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第38話「勝利の果てに」

「へいらっしゃい!」


 源二が、目の前に座った男に声をかける。

 男は少しだけ周囲を気にするように視線を巡らせ、それから小声でオーダーを伝える。


四つくれGive me four.


 男がその言葉を口にした瞬間、源二はほんの一瞬硬直した。

 だが、次の瞬間、ニヤリと笑って次の言葉を紡ぐ。



 それに対し、男が答えるべき言葉は一つだった。


いやNo四つだ。four.二と Two,二でtwo,四つだfour.


 わずかな沈黙。

 男の言葉に、源二は小さく頷いてカウンターに背を向けた。

 無言でフードプリンタに調味用添加物を投入し、出力を始める。


 これは合っていたのか、それとも間違っていたのか、と男が不安を覚えるが、源二がフードプリンタを起動したということは正解と考えていいはずだ、と考え直す。

 それとも間違っていたから罰ゲームとして何かとんでもないことをしてくるのか、とも考えられ、不安は拭えない。


 そうするうちに、男の前に一つのどんぶりが差し出された。

 ライスの上に置かれた黒っぽい物体、それにかけられた同じく黒っぽい液体。

 最近の「食事処 げん」のトレンドは後がけ調味料料理だ。見たところ、これもそのようだが今までの料理に比べて見た目が地味である。


 黒っぽい料理といえばノリを使ったオニギリやスシの一部、海藻サラダといったものがあるが、これもその一種か、と少しだけ考える。

 それならそれでさっぱりとしたおいしさがある。

 そうかー、と思いながら男はフォークを手に取り、黒っぽい物体に突き刺した。

 ふわり、と芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、男の期待値が上がる。

 黒っぽい物体を口に運び、一口——。


「!?」


 口に運んだ瞬間、男の目が見開かれた。

 甘くも塩味のある芳醇な味、それに続いてトンカツの脂の甘みがガツンと男を殴る。ノリ特有の独特な香りではなく、ショーユのような芳醇な香りが口の中に広がり、トンカツと絶妙なハーモニーを奏でていく。


「これは——」


 最初の一口を飲み込み、男は源二を見た。

 源二がにっこりと笑い、サムズアップして見せる。


「正解者第一号、おめでとうさん!」


 その瞬間、店内がどよめいた。


「正解者出たのか!」

「マジか! 新メニュー何なんだよ!」


 そんな声が、店内を飛び交う。

 男も驚きと困惑が混ざった視線で源二を見る。

 まさか、自分が第一号だったとは、という思いとまだこの料理の名前を聞いていない、という疑問に、源二はにっこりと笑って男に向けて指を弾く。

 男の視界に転送される一枚のチラシ。


『合言葉限定メニュー、「ミソカツドン」新登場!』


 湯気の上がる演出が施されたその電子チラシに男の心が跳ね上がる。


「ミソカツドン……!」


 これは新しい、と男は本気で思った。

 こんな料理は食べたことがない。フードプリンタのデータベースにはかなりの数の料理が登録されているが、その中でも「料理があったという事実だけは記録されているが味は失われたもの」も多数存在する。


 ミソカツドンも恐らくはその一つだろう。チラシには「ナゴヤメシ復刻!」と書かれているからご当地グルメの一種だろうが、男はご当地グルメに興味を持ったことはない。食なんて、栄養さえ摂れればそれで良かったから。


 それでも「食事処 げん」を知り、味覚投影オフで元々の味わいを再現したものを口にして男は食の楽しさを知った。

 食べることはこんなにも楽しいものだ、と。

 今回の合言葉イベントもそうだ。こんな遊び心のある料理屋は見たことがない。


 「食事処 げん」には偶然立ち寄ったという出会いだったが、今の男にはこの店はなくてはならないものになっていた。

 ミソカツドンを噛み締めながら、男が同時に幸せも噛み締める。


 正解者第一号になった嬉しさだけではない。こんなおいしいものを作り出した源二の店に出会えた幸せを。

 これからも「食事処 げん」に通い続ける、と男は心の中で固く誓った。




◆◇◆  ◆◇◆




「すげえ反響だなぁおい」


 第一号の正解者が出て数日。

 全ての合言葉を見つけ出した客が次々と現れ、「食事処 げん」は正解した常連たちの感想で溢れていた。

 ヨシロウがカウンターの隅でミソカツドンを前にそう言うと、源二は苦笑して頷いてみせた。


「ヨシロウが協力してくれたからだよ。ウィスパージャックで噂話を聞かせる、それをきっかけにサイトへ誘導、謎を提示して常連同士で謎解きをさせる——昔SNSで見かけたリアル謎解きストーリーを思い出したよ」


