口に入れた瞬間、ほろり、と砕けるジャガイモ。同時に口の中に広がる甘味、塩味が混ざった炭水化物の味。そこに甘じょっぱく煮込まれた肉の風味も割り込み、得も言えぬ味に若者は言葉を失った。
「……」
初めて食べた料理。初めて経験する味覚投影オフなのに何故か身体がこの味を知っているような錯覚を覚え、不思議そうに首をかしげる。
「……懐かしい」
ぽつり、と若者の口からこぼれたのはそんな言葉だった。
「実物なんて見たことも食べたこともなかったのに、なんか、こう——すごく温かくて、懐かしくて、何故か母さんのことを思い出しました」
「そりゃあ、『おふくろの味』ですから」
「おふくろの味……」
若者が源二の言葉を反芻する。
おふくろの味、なんてものは聞いたことがない。おふくろと言えばずいぶん大昔の人間が母親を呼ぶのに使っていたり一部の界隈ではそう呼ぶこともあるらしいが、その
そう、疑問は覚えるものの若者は源二の言った「おふくろの味」があまりにもしっくりくると納得していた。母親の手料理なんて普段食べているプリントフードと何ら変わりはないはずなのにこのニクジャガを食べていると何故か母親のことを思い出してしまう。
「……母さん、元気にしてるかな」
若者がそう呟くと、源二は「別のところから?」と尋ねてくる。
「はい、ビッグ・テック社が運営している大学に進学するためにオオサカから来たんです」
「へえ、大阪から! それならこれも懐かしいんじゃないですかね?」
若者が大阪から来た、と聞いた瞬間、源二が即座にオコノミヤキを出力、ソースとマヨネーズをかけて切り分け、その場にいた客にふるまう。
「え、タイショー、俺らもいいんか?」
「一人で丸ごと食わせたら太るだろうが! 試食だよし・しょ・く!」
やりぃ、とお好み焼きをがっつく常連たち。
若者も不思議そうにオコノミヤキを眺め、それから口に運んだ。
「うわあ、これも懐かしい!」
目を輝かせる若者に、源二がでしょう? と頷いてみせる。
「お好み焼きと言えば大阪名物ですからね——あー、広島もお好み焼きが名物で時々戦争ってか『どっちが本物のお好み焼きか』なんて論争が勃発してましたけど、どっちもおいしいですよねえ」
「え、エリア同士で戦争してたんですか!?」
驚きの声を上げる若者に、源二が慌てて「違う違う」と否定する。
「戦争は言葉のあや。まぁ、武力衝突はなかったけど『大阪のお好み焼きこそ本物だ!』とか『広島焼きと言うな! こっちが本物のお好み焼きだ!』という論争があった時期はあったんですよ」
「へえ」
面白そうに若者が笑った。
「お、やっと笑ってくれた」
笑う若者に、源二も笑顔を浮かべながらそう言葉にする。
「人間、笑うのが一番いいんですよ。元気出ましたか?」
「あ——」
源二の言葉に、若者は小さく頷いた。
「……僕、進学のために来たって言いましたけど、なかなか成績が振るわなくて。一応ビッグ・テック社就職ラインには届いてるけどいつ蹴落とされるか分からなくて、もう……」
ぽつりぽつりと身の上を語り始める若者。
「ビッグ・テック社が運営する大学だからどうしてもビッグ・テック社に入りたいし、そうなると上位はキープしないといけないし……。両親の期待もあってプレッシャーに押し潰されてたんですね、僕」
「それは大変だ」
「定期的にストレスチェックを受けるんですけど、そこで引っかかってしまって『しばらく休養が必要』と言われてしまって」
若者の言葉に源二がああ、なるほど、と頷いた。
「できれば休みたくないんです。授業には遅れたくないし、成績も落としたくないし」
その気持ちは源二にも分かった。レストランを立ち上げたいと修行していた頃にそう言ったことは何度も経験した。勤め先のレストランが閉店したことで腕が鈍ることも考えた。
「分かりますよ。遅れたくないって気持ち。俺も似たような経験しましたからね」
「タイショー……」
若者が源二を見る。
「でも、そんな状態でよくうちを見つけましたね。いや——弱っているからこそ、アンテナが反応したのかも」
「かも。たまたま、ここの耳にしたんです。『味覚投影なしで食べられる』、『初めて食べるのに何故か懐かしい感じがする』って聞いて、何か興味持っちゃって」
そう言いながら、若者はもう一口ミソシルをすすった。
「食事なんてただの栄養補給だと思ってたのに、ここの料理を食べてびっくりしました。食べてるだけなのにすごく懐かしいし、楽しいし、なんか心が軽くなった感じがします」
「それはよかった」
プレッシャーに押し潰されていた心が少しでも軽くなったのなら、それはそれで源二が目指していたものに近づいたことになる。
あの社畜時代に癒してくれた蕎麦屋を思い出し、源二は自分も人を癒す立場に立てたことに誇りを覚えた。
人を癒すといえば既に何人もの客が「悩みなんてどうでもよくなった」と言ってくれている。それでも「心が軽くなった」はまた少し違う意味を持つ——そんな気がしていた。
——だから、料理はやめられない。
料理に救われた源二だからこそ、料理で人々に手を差し伸べたい、この時代に来てその願いが叶った。
裏ではベジミール社の圧力がじわじわとかかりつつあるが、この店はなんとしても守りたい、純粋にそう思う。
