたー!」


 その背中に声をかけ、源二はふっと笑うのだった。

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