 元の時代にいた頃、SNSに提示された謎を多くの謎解きファンクラスタが知恵を寄せ合って解き、ストーリーを進めていくというイベントがあった。

 最終的には本の形で出版もされ、興味を持って購入した記憶があるだけに今回のイベントはそれを彷彿とさせるものがあり懐かしかった。


 この時代もこうやって協力して謎を解くことができるんだ、という手応えに、これは第二弾とか企画してもいいか? などと源二は考えていた。


「まぁ、身内にハッカーやらデザイナーがいると色々好き勝手できて楽しいよ。ヨシロウがハッカーじゃなければ店内限定ウィスパージャックなんて相当金をかけなきゃできなかったし、ニンベン屋があの暗号フォントを作ってくれたから謎っぽくできた。二人には感謝してもしきれないよ」

「いや、お前が『モールス符号をうまく使えないか』と言わなきゃあの画像は作れなかったぞ。まさかモールス符号とはねえ……」


 そう言いながら、ヨシロウがミソカツドンを一口。

 「ん〜!」と唸ってからヨシロウは言葉を続けた。


「確かにトンツーで通信できるモールス符号は今でも使われてるとは聞くしさ。だがモールス符号を覚えてるやつなんてそうそういないし、気づかれるかどうかは賭けだっただろうが」

「いや、モールス符号はすぐに気づくさ」


 ヨシロウの前にプリンの皿を置きながら源二が断言する。


「モールス符号なんて符号は覚えてなくても中学生男児が憧れる暗号みたいなものだぞ。厨二病患者なら一応は罹患するサブ疾患だよ」

「……確かに」


 渋い顔でヨシロウが頷く。

 厨二病患者が全員モールス符号に興味を持つかどうかは別として、緊急の通信手段の国際規格としてモールス符号が使われているのは事実である。下手に音声言語やテキストで救難信号を出すよりトンツーで救難信号を出す方が確実に相手に通じる。


 とはいえ、航空や船舶事業に従事している人間でなければモールス符号なんてものを「ある」と知っているのは相当なオタクギークである——というのがヨシロウの認識だった。

 そういうヨシロウもでは仕事のためにモールス符号は履修していたが。


「ま、とにかく暗号がトンツーで文字を表現したもの、と分かれば辿り着けるものだったからな。正解者が出るのは時間の問題だったよ」

「割に、最初はバイナリデータとか推測されてたがな」


 試しに大規模言語モデルLLMに画像をぶっ込んだときも「バイナリデータではないか」と推測していたぞ、とヨシロウが言うと、源二も頷いてニヤリとする。


「だが、バイナリデータではあり得ない、ってのがちゃんと仕込んであるからな」

「ああ、1と0の割には9桁あるからな」


 もし、あの暗号の画像にある記号をブロックごとに分解して得られる桁数が8桁であればバイナリデータとして誤認されただろう。だが、あれは分解しても9桁となりバイナリデータではない、とすぐに分かる仕組みになっている。あとはどの段を見るべきか理解すれば解ける、というのは仕込みとしてはよく考えられたものだった。その点はあの暗号記号を作り出したニンベン屋の腕を認めざるを得ない。


「おかげで懐かしくも楽しく遊ぶことができたよ。ありがとな、ヨシロウ」

「あ、ああ」


 改まって源二に礼を言われ、ヨシロウが目を白黒させながら頷く。

 「食事処 げん」を賑わせるきっかけになれたのならそれ以上に嬉しいことはない。その結果、多くの人間がイベントを、隠しメニューを楽しみ、幸せになっている。

 こんな幸せ、他にあるかと思い、ヨシロウはプリンを口に運んだ。


 焦げた砂糖スクロースを再現したカラメルのほろ苦さと卵の優しい甘みが喉を通り過ぎていく。

 本当にこいつ、いろんなものを再現したな、と思いつつヨシロウは今後も「食事処 げん」を流行らせるにはどうすればいいか、と考えるのだった。

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