天気予報では、その日は台風接近による暴風雨ということだった。
「やっぱり自然には勝てないのか……」
だんだん強くなる雨風を見ながら源二がぼやく。
「いくら気象制御ができると言っても限度はあるからな。雨雲は必要に応じて拡散や生成ができるがそれでも限度はある。台風となると熱帯低気圧の段階で拡散できれば御の字ってところだ」
「まあ、それも海上だから対応が難しいんだろ? やっぱり自然は強いな」
BMSの天気予報チャンネル——現在は刻一刻と変化する台風情報を眺めながらヨシロウが言うと、源二も納得したように同じチャンネルにアクセスする。
「流石にこれから雨も風も強くなるなら早めに閉めた方がいいか?」
「一応は風速一五メートルを超えたら臨時休業するって告知してんだろ? そうでなくても客もいねえんだから閉めてもいいんじゃないか?」
店内には源二とヨシロウしかいない。普段のヨシロウなら悪天候の日は外に出る理由がないと引きこもりがちだが、今日に限って「食事処 げん」に顔を出しているのはひとえに——。
「そうだな、ヨシロウも心配して様子を見に来てくれたんだ、早めに閉めるに越したことはないな」
「しっ——!」
笑顔の源二に、ヨシロウがなぜか慌てる。
「いや別に心配したとかそういうのじゃないぞ! 単純に腹が減ったから——」
「素直じゃないなあ」
源二が苦笑する。
「お前でも作れるように調合添加物のカプセル作ってるだろ。なんでわざわざ店に来るんだよ」
「だって、そりゃあ」
源二の指摘にヨシロウがしどろもどろに答える。
「ほら、一人で食うの寂しいから!」
「寂しいんかい!」
ヨシロウの返事に、源二はさらに苦笑するしかできなかった。
なんだかんだ言ってヨシロウは源二に過保護なところがある。源二も立派な成人、むしろ若者にはおっさんと呼ばれてもおかしくない歳だし、トーキョー・ギンザ・シティに転がり込んでもうすぐ半年である。来たばかりの、右も左も分からない状態はもう終わり、一人の市民として他の市民と変わりない生活を送っていた。それなのにヨシロウは今でも閉店時には迎えに来てくれたり買い出しについてきたりと世話を焼いてくる。
ほんと、お人好しなんだからと思いつつ、源二はこれ以上待っていても客は来ないと判断し、閉店準備を始めることにした。
この時代の料理屋のいいところは食品の廃棄が滅多に起きないことだ。出力したプリントフードが残されて廃棄、ということはあり得るが「食事処 げん」ではお残しは滅多なことでは発生しないし、材料であるフードトナーは賞味期限が非常に長い。そのため、閉店を早めたところで食材が無駄になることもなく、気軽に営業時間を変更することができる。
だが、源二がフードプリンタの電源を落とし始めたタイミングで、店内に足を踏み入れた人物がいた。
「あー……。今日は天気が悪いから閉店——」
源二が言いかけたところで口を閉じる。
そこに立っていたのは顔なじみの常連ではなかった。
身なりのいいスーツの男——一目見ただけで、それが既製品ではなくちゃんとした
まさか、と源二が身構える。
こんな高級品を身につけるのは余程の上流階級の人間でなければ無理だ。いくら社長職であったとしてもちょっとやそっとの企業ではスーツを仕立てることまではできたとしても天然素材にまで手を出すことは難しい。
——と、なると、この超がつくほどの高級なスーツを身に纏った、しかもこんな悪天候の中わざわざ足を運んできた男は。
《あのバッジ、「ベジミール」社だな》
同じく男を観察していたヨシロウから
(ベジミールって、フードプリンタ最大手だよな)
《フードプリンタというか、食料関係の最大手だ》
ヨシロウの言葉に、源二がちら、と背後のフードプリンタを見る。
サトルの協力によって導入した最新式のフードプリンタはベジミール社のものだったはずだ。
