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第44話「おふくろの味(前編)」

 「食事処 げん」は今日も盛況だった。

 いくらベジミール社が味覚投影プラグインを更新して味の精度が上がっても源二が提供する味覚投影オフの料理には敵わない、というのが常連の共通見解だった。


「タイショー! オコノミヤキ頼む!」

「あいよ!」


 注文はBMSのデジタルオーダーで済むのにこの店の常連はデジタルオーダーした上で注文を口頭で復唱する。源二から要求したわけでもないのに、いつの間にか常連は、いや、初めて来店した客もオーダーを飛ばしてから源二に注文したものを口頭でも注文してきた。それが「粋」であるとも全員が思っており、「食事処 げん」は明るい声が絶えない店となっていた。


「タイショー、相変わらずうめえなあ。やっぱり味覚投影がいくらアップデートされてもこれには敵わないって」

「ははは、そう言ってもらえると嬉しいよ」


 ほら、おまけだと言いつつ試作品の小鉢を差し出す源二。


「おお?」


 源二が試作品をおまけとして出してくれるのは日常茶飯事のこと。毎度ではないが、それなりに高い頻度で出してくれるので常連としては楽しみの一つとなっている。


「これはなんだ?」

「きんぴらごぼう」

「あー、大昔の戦争中に捕虜が『木の根を食わせられた!』って叫んだあのゴボウ! 食ったことないんだよな!」


 ごぼうだけでここまで盛り上がることができるのは本物の食材を口にすることができない未来ならではかもしれない。

 テンション高く小鉢を引き寄せ、フォークを手に取った常連客に視線を投げた時、源二はその先で一人の客が店に入ってきたのを目にした。


「……こ、こんばんは」


 おどおどとした様子で入ってきた若い男性客は死んだような目でぼんやりと店内を眺めまわしている。

 そんな若者に、源二は明るく声をかけた。


「らっしゃい! 席、空いてますよ!」

「……あ、はい……」


 やはりおどおどとした様子で歩みを進め、カウンター席の一つに腰を下ろす若者。

 そんな彼に、源二はそっときんぴらごぼうの小鉢を差し出した。


「あの、まだ注文は——」

「さぁびすです——というレトロゲームネタはこれだけにしておいて、当店はお客様に新商品の実験台になっていただくシステムになっておりまして」


 不安そうに目を泳がせる若者の緊張をほぐすように源二が説明する。


「タイショー、それは逆効果だ!」

「そうだそうだ実験台は常連だけで十分だ、新しい客には真っ当に試食させてやれよ!」


 周囲の常連のヤジが飛ぶ。


「いいんだよ! うちに来る客は誰であろうと実験台だ!」

「ヨシロウがキレるぞ!」


 一応、試食第一号がヨシロウであることはこの店の常連の中では常識となっている。

 「ヨシロウには食わせたのかよ」というヤジも飛ぶ中、若者だけがおどおどしたまま目の前の小鉢に目を落としていた。


「あの、いいんですか?」

「どうぞどうぞ、もしこれでダメだと思ったら無理に注文しなくても大丈夫ですし」


 源二が明るい声で若者に小鉢を勧める。

 その声に意を決し、若者はフォークできんぴらごぼうを持ち上げ、口に運んだ。


「——ふむ」


 真っ先に口に広がったのは甘味が混ざったショーユの風味。そこからピリッとした辛味が舌を刺すが、なぜか不愉快ではなく逆に食欲をそそってくる。

 噛み締めると少々筋張った、いかにも「食物繊維です」といった歯応えとともに独特の土臭さの混じった、それでも香ばしいいい香りがショーユの香りに混ざり、若者は思わず小鉢の中身を掻き込んでしまった。


 あっという間に小鉢が空になり、我に返った若者が物足りなさそうに小鉢に視線を落とし、それから源二を見る。


「どうでしたか? 味覚投影オフを体験して」

「——すごい」


 そう、呟いた若者の声に怯えはなかった。


「タイショー……でしたっけ? 注文してもいいですか?」

「もちろん! 何がいいですか?」


 源二が快く返答してくれたために安心した若者がメニューを開く——が、すぐに首を振って源二に視線を戻した。


「何か懐かしいものを食べてみたいです。なんていうか——このキンピラゴボウ、すごく懐かしい感じがしたんです。味覚投影オフなんて初めての体験だし、キンピラゴボウ自体初めて食べたのに初めてじゃない感じがして、これがこの店の強さなんだな、って。だから——タイショーが思う『懐かしいもの』を食べてみたいなって」

