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第16話

「そういうことか、全て、そうか、あやつがやっていたのか!こんなものを残していたとは!許さぬ、許さぬ!だが、お前の全てを引き継いだ子孫は私の手の中!」


 苦埜の叫び声に、楠葉は現実に引き戻された。

 しかし視界に入るのは黒い格子ではなく、白い世界だけが広がっていた。試しに目の前の白いものを触ってみるとふわっとした柔らかくて温かな感触があった。何故こんなものがあるのかと戸惑いながら周りを見渡してみた楠葉は、その白いもので自分が包まれているというのを把握した。

 それはまるで、白い糸の繭。

 苦埜に連れ去られてから感じていた恐怖や疲労感を拭い去ってくれるような優しい温もりを感じるそれらは、楠葉を守るように楠葉の周りを包んでいた。


(きっとこれは、楠子様の力だ。楠子様は私の為にたくさんのものを残してくれていたのね)


 楠子が自分に残してくれているものの数が予想をはるか上を行くほどあることに、楠葉は自分の祖先でもある巫女の優しさと温かみを実感して、白い糸に触れる。指先から感じる白い繭の感触は、涙がこぼれそうになるほどの愛情を楠葉にふわりと与えてくれる。その安心感で満たされた空間はひたすらに優しさと温かさで溢れていて、苦埜によって苦しめられ疲弊しきっていた楠葉の心を落ち着かせ、そして冷静に考えられる体力や気力までもを回復させてくれていた。

 しかし、苦埜にとっては、この白い繭は邪魔でしかないのだろう。

 それまで安心感で落ち着いていた楠葉であったが、繭の外から聞こえる苦埜の吠える声が聞こえた。

 腹の底から響くような唸り声は、憎悪に満ちていて白い繭全体が震えるのを感じる程であった。


「ふざけるなぁあああ!どうりで違和感があると思ったのだ!そうだ、お前は葛だった!私が名を与えた、葛だった!葛だったはずなのだ!なのに!お前は!私にクスコと呼ばせるほど自分の存在を変えてしまっていたのか!私が気づかぬ間に!私に気づかれぬように!私が一度も気づく隙など与えずに!私の力を超えるほどの力をあの石くずに溜め込んで!お前ごときがこの私を!この何百年もの間欺き続けただと!?許さぬ、絶対に許さぬぞ!お前が残したものなど私が全て食らってやる!お前の思いどおりなどさせぬ!全て私のものにするのだ!邪魔されてなるものか!お前の思い通りにさせるものか!!」


 苦埜の叫びを聞きながら、今まで楠葉が見ていたものを苦埜も見ていたのだとこの時漸く楠葉は気づいた。

 距離が近かったからか、もしくは楠子が意図的に苦埜にも見せつけるように細工をしていたのか。もうこの世にはいない彼女の意図は計り知れないが、苦埜が苦し気に咆哮していることから、彼女の思惑は苦埜を苦しませるためだったのだろうことを楠葉は感じとっていた。


「ああくそ!何故私は今まで思い出せなかった!?ああ、長い年月を過ごしすぎてしまったせいだろうなぁ!畜生、畜生!!!格下であるお前の掌で踊らされることなどあってはならぬ!ならぬ!ならぬのだ!ああ、悔しい悔しい悔しい!こうなったらお前の分身でもある子孫に私の過去も見せるまで!お前の子孫を苦しませてやる!!」


 苦埜が叫び終わると共に、白い繭が揺れた。

 中に居た楠葉は慌てて体を伏せて揺れに耐えたが、繭の外でガラガラと崩れる鉄の音やずしゃぁと砂埃が巻き上がるような音を聞き、苦埜が黒い格子を破壊して白い繭の前に立っているのだと気配で感じ取った。


