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第34話「望郷からの挑戦」

 源二がトーキョー・ギンザ・シティに迷い込み、「食事処 げん」をオープンしてどれくらいの時間が経過しただろうか。

 少なくともまだ半年は経過していないが、それでも何度かメニュー追加を行っているので少なくとも数か月は経過したな、とカレンダーを見るとちょうど季節が一つ通り過ぎたところ。


「あー、もう夏か……」


 店の中は空調が効いていて快適だが、外に出るとうだるような暑さ。それでも、源二が元居た時代に比べると——。


「涼しい、というか異常気象は改善されたってところなのか……」


 今日の営業も終わり、いつものようにヨシロウと夕飯を済ませた後連れ立って歩きながら源二が呟く。


「異常気象?」


 ヨシロウが不思議そうに首をかしげると、源二がああ、と小さく頷いた。


「日本って四季の気温変化を楽しむ国とか言われていたのに俺がこっちに来る前の数年はもう『夏!』『冬!』みたいな気温差になっててな。お前にとっては超古典ネタになるんだが元号を擬人化したキャラクターに責任を擦り付けてたぞ」

「元号? 擬人化?」


 ヨシロウの反応に、源二が「やっぱり」と呟く。


「まぁ企業歴C.E.になってから元号の概念もなくなった、と考えると日本国民としては色々思うところはあるんだが、元号ってのはあれだ、ほらあれだ、俺が元の時代にいた頃の」


 普段ならジェネレーションギャップが発生するような話題はそこで打ち止めにするのだが、今日の源二は少し語りたい気分だった。夏の暑さも元いた時代とは全然違う、その事実になんとなく望郷の念を覚えてしまったのか、と思いつつも源二は説明を始めていた。


「ああ、あの西暦じゃない方」

「そうそう、俺がいた頃は令和になってたんだが、元号が令和になってから異常気象やら災害が多発してな。何かあるたびにネットで『また令和ちゃんが……』とか言われてたよ」

「ちゃん、って、女の子だったのかよ」


 元号の擬人化とかよく分からん、とぼやきつつもヨシロウは興味を持ったように話に乗ってくる。


「そうだな、昭和とか平成は成人男性で擬人化されるパターンが多かったのに令和だけは幼稚園児か新入社員の女性で擬人化されてたな」

「なんで両極端なんだよ」

「そりゃー、無邪気な幼稚園児かポンコツ新入社員ってことだろ」


 はえー、とヨシロウが感心したように呟く。


「とにかく、お前がいた時代はそれだけ気候がやばかった、ってことか」

「そういうこと。それに比べると今の時代は過ごしやすいよな。暑くても三〇℃以上真夏日程度だし」


 あの令和時代に始まった猛暑日の連続は危険だった。昼間の外出は極力控えるよう言われていたくらいだし、熱中症の搬送なども大変だったと聞く。

 それが今の時代完全に緩和されているのはひとえに——。


「ゲンジ、あと十分で降ってくるぞ」

「おっと、もうそんな時間か」


 BMSで時計と天気予報を確認し、源二が足早に歩きだす。


「でも、世界単位での気象制御とかマジですごいな」

「いや、俺としては昔の『いつ何が起こるか分からん』の方が信じられんわ」


 そんな会話をしながら二人がマンションにたどり着いたタイミングでぽつり、と水滴が落ちてきた。

 水滴はあっという間にある程度の強さを持った雨に変わり、地面を濡らしていく。


「ビッグ・テックの気象制御の精度は九十五%を超えてるって言うからな」


 オートロックのエントランスで指紋認証のロック解除を行い、二人がエレベーターホールに入っていく。


「お前のいた時代はどうだったんだ? 気温も制御できないんだから当然雨なんて」

「ゲリラ豪雨とかヤバかったよ」

「ほへー」


 部屋に入り、疲れたー、と伸びをするヨシロウに源二がインスタントコーヒーを渡す。

 もちろん、本物のコーヒー豆からできたものではなく、炭水化物を焙煎して作られたという合成ものではあるが、数少ない「味覚投影せずに楽しめる」嗜好品なので源二も気に入っている。


