口に運んだ瞬間のヨシロウの感覚としては「味がある!?」だった。
いや、味があるのは当たり前である。源二が作るプリントフードが味覚投影なしに味わえるのは常識である。
違う、とヨシロウが混乱する頭で考える。
「味がある」は厳密には違う。「想像していた味ではない」が正しい。
黒っぽい見た目から、ヨシロウは海産物的な少し磯の香りのする料理かと想像していたが、実際に口の中に広がった味は全く違う。
少し甘く、ショーユのような塩味もあるが、ショーユとは違う芳醇さがある。源二曰く「本来の醤油は発酵調味料」ということで理解はできないとはいえ今の時代にはない甘みがあった。しかし、この黒い物体を黒く染めている赤茶けた黒っぽい液体もショーユのような旨みを孕んでいる。
「なんだこれ……」
今まで食べてきたものと違う。甘い、ということはスイーツの類になるはずなのにこれは明らかに食事のメインとして機能していた。甘じょっぱい菓子類も色々食べてきたのにこれは菓子ではない、れっきとした食事だ。
口に入れた物体を咀嚼する。食べ慣れた肉の食感が歯応えとして存在を主張し、サクサクとした衣がいたずらっ子のように口内を刺す。
「……トンカツ!」
最初の一口を飲み込み、ヨシロウが声を上げた。
ああ、と源二が頷く。
「だが、トンカツといえばいつもソースだったじゃないか、なんだこのソース。甘いのに少ししょっぱくて、でもスイーツ、という感じじゃないんだ」
どう表現していいか分からないが、それでもヨシロウは頑張って言語化につとめる。
いつものようなソースのガツンとした衝撃ではない。じわり、と口内を侵食していく感覚はまるで熱感。
ソースをかけたトンカツも良かったが、この得体の知れない液体もヨシロウにじわじわと手を伸ばしていた。
ふふっと笑った源二が両手を合わせる。
「ヨシロウがここまで反応するなら今回の調合も成功だな」
「なんだよこれ」
早く教えろよ、とヨシロウが凄むと、源二はニヤリと笑って説明した。
「名古屋の心、味噌カツだよ」
「ミソ!? え、ミソってあのミソシルのミソ、だよな?」
ミソは割と最近源二が再現した調味料だということはヨシロウも知っていた。朝食で飲むミソシルはヨシロウの最近のお気に入りだ。
それが、トンカツのソースとして使われているとは。
だが、源二に言われて納得もする。
確かにこの風味はミソによるものだ。ただ、甘みの強さにミソだとすぐに気付かなかっただけだ。
「ミソがソースになるのか……」
「ああ、名古屋ではお馴染みの味噌だれだよ。名古屋の食文化は少し独特だからな」
「ナゴヤ……」
源二の言葉にヨシロウが呟く。
ナゴヤといえばトーキョー・ギンザ・シティより南西に位置した都市のはずだ。一応
元の時代にいた源二は他の都市に行ったことがあるのだろうか、とヨシロウが視線を投げると、源二は懐かしそうな顔をしていた。
「名古屋の飯は楽しかったな……」
「ナゴヤに行ったことがあるのか?」
思わず、そう尋ねる。
もちろん、と源二が頷いた。
「料理の修行で日本全国回ったりもしたぞ。お好み焼きは大阪の味を再現したつもりだ」
「オオサカ……」
源二の移動距離に驚いてしまう。
確かにリニアならここからでも一時間と少しで行けるだろうが、それでも食のために全国を回るとはヨシロウには想像もできないことだった。
ところが、源二はヨシロウの想像の斜め上の発言をぶちかました。
「新宿から夜行バスで移動するのも楽しかったな。あ、ヨシロウ、夜行バスは分かるか?」
「夜行バス……? え、一晩かけてオオサカまで行くのか!?」
夜行バスが何なのかもよく分からないが、なんとなくは理解できた。
一晩眠って朝に到着する、ということだろうがヨシロウには無駄な動きのようにしか思えない。
