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第59話 盾刀『蓮華』

 宗田そうだ千尋ちひろは観察する。


(奇妙な武器よなぁ)


 ハスバが左腕に装着した刀、どう見ても円状盾ラウンドシールドである。

 ただし異形。その大きさは体の前に構えるとハスバの胴体がすっぽり隠れるほどであり、装着された盾の拳側は刃になっている。

 刃盾、盾剣、あるいは盾刀とでも呼ぶべき武器か? 世界には様々な武器があるから、きっと似たようなものは千尋の前世にもあったのだろう。だが、あの大きさで、片手で構えるように設計され、縁の半分が刃になっているという武器は、なかったのではないだろうか?


(かなり重そうだが、重いと感じていそうではないな。なるほど神力しんりき。まったく出鱈目な力よ。ということは、無手のごとき速さが出るものと仮定すべきであろう)


 そう考えれば、あの盾の用法もわかる。


(装着者が重いと感じているならば、あれは盾としてしか運用できぬであろうよ。それも、どっしり構えて、相手を待ち受ける盾だ。しかし、無手も同然の軽やかさで動くとすれば、あれは──籠手である・・・・・。しかも、無手で他者を殴打するがごとき速度で放たれる、超重量の刃物。おまけにあの大きさだ。避けるには大きく動かねばならんし、逆に拳を突き出されるとこちらの攻撃にはすべて反応される。なるほど)


『体に相手の刃が触れた方が負け』というこの勝負。

 素手のごとき軽やかさで動く、胴体を隠せるほど大きな丸盾を装備したハスバが絶対的に有利だ。


(兵法──という様子でもないな。確かにやっていることは『剣を交える以前で勝負を優位に運ぶ』という意味で兵法。しかし、相手としては『互いに怪我なく済ませるための提案』でしかないのだろう。まぁつまり、『勝敗条件を揃える必要にも思い至らない』──『勝負になるとさえ思われていない』ということか。つくづく、この世界での俺は手頃な獲物にしか見えぬらしい。いやはや。……嬉しいなァ)


 構えもせずに相手が地に額を押し付け謝罪する立ち合いの、何が面白いものか。

 ただ名を聞いただけで相手の腰が退けてしまう殺し合いの、一体何が『殺し合い』か。


 威容、威厳、畏怖、一切合切すべて、勝負から純粋さを取り除く邪魔者である。

 全力で、互いの命を両天秤に載せて立ち会うには……


(天女よ。そなたからの贈り物、実に見事だ。そなたが俺に『弱さ』をくれた。ゆえに俺も、そなたとの約束を守ろう)


 弱さの代わりに何かをする、と言葉にしたわけではない。

 だが、千尋の中で約束したことがあった。それは──


「ハスバ、貴様は俺の『敵』だ。ゆえに──貴様に挑む。貴様を渇望し、この俺はまた強くなる」


 永遠の挑戦。永遠の渇望。永遠の向上。

 男性はそういう生命体であるべきだ、と死後の世界で美しい女は語った。


 ならば、そうあろう。


 平穏なき人生。歩みを止めることの許されぬ人生。

 誠に上等。望外の喜びである。


 この勝負は命の取り合いまでいかぬもの。

 されど──


「千尋、参る」


 ──『だから手を抜く』などという道理はなし。


 千尋の移動は瞬時であった。


 七歩はあった彼我の距離を一瞬で詰める速度。

 それは筋力ではなく歩法である。そして技術である。


 唐突に最高速度に達するモノの動きを人は捉えることができない。

 予備動作なく力を発するモノの行動に人は心の準備ができない。


 ゆえに千尋が脱力し、その衝撃を踵から地面に打ち付け己を射出するという歩法に、人は驚きの顔をする。


 ここで驚いたまま終わるは三流。


 驚きながら体が動けば、二流。


 ハスバ、少なくとも二流以上である。


 千尋は一瞬で距離を詰める歩法にて、ハスバの右側を目指して加速した。それは、ハスバの盾が左腕に装備されたものである都合上、右側への対処が一瞬遅れると見越してのものである。

 虚を突く急加速歩法を前に、『一瞬遅れる』は致命の隙。相手が対応できなければそのまま終わり。油断も傲慢もなく、えげつなく勝負を決めに行った行動であった。


 だがハスバ、これに対応する。


 いかに軽々と扱っているとはいえ、千尋の速度に盾では対応できぬと見たのだろう。体を沈み込ませ、すれ違いざまに首を斬ろうとした千尋の剣をすんでのところで回避する。

 神力のある女、とはいえ髪まではそこまでの丈夫さではないらしい。ハスバの体の速度に置き去りにされた髪が斬り裂かれる。


 女の首を斬るには至らぬ力。しかし、舞い上がる髪を斬る鋭さ。

 ハスバはこれを受けて心構えを一瞬で切り替えたらしい。表情に油断、ゆるみが消えている。


 すれ違いざまの一撃をかわされ、すでにハスバへと向き直っている千尋、ハスバの顔を見て笑う。


(一流の使い手である!)


