「これは、チリとララなのか?」
白い髪と赤い瞳の子狐妖怪を見ながら貫が問いかけた。
「……多分、そう。これが、一つになったチリとララな気がする」
楠葉は直感でそう零した。
その言葉に対して貫が「どういうことだ?」と問いかけてくるのに碌に答えず、楠葉は手をかざして「もっと、見せて」と唱えた。すると、子狐妖怪の前に葛が現れた。
『全ての力を与えると強すぎるから、どの妖怪とも区別がつかないくらいで抑えられるように、力を圧縮しているわ。特に、苦埜に気づかれないように。だからあなたには子どものままいてもらう必要がある。でも同時に、苦埜を数倍上回るほどの力を溜め続けなければいけない。それには巫女との接触が必要不可欠で、あなたはずっとここに留まる必要があるの』
『わかった』
葛が白い髪に赤い瞳の子狐妖怪に視線を合わすためにしゃがみながら話しかけると、子狐妖怪は淡々とした口調で答えた。その様子はチリとララを思わせるものがあった。
「誰だ、こいつは」
貫が問いかけてくるも、楠葉自身もまだ確証が持てず答えることが出来なかった。
すると、子狐妖怪に話しかけていた葛の顔が悲し気なものへと変わった。
『一人だと、寂しい、わよね?』
『寂しい?』
葛の口ごもりながらの問いかけに、子狐妖怪はキョトンと首を傾げた。
そして暫く考えるように反対側の方にも首をコテンと傾けてから、数秒黙った後に首を左右に振った。
『寂しい。わからない』
『……そう』
子狐妖怪の返答にトーンを落として答えた葛は、急にキュっと唇を噛みしめると、がばっと子狐妖怪を抱きしめた。突然の行動に『かあさま?』と不思議そうな子狐妖怪が問いかけたが、それに対して葛はハラハラと美しい涙を地面へ落としていた。
『ごめんなさい。辛いことを全部押し付けてごめんなさい。私だけ幸せになろうと逃げてごめんなさい』
『かあさま?』
『私のその思いがあなたから感情を奪ってしまったのね』
『かんじょう?』
『苦埜と対峙した時に必ず倒せるよう力を与える代わりに、どうか辛い思いをしないようにと祈っていたの。祈りながら大事にあなたを生んだわ。私の力も注げるだけ注いだ。その結果が、まさか何もかもを感じなくなるほどの感情を抜き取る行為になるだなんて私はわからなかったの。ごめんなさい、ごめんなさい……』
力強く抱きしめながら涙をあふれる程流す葛に、暫く子狐妖怪は不思議そうな顔をしていた。
しかし、ふと小さな紅葉のような手を伸ばすと、葛の白い頭をポンポンとたたき、左右にふわふわとスライドさせた。
『かあさま、よしよし』
『……!』
頭を撫でられた葛は驚いて顔を上げ、子狐妖怪を見遣る。
目が合うと、子狐妖怪は今の行動が正解だったのだと思ったのか『よかった。かあさま泣き止んだ』と相変わらず表情は動かないが、赤い瞳は優しい温もりを輝かせていた。
『感情が全部消えたわけじゃない……あなたには、優しさが、あるのね。ああ、よかった。ならあなたは、何があっても、苦埜にはならないはず』
『うん、苦埜倒す。それが使命』
『ええ、そうよ。だけど、それはどういうことか、分かっている?』
『うん、勿論。自分も死ぬ。一緒にじゃないと苦埜は倒せないから』
2人の会話を聞いてバッと貫と楠葉は顔を見合わせた。
「一緒にじゃないと死ぬって、共倒れしか手段がなかった、てこと?」
「それを最初から知っていてあいつらはオレらと共に居たってことか?……ざけんな、畜生」
貫が怒ったように吐き捨て白い髪をした狐妖怪の母娘を睨むと、葛が再び口を開いた。
『そう。本来はその役目を私がするべきだった。けど、ごめんなさい。私は、彼と一緒に生きたい。そのかわり、あなたに協力してくれる力をたくさん残しておくから。何年経っても残るように。それに、幸いあの男の運命の人が私の子孫みたいだから、生きなきゃいけない理由もあるの』
そう言って、鳥居を見上げる葛。
その発言に貫は何か覚えがあるようで「だから生きるべき時代は今じゃないだのどーのこーの言ってやがったのか……」と苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
『うん。わかった。たくさん使う』
『……使う、ね。その言葉はあまり口にしない方がいいわ』
『何故?かあさま』
『言われた側は、あまりいい気分にならないの』
『いい気分。ん-、わからない』
『そうね、あなたには難しいわよね』
葛は思い悩むように一旦目を閉じた。
その時間は数秒なのだが、あまりにも長く感じる瞑想のような時間だった。
白い霧が立ち込める中、静寂だけがその場を包む。
少しでも会話を聞き逃さないように。