「この程度の繭、亀裂を入れることなど私には容易い事!」


 その言葉通り、楠葉の目の前に裂け目ができた。

 そこから、禍々しい黒色の刃の切っ先を楠葉に向けている苦埜がいた。

 貫の首を落とした時のように、腕を長い刃に変形させているのだ。

 しかし、すぐに白い繭は切り目を包み込むように糸を紡ぎ再び楠葉を守るように繭で覆いつくした。


「なんだと!?いや、しかしクスコ、お前が残したものとて限界があるだろう。何度でも裂いてやる!何度でも、苦しめてやる!何度でも何度でも何度でも!!!」


 叫んだ苦埜が再び楠葉の目の前を切り裂いた。

 裂け目から、怒気に満ちた禍々しい紫の瞳と目が合い、楠葉は思わず恐怖で息を飲んだ。

 その表情が見えたことで苦埜は留飲を下げたのか、どこか満足そうに口端を持ち上げると切り裂いた手とは別の手を持ち上げた。


「見よ、クスハ!クスコの全てを引き継いだ子孫よ!私を愛すべき者よ!私の過去を見るのだ!」


 そう言って切り目が白い糸で塞がれる前に苦埜は何かを楠葉に向かって放り投げた。

 楠葉はとっさに避けて直撃は避けれたが、白い繭の中は楠葉が立ち上がることが出来ないほど狭い。

 後方に当たったそれは、コロコロと転がり楠葉の指先に触れる。


「黒い、ビー玉?」


 指先で触れただけなのに全身に走る悪寒に楠葉が戦慄していると、楠葉の脳内に『こんな小さな石ころから復活した時にドロドロになっていた私の気持ちをお前が理解できるか?』と、唸り声のような苦埜の声が響き渡った。

 刹那、楠葉の視界は黒一色に覆われた世界へと放り出されていた。

 頭から真っ逆さまに落ちるような体制で方向感覚もわからない状況に楠葉が声を上げることもできず混乱していると、再び苦埜の咆哮が響いた。


『くそぉおおお!葛ぅうう!貴様ぁ!やりやがったなぁ!名前を変えやがったな!?私と結ばれた糸を消すだけでは飽き足らず、私の与えた名前まで消すとは!私の愛を拒むとは!私と結ばれた糸を踏みにじるとは!!』


(どこから、聞こえてくるの?)


 頭が割れそうなほどの声に両耳を塞ぎながら楠葉が首をひねると、急に視点が一回転し、楠葉は最早見慣れ始めてきた黒い格子の檻の中にいた。しかし周りにも傍にも誰もおらず、しぃんとしたその空間にそぅろと楠葉が両耳から手を離すと足元から「あ゛あ゛あ゛」とうめき声が聞こえた。

 ハッとして楠葉が足元を見ると、つま先の数センチ先に白と黒の縞模様のビー玉が転がっていた。


(もしかして、楠子様が苦埜を封印したビー玉?)


「うがあああ!」


 再び叫び声が聞こえ、声と共に白い部分が黒く滲み始め、楠葉が見つめ続けている間に黒と灰色の縞模様のビー玉へと変わっていった。


「何故抜けられぬ、何故私はここから出られぬ!早く出せ、私を出せ!クスコ!!」


 叫ぶ声はどこか籠ったような声で、耳を抑える程ではなかった。

 あの脳内をかき回すような叫び声ではないことにひとまず安心した楠葉は一旦様子を見守ることにしたが、あれだけ叫んでいたのに突如苦埜は黙った。

 黒い檻の中で満ちる静寂。


(……憎悪が、消えた?)


 苦埜は常に憎悪に塗れていた。

 実際、先ほど叫んでいた苦埜の声には憎悪に溢れていた。

 しかし、今ビー玉に封印されている苦埜からは。


「……あ?」


 一言、困惑の感情がこぼれ出た。


「ク、スコ?誰だそれは。アイツの名前は……いや、クス、……ああ、合っている、クスコだ。だが何故こんなにも違和感を抱くのだ?こんなこと今までなかったはずだ。私は何に疑問を抱いている?……いや、そんなことはどうでもよいのだ。クスコが何か企んでいることは間違いない。私はそれを止めて、二度と私の手から逃れられないよう言い聞かせなければならぬのだ。私を出せ、出せえええええええ!」


 再び苦埜は元の狂気を取り戻すと叫び始めた。

 小さな、ビー玉の中で。

 その様子を聞きながら楠葉はあたりを見回した。

 明るかった景色が、一度暗くなり、また明るくなる。

 動画を早送りしているかのように日を跨いでいると気づくのにはそう時間はかからなかった楠葉は、苦埜の叫び声に慣れ始めた時にピシリとひび割れる音を聞いた。

 見ると、いつの間にか禍々しく真っ黒に染まったビー玉がひび割れ、小さな破片が落ちていた。


「クス、コォオオ」


 そう言って、ビー玉のひび割れた部分からドロリと黒い液体が漏れ出た。

 途端に強まる憎悪の気配に楠葉は息を飲む。

 ドロリ、ドロリと流れ続ける黒い液体は、次第に人間ほどの大きさになり、人型へと変わっていく。

 その姿は、兎妖怪が吐き出した時に出てきた液体妖怪と色が違うだけで、全く同じ姿をしていた。




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