それに、常連は口々に「タイショーの料理に救われた」と言ってくれるが、それは源二も言いたいことだった。
多くの客が常連としてこの店に来てくれる、この時代では主に情報交換の場として使われる料理屋がただ情報交換するだけでなく人々の心をほぐす場として機能している、それに源二も救われていた。
「……やめられねえんだよな……」
思わず、源二はそう呟いていた。
「?」
若者が首をかしげる。
「タイショーにも何かあったんですか?」
「あー……。まあ、色々と。だけど、お客さんのような人が俺の料理で癒されてるのを見るとやめられないしやめたくないなあ、って思うんですよ」
「……この店、閉めちゃうんですか?」
若者の声に不安が混ざる。
いいや、と源二は即答した。
「やめませんよ。やめさせたりもしない。ちょっとこっち側で色々あるんですけど、それには負けたくないな、なんてね」
「……そういえば、ベジミール社が新型の味覚投影プラグイン出してましたね」
もしかして、それに圧されてるんですか? と尋ねる若者に源二は再び首を振って否定する。
「いや、うちの味はそんなもの程度で負けやしませんよ——とは言いたいですが、影響は出るでしょうね。でも、うちの味は味覚投影じゃ再現できない」
「そうですね。この味、どこに行っても食べたことないし、そもそもメニューが全然違う」
ニクジャガを出された時点若者は「他の店と違う」と感じていた。
他の店にはないメニューのラインナップ、味覚投影オフ、それだけで完全に他店と差別化ができているし独自性も高い。メニューのラインナップだけなら「少し珍しいものが食べられる」だが、そこに味覚投影オフが入り込んでくると完全に唯一無二のものとなってくる。
そんな「食事処 げん」に無くなってもらいたくないな、と若者はふと思った。
同時に「この店の魔力に取り付かれてしまったんだな」と気づいて苦笑する。
魔力なんてオカルトは一部のスピリチュアルな人間が提唱するものだと思っていたが、この店はスピリチュアルでもなんでもなく科学の力で魔法を再現してしまっている。
これはまた来るしかないな、と思ったところで若者はオーダーを通していなかったことを思い出し、メニューを開いた。
「肉じゃが定食」をタップし、それからふと気になってデザートメニューの「かき氷」もタップする。
「かき氷も味覚投影オフなんですか?」
「ん? そうですよ」
何を当たり前のことを、とばかりに源二が笑う。
「いやぁ、かき氷はいいですよねえ。まさか味だけ味覚投影とか思ってませんでしたけど」
まるで味覚投影を知らなかったかのような源二の言葉に首をかしげながら、若者はカウンターの奥で欠かれる氷を見る。
ふわふわに欠かれた氷の上に、源二が横に置いていた液体を掛け、若者に差し出す。
白い氷に掛けられた赤色の液体が目に鮮やかで、若者はほう、と声を上げた。
「調味ペースト・赤を液体にしたものですか?」
「食べてみると分かりますよ」
源二の言葉を合図に若者がかき氷にスプーンを差し込む。
赤い液体が掛けられたかき氷は初めてだった。
今まで食べたかき氷はただ氷を欠いたもので、味は全て味覚投影、それがこの液体でどう化けるのかと期待して口に運び——その甘さに脳が貫かれた。
「んー!」
口いっぱいに広がる冷たさと甘さ。味覚投影では氷の冷たさは再現できないので口の中で冷感を感じつつ脳が甘さを認識するといったものだったが、このかき氷は全く違った。
冷たさと甘さが同時に脳を刺激する。何故か甘いだけなのにイチゴのような風味も感じる。
「イチゴ味ですか?」
あまりの刺激に夢中になってかき氷を食べながらも若者は尋ねる。
が、すぐにキンとした頭痛に襲われて顔をしかめる。
「かき氷って急いで食べると頭痛くなりますよねー」
苦笑しながら源二がぬるま湯を入れたコップを差し出す。
それを一息に飲むと頭痛が和らいだ気がして、若者はもう一度「イチゴ味ですか?」と尋ねた。
「ただの砂糖味ですよ——と言いたいところですが、ウォーターフレーバーのイチゴも少しだけ混ぜてますからね。結局は添加物によるまやかしですよ」
「すごいな……」
かき氷だけでこんなに驚かせてくるとはこのタイショーはとんでもない人物である。
そう思った若者は残ったかき氷も完食し、「ごちそうさま」と呟いた。
「タイショー、ありがとう。おいしかったです」
「いい顔になりましたね」
「えっ」
にこやかに言う源二に、若者が思わず自分の顔を触る。
「ここに来た時、すごく追い詰められたような顔をしてましたから。元気が出たならよかった」
「はい、元気が出ました。もう少し頑張ってみます」
席を立ち、若者がぺこりと頭を下げる。
「今度、知り合いもつれて食べに来ます。この店、本当にすごいからもっといろんな人に知ってもらいたいです」
「ありがとうございます。それほど気に入っていただけたのならこっちも板前冥利に尽きるってやつです」
来た時とは打って変わって堂々とした足取りで店を出ていく若者の背に、源二は「がんばれ」と声をかけた。
源二もまた、若者に元気をもらっていた。
「こりゃあ、ベジミール社には負けてられんな」
この街にはまだまだ悩みを抱える人間がいる。
全員は無理でも、一人でもその悩みを和らげることができるなら。
そう思い、源二はカウンターに残された皿を回収した。