 ソファに並んで座り、暫く無言でコーヒーを飲んでいた二人だったが、飲み終わる頃には思考も切り替わって明日のことを考え始めていた。

 ヨシロウは本職がハッカーということで相変わらず依頼を受けては企業のサーバを攻める、といった日々を送っているがそれでも「食事処 げん」のデータはきちんと集めている。源二が分析しやすいようにまとめておき、閉店後に夕食ついでに報告するのが日課となっている。


 全てのオーダーと、それによって使用したフードトナーや調味用添加物の量、そして客の平均滞在時間やピークタイムなど、あらゆるデータは源二に提出ずみ。

 それを見ながら大まかな戦略は店で立てているが、帰ってからの源二はそれを元に新メニューの開発を進めている。最近は後付け調味料の人気に様々なドレッシングを増やしてきたのもその一つだ。


 だが、ドレッシングばかりではサラダやカルパッチョといった洋風ライトメニューのラインナップだけが充実してしまう、と源二は次の手を考え始めていた。

 源二の次の手が何かはヨシロウの知るところではなかったが、源二が夜遅くまで調味用添加物を混ぜ合わせては綿密にデータを取っているところを見ると期待だけがどんどん膨らんでいく。


 実際、源二が作り出した調味用添加物にハズレはない。たまにとんでもないまずさのものを出してくることもあるが、それすら源二は計算しつくしたうえで「こう調合すればこの味になる」として出してくる。実際に味を体験するという意味ではヨシロウは実験台ではあったが貴重な経験をしていた。


 今夜も源二は実験をするつもりなのか、ヨシロウから空になったコーヒーカップを受け取ってキッチンに入っている。

 それじゃ俺はシャワーでも浴びてきますかね、とヨシロウが立ち上がったタイミングで、源二は小さな丼を手にリビングに戻ってきた。


「早えな」


 いつもならキッチンにこもれば数時間は出てこないのに何があった、と思いながらもヨシロウの目は丼にくぎ付けになっていた。

 これがあるということは料理自体は完成しているということ。それなら一体どんな料理が。

 期待に胸を膨らませて源二の前に行くと、源二は笑いながらはい、と丼を渡してきた。


「夕飯少なかっただろ? というわけで試食だ」


 そういえば、今日の夕飯は控えめだったな、と思い返しつつもヨシロウが丼を受け取る。

 最近の源二は食事に関して厳しくなった。特にヨシロウに対して。

 「食事処 げん」オープン前は様々な料理を食べさせてくれた源二だったが、最近は試食も最低限になっている。メニューの追加も大量に行われるものではないので体感として試食の量は格段に減った。


 そのおかげで一時期きつくなっていたウェストは元通りになったが、それでも食べたいものを思う存分食べられない苦痛はある。

 「もしヨシロウが太りすぎて病気になったら困る」と言う源二の気持ちも分かるが、こんなおいしいものをお預けされている俺の気持ちも考えろよ、とヨシロウは何度言葉を飲み込んだか。


「暫く満足に試食してもらってなかったからな。今日は特別だ」


 それでもハーフサイズだけど、と続ける源二の言葉をヨシロウは聞いていなかった。

 丼の中を見る。

 ライスの上に黄緑色の細長い物体——キャベツの千切りと黒っぽい物体が乗っている。さらに黒っぽい物体の上には同じく黒っぽい液体が掛けられており、それはキャベツやライスにも浸み込んでいる。


 見た目は控えめに言ってもおいしそう、ではない。黒っぽい食材と言えばノリやワカメ等の海藻類があるし、古来の日本人は好んで食べた食材であると言われても今の時代ノリでも少々ためらいはある。

 ノリに比べて赤茶けた黒ではあるが、それでも「本当においしいのか?」と疑いたくなる見た目をしているそれに、ヨシロウはちら、と源二を見た。


 源二は自信たっぷりの顔でヨシロウを見ている。

 そうだ、源二がまずい料理を出すはずがない。今までネタとして出されたまずいものも全て飴や調味用添加物の状態だったではないか。そもそもまずい料理を作って廃棄せざるを得なくなるようなことは一切しない。

 それなら。


 覚悟を決めて、ヨシロウはフォークで黒っぽい物体を突き刺し、口に運んだ。

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