些細な動きも見逃さないように。
貫と楠葉もじっとその様子を見守っていた。
ふと、葛が『よし』と言葉を漏らし、漸く目を開けた。
『せめて寂しくないように、2人にしましょう』
『2人?』
葛の言葉に、再び不思議そうに首をかしげる子狐妖怪。
それに対し、葛はどこか申し訳なさそうに微笑むと、白く小さな頭を撫でた。その手の温もりが気持ちよかったのか、子狐妖怪の耳や尻尾がどこか嬉しそうにピコピコと動いた。
『これは私のエゴ。どこまでも勝手な母親でごめんなさい。ただ、1人だけ頑張るっていう辛さを私はこの数百年で誰よりも知っているから。だから、せめて……ララ。あなたは、1人きりにならないよう、2人にするわ』
葛がそう言うと、白い頭に置いていた手がふわっと金色に輝いた。
その眩しさに子狐妖怪はぎゅっと目を閉じた。
すると、子狐妖怪から水色の光が生まれて葛の掌を貫通して頭上に浮かんだ。同時に子狐妖怪の白い毛が全て桃色へと変わり始めた。それは貫と楠葉にとって非常に見覚えのあるララの姿だ。
そして、水色の光はララの横にポトンと落ちると、ララと瓜二つの子狐妖怪が隣に現れた。毛が全て水色で、開いた瞳も水色の子狐妖怪。チリだ。
『おはよう。私の愛しい我が子。あなたたちは2人で1つ。いい?ずっとあなたたちは一緒。何があっても、離れないでいられる家族なの。名前は……自分で決めていいわよ』
『2人で1つ。わかったなの。じゃあ、チリはチリがいいなの。桃色はララがいいなの。言いやすいなの』
『ん。ララなの。いいなの』
『あら、チリがお喋りさんで、ララは恥ずかしがり屋さんなのかしら?』
『そういうことでいいなの。チリはおしゃべりが大好きなの』
『ララ、お腹空いたなの』
『フフ、じゃあ、お腹いっぱい食べてから、準備をしましょうか』
『『分かったなの、お母様』』
そこで3人の姿はフッと白い霧の中に溶け込むように消えた。
しかしそれは数秒の間で、すぐにまた3人の姿は現れる。
葛だけが、楠子の姿となって。
『お腹いっぱい食べたからいつでも準備は大丈夫なの。ララも大丈夫なの?』
『大丈夫なの』
『お利口ね。それじゃあ、始めましょうか』
楠子は鳥居を見上げてから、視線を下げ、鳥居の両側を見た。
『そこと、そこ。鳥居を守るようにあなたたちには像となってこの神社を守ってほしいの。私の力をすべて引き継ぐ巫女が生まれるまで。それが、この鳥居に封印された九尾と同等の力を持つ妖怪の運命の相手だから』
『巫女はすぐ生まれるなの?妖怪と運命の相手じゃなきゃダメなの?』
『よくわからないなの』
『そうね、あなたたちにとって運命の相手という説明は難しいと思うわ。それに、長い間像となって待っていなきゃならなくなるの。でも、2人はずっとテレパシーでお話は出来るの。だから、寂しい時間はないわ』
『ララとお喋りはずっとしていていいなの?ならチリはいいなの。お喋りいっぱいできるならチリは問題ないなの』
『ララもおしゃべりできるならうれしいなの』
『よかった。それじゃあ、今から大事なことを言うからよく聞いてね。そして、私がいなくなった後をよろしくね』
『『わかったなの』』
楠子は一歩下がると、チリとララに向かって両手をかざした。
その手が、ふわっと金色と白の入り混じったような光を帯び、鳥居の両側に土台を生み出した。
『私の力全てを引き継いで生まれた巫女ならば、巫女が思いを込めてあなた達に贈るものは力を与えてくれるものになる。必ず受け取り、大事にしなさい』
『『はいなの』』
土台から光が消えると、今度はチリとララが同じように光り始めた。
2人の手足が、パキ、と音を立てて鼠色の石へと変化していく。
『時が来たら、自分たちがずっと座っていた土台に触りなさい。全てここに込めた力が教えてくれる。私の力をここに全て託すわ。私が妖怪としての人生を捨てる程注いだものは、あなた達の使命を導いてくれるから』
『『はいなの』』
チリとララはその返事を最後に、楠葉にとって見覚えのある狐像となり土台へ置かれた。
鳥居を見つめるように向かい合う狐像。
その本性が、あんなに小さな子狐妖怪だとは夢にも思わなかった、幼いころから見慣れた石の狐像。
もう何も言葉を発さなくなった石像が光を失うと共に、楠子は手を下ろし、額に脂汗をかきながらその場に苦しそうに膝をついた。
『……自分の幸せを選んで、子どもを犠牲にする。こんなの、苦埜と変わらないことなのに。受け入れてくれる私の子どもたち。ありがとう。大好きよ。それなのに、こんなに身勝手な母親でごめんね』
楠子の涙に濡れた声は。
一度瞬きをした瞬間、白い霧に溶けて消えた。