その、食料業界最大手のベジミール社の、しかもそこそこの立場にいそうな人間がここに来るとは——。
警戒の眼差しを注がれた男は、それに怯むことなく二人に会釈した。
「弊社のフードプリントを使っていただき、誠にありがとうございます」
「あ——はい」
丁寧な男の物腰に、源二が若干たじたじとしながら相槌を打つ。
「こんな日に来てしまったのは申し訳ありませんが、今日なら逆に他のお客様にご迷惑をおかけすることもありませんので」
あ、私はこういう者です、と男が空中を弾いて二人に名刺を送る。
受け取った源二が名刺を見ると、そこには「ベジミール社 開発部長 アマミ・ハヤト」と記載されている。
「……ベジミール社のお偉いさんが何の用だ」
名刺を見たヨシロウが源二に代わりそう尋ねる。
ええ、と男——ハヤトは本題に切り込んだ。
「『食事処 げん』の料理を是非とも味わってみたくて」
「——なるほど」
真顔になり、源二も頷く。
ヨシロウは一旦黙った方がいいと判断したか、無言で二人を眺めている。
「——いいですよ」
源二はハヤトの申し出を拒否しなかった。
「是非とも、この店の味を体験していってください」
「ありがとうございます」
自分の申し出が受け入れられたことで、ハヤトがカウンターに歩み寄り椅子の一つに腰掛ける。
「まず、何を試してみますか」
源二が尋ねると、ハヤトは「そうですね」と考えるそぶりを見せ、それからメニューの一つを指さした。
「この『ツナマヨオニギリ』と『ミソシル』を」
「かしこまりました」
表面上は何の変哲もないやりとり。
だが、その水面下で激しい火花が散っているのをヨシロウは確かに感じ取っていた。
——まずは様子見ということか。
この店のインパクトを味わいたいというのならカツサンドやカレーが人気メニューである。それを選ばず、シンプルなオニギリとミソシルを注文したということはハヤトの意図がただの興味ではなく調査であるとヨシロウは判断した。
この二つのメニューは定番中の定番だ。シンプルゆえに味覚投影オフを懐疑的に思っている人間はまずこれを頼み、味覚投影オフに驚くという流れを経験する。
ハヤトの意図としては恐らく味覚投影オフの料理を経験し、「売れる」かどうか調査することだろう、と考えたヨシロウは源二に警告するか、とウィスパーを開こうとして思いとどまった。
——まずはこちらも様子見だな。
下手に警告して源二が変な行動を起こすのも良くない。
源二がまだ電源を落としていなかったフードプリンタを動かし、まずはツナマヨペーストを出力する。続いてライスを出力し、ラップフィルムで包んで形を整える。
「——ほう、二つの料理を組み合わせるのですか」
源二の調理を眺めていたハヤトが感心したように声を上げる。
「ツナマヨオニギリは料理のデータベースにあってもレシピのデータベースには収録されていませんからね。これは是非とも収録しなくては」
流石は食料関連のメガコープ、レシピへのアクセス権はあるということか。
ハヤトの言葉に「追加、できますかね」と答えつつ、源二はスッと皿を差し出した。
「はい、ツナマヨオニギリとミソシルです」
ハヤトの目の前に差し出されたオニギリとミソシル。
ほのかに漂う味噌の香りにハヤトは再びほう、と声を上げた。
「香りまで再現しているとは。驚きですね」
「では、召し上がってください」
その源二の声が挑戦的で、ハヤトはそれを真っ直ぐ受け止め、オニギリを手に取る。
「それでは——見せていただきましょうか、『食事処 げん』の料理の魅力とやらを」
多くの人間が熱狂する味覚投影オフ料理。
本当にそれは人々を魅了するに値するものなのかと、ハヤトはオニギリを口に運び——一口、齧りとった。
外ではだんだん強くなる雨風が道を叩き、人々が足早に帰宅しようとしている。
外は嵐、だが店の中も静かな嵐が吹き荒れていた。