「そうだ。夜行バスの中はスマホも禁止だからな。寝るしかできないし、寝るのもバスによっちゃ観光バスみたいな座席だったし朝着いたら体がバキバキとかザラだったよ」
「なんでそんな無駄なことを……」
リニアなら一時間じゃないか、と言おうとしてヨシロウはハッとした。
まさか、という考えが脳裏をよぎるがこれは多分正解だろう。
「……リニア、まだ開通してなかったのか!?」
「それな。品川〜名古屋間は二〇二七年開業予定だったのが静岡で一悶着あって二〇三四年以降とか言われてるし、名古屋〜大阪間も二〇四五年とか最初言われてたんだぜ? まぁこっちはもうちょっと前倒しできるみたいだが、開通前にこっちにきてしまったってわけだ」
まぁ、新幹線があったんだけどな、あははと笑う源二にヨシロウがそれなら、と質問を続ける。
「じゃあ新幹線でよかっただろうが。夜行バスよりは早かったんだろ?」
「夜行バスの方が安いんだよ! 下手したら新幹線使った時の五分の一くらいの値段で行けるんだぞ!?」
「マジか! 安いな!」
この場合は「時間を取るか」「金を取るか」という選択だろうが、確かにこれくらいの値段差があるのなら「金を取る」と言う源二の選択も納得できる。しかも夜間、眠っている間に移動できるのなら安眠できない点を除けば逆に効率的なのかもしれない。
それに、源二が時間より金を取りたくなる理由もなんとなく分かる。
「どうせ、いろんなもの食べたいから交通費ケチったんだろ」
「そりゃそうだろ」
訊くまでもなかった。源二はそういう男だ。
安く移動して全国各地で美味しいものをたくさん食べる、そんな源二を、ヨシロウは羨ましい、とふと思った。
二〇二〇年前後に発生したというパンデミック以降の源二の生活は散々だったようだが、それ以前は割と自由に生きていたんだなと考えると源二が元いた時代に行ってみたい、と思ってしまう。今よりもかなり不便だろうが、それでもなんとなくだが「自由」がある気がする。
「……いつか、行ってみたいな」
ぽつり、とヨシロウが呟く。
「行ってみたいって、俺の時代にか?」
「ああ、ゲンジが実際に食べてたものを、俺も食べてみたい」
時間の渡り方など全く分からないが。
それでも、源二と出会って過去の時代の話を聞いて、その時代の味を再現したものを食べて興味が湧いた。
もし源二が元の時代に戻ることができたなら、付いて行くのも悪くないなと一瞬だけ考え、ヨシロウはダメだダメだと首を振った。
タイムスリップしてしまった源二が異物なのである。いくら源二が異物でなくなる時が来たとして、今度はヨシロウが異物になる必要はない。
今は交差している二人の道だが、これは本来重なってはいけないもの。
来たるべき時が来るのであれば、その時は笑顔で見送ってやろう、とヨシロウはそっと心に誓った——が。
「ナゴヤのミソカツだったか? よくこんなものまで作ろうと思ったな」
自分が少しだけ感傷に浸ってしまったことを悟られないようにヨシロウが話を強引に引き戻す。
今はそんな感傷よりも源二が作ったミソカツである。
他の都市の料理ということで移動手段などに食いついてしまったが、ライスの上に乗せられたミソカツ——つまりミソカツドンが次の新メニューになるというのか。
源二もそうだそうだと話を戻し、小さく頷く。
「名古屋飯はうまいんだよ。再現したかったしみんなに食べてもらいたかったしでよかったよ」
「あのさゲンジ」
ほんの少し改まった声で、ヨシロウが口を開く。
名古屋飯、というからにはご当地グルメという認識でいいだろう。一応はフードプリンタにもいくつかの「ご当地グルメ」のデータベースがあるので存在だけは知っている。とはいえ、よほどの物好きでない限りは定番メニューしか出力していなかったが。
「なんだ?」
ヨシロウの改まった声に、源二も姿勢を正す。
「客相手に、ゲームしてみないか?」
そのヨシロウの言葉は、源二の想像とは大きくかけ離れたものだった。