「ほほう、そうきましたか。なるほどなるほど……」


 若者のオーダーに、源二が少しだけ考えるそぶりを見せ、すぐに「分かりました」と頷く。


「じゃあ、何が出るかはお楽しみ、ということで、一応オーダーの管理はしておきたいので出てきてからオーダー通してもらっていいですか?」

「いいんですか? そんなことして」


 僕のわがままですよ? と言う若者に源二はいいからいいからと笑ってみせる。


「じゃあ、作りますね。楽しみにしててください!」


 そう言い、源二はプリントレシピを呼び出し、フードプリンタに自分で作り出した調味用添加物のカプセルを投入した。




「へい、お待ち!」


 若者の目の前に差し出されたのは一つのトレイだった。


「……」


 若者がトレイを見ると、そこにはなんの変哲もない白米ライスといくつかの具が浮いた味噌汁茶色いスープほうれん草のおひたし緑色の何かが入った小鉢とこれはポテトだろうか? じゃがいもらしきものやにんじんらしきもの、そこに肉や玉ねぎといったものが入った少し大ぶりの鉢が置かれていた。


「これは……」

「『肉じゃが定食』ですよ。俺としては『懐かしいもの』の筆頭ですね」


 源二の言葉に若者がへえ、と声を上げる。


「肉じゃが、かぁ……そういえば昔、歴史の授業で見た写真にこんな感じの料理があったなあ」


 歴史に出てきた料理が食べられるなんてすごいな、と呟きつつ、青年はまずスープの入った椀を手に取った。

 一口啜る前に、ふと鼻腔をくすぐった香りに驚き、椀に口を付ける。


「ふわぁ……」


 そんな声が若者の口から漏れる。


「今まで食べたことのない味がするスープだ。塩味なのに塩味だけじゃなくて、甘味とかあるし、それにすごくいい香りがする」

「味噌汁ですよ。和食の定番ですね」


 源二が説明する。若者がへえ、と呟く。


「大昔の朝ごはんの定番、でしたっけ? 確か『イチジュウサンサイ』とかで出てくる」

「よくご存じで。そうですよ。一汁三菜、味噌汁、白米、そこにに三つのおかずでバランスよく栄養を摂るという昔の知恵ですね」


 なるほど、と若者が椀を置き、今度は小鉢を手に取った。

 そこに入っていた緑色の物体に「草?」と首をかしげる。


「ああ、それはほうれん草のおひたしですね。本来のほうれん草なら鉄分やいくつかのビタミンなどが含まれていて体にいいと言われていた食材ですが、今だとフードトナーで必要な栄養素は完璧に摂れますからねえ」

「詳しいんですね」


 ほうれん草のおひたしを口に運びながら若者が感心する。

 口に入れた瞬間のショーユと魚のような風味が混ざった香り、そこから続くほうれん草の青臭くも甘みのある味にこれもうまい、と呟く。


「……一度の食事でいくつもの料理が食べられるってすごいな。しかもまだメインを食べてない」


 昔なんて不便な時代だと思っていたのに、と呟きつつ食べる若者に源二も小さく頷いた。


「BMSもないし料理も自分で食材を調理しないといけませんでしたからね。まぁ、コンビニとか外食産業も発展してましたけどフードプリンタで一発、ではなかったですし、どうしても調理の手間はありましたね」

「まるで昔の時代にいたようなことを」

「ははっ、どうでしょうね」


 真実はこの若者には必要ない。だが、それでもこの若者が食に興味を持つきっかけになるのなら多少は真実を混ぜる。

 そんなことを考えながら源二が肉じゃがも勧めると、若者は興味深そうに大鉢を覗き込んだ。


 ほくほくとした感じのじゃがいもに味が染みているかのように色濃い人参、くたっとした玉ねぎとよく煮込まれたような肉に、若者は、


「フードプリンタの再現って、すごいんですね」


 とぽつりと呟いた。

 今まではプリントフードを食べるとしても定番のサンドイッチやトーストといったものばかりでこのように手の込んだ料理を出力したことはない。出力に時間がかかるし、味覚投影で味が変わるとはいえ得られる栄養素は料理によって差があるわけではない。


 何を食べても同じだ、と決まったプリントフードしか食べていなかったが、こうやって肉じゃがというものを写真ではなく実物同然に再現されたものを目の当たりにして、ほんの少しだけ興味がわいた。


 いや、「ほんの少し」は語弊があるかもしれない。はじめに食べたキンピラゴボウで、若者は度肝を抜かれていた。


 味覚投影とは全く違う味わいを自分の舌で感じる料理に驚き、他の料理もそれぞれ違う味がするのか、と興味を持った。ミソシルで食感も味も全く違うことにさらに驚いた。

 これはただのプリントフードだ。味覚投影しなければどれも同じ味のはずだ。

 それなのにキンピラゴボウもミソシルもホウレンソウも味が違う。


 それなら——と若者は大鉢に手を添えた。

 このニクジャガというものはどのような味がするのだろう。一体何を教えてくれるのだろう。

 そんな若者の死んだような目にわずかに光が宿ったのを源二は見逃さなかった。


「さあどうぞ。肉じゃがはうちの人気メニューの一つですから」

「この店のメニューはどれも人気メニューだろうが!」


 源二の言葉にすかさず飛ばされるヤジ。

 そんなヤジを聞きながら、若者はフォークに刺したジャガイモを口の中に運び込んだ。

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