 不意を突かれて終わるは三流。

 不意を突いた一撃に咄嗟に対応してみせるが二流。

 一流は、一瞬で心構えをし、反撃さえしてみせる。


 沈み込んだまま滑るようにハスバの体が動き、振り返った直後の千尋の体へと左拳を放ってくる。


 やはり、速い。胴体を隠せるほどの大きさの金属塊を腕につけているとは思えない、力みのない拳。

 しかし間合いの短さはいかんともしがたい。千尋は半歩下がって間合いの外へ退避。退避しつつ、尋常なる剣を持った千尋、まだハスバを間合いに捉えている。剣を振り下ろして、低くなったハスバの頭部を狙う。


「よもや──」


 ハスバが驚きを浮かべ、


「──『蓮華れんげ』を抜く・・ことになろうとは」


 そのようにつぶやきながら、体はよどみなく動いている。

 右手を盾の裏側に差し入れるようにしながら、頭を防御。

 ギィィィィィン……という音を立てて、千尋の刀がハスバの盾刀──『蓮華』へとぶつかる。


 次の瞬間、千尋の直感が彼の体を半歩右へ動かしていた。


 直前まで千尋の体があった場所に、何かが叩きつけられる。

 それは船の床を叩き、そこに穴を空け、木材の破片を飛ばした。


 一瞬の停止の中、千尋は、たった今自分の頭を叩き潰しかけた刃を見る。


 それは、両端に半月がごとき刃を携えた、おおよそ二尺60センチほどの柄を持つ長柄武器であった。


 ちょうど、あの丸い盾刀を半分に割り、割った二つの間につっかえ棒でも入れたような形状だ。


 停止の中、ハスバが驚き顔のまま、声を発する。


「いや、まさかまさかだ。蓮華を抜かされたばかりか、蓮華の一撃をかわすとは」

「なるほど、その盾剣……盾剣ではなく、ほこであったか」

「力を加えれば柄が現れ、さらに力を加えると柄がどんどん伸びる我が──」


 ハスバが頭上で『蓮華』を回し始める。

 轟音とともに風が鳴り──どんどん、柄が伸びていく。


 あまりにすさまじい回転。振り回される刃の残像が、蓮華の花弁のように目にちらつく。


「──あなたを侮っていたことを詫びよう。まさか、蓮華を槍として扱うほどの使い手とは思わなかった」

「まァ、侮られるのは望むところではある。しかし、参ったな、これ以上は殺し合いになってしまう」

「蓮華を回し始めたならば、手加減は難しいと忠告しておこう」

「仕方ないから、終わらせるか」

「私は現在の『強さ』に重点を置く天女教の在り方に疑義を呈する身。しかし……同じ女として、その強がりは賞賛しよう!」


 高速回転しながら『蓮華』が千尋に迫る。

 しかし千尋、苦笑しながら動かない。


「悪いが」


 ゆったりと一歩、ようやく踏み出す。

 瞬間、千尋の肩口から反対の腰までを、蓮華の刃が通過し……


「回転から放つ武器との戦いは、先日したばかりでな」

「……は?」


 ハスバが気付いた時には、もう、千尋がすぐ目の前にいた。

 ぴたり、とハスバの首筋に刃が触れている。


「武器を回す者の動き、視線、意識の流れ──すべて・・・覚えた・・・。おまけにぐねり・・・もしない直線的な刃筋ではなァ。当たれという方が難しい」


 ハスバが斬ったのは、残像である。


 残像。それはよほどの速度で動かないと見えないもの──という認識は正しい。

 千尋に残像を出すほどの速度は出ない。

 ただし、人が頭の中で勝手に作り出す『一瞬後の景色』を裏切ることはできる。


 右に進むと見せかけて左に進む。後ろに下がる動きをしながら前へ進む。すべて、技術で可能。速度がなくとも、直前にゆったり動く、直前まで完全に停止しているなどの欺瞞を挟めば、可能なのだ。

 問題は、その現象を起こすためには相手が『一秒後、こうなる』と完全に信じるまで予想を裏切ってはならないこと──すなわち、自分を両断する威力で迫る刃が、肌に触れるほどに引き付けねばならない、ということだった。


 並みの度胸でできることではない。


 勇気がある。あるいは──恐怖心がない者にしかできない、妖魔鬼神のわざである。


「見事であったが、殺し合いならぬ勝負向きではなかったな」


 ハスバの手で、遠心力を失った『蓮華』がもとの盾型に戻る。

 そのかしゃかしゃという音は、静寂の中にしばらく残響した。


 残響して、その残響も消え去ったあとで、ようやく──


「…………負け、たのか、私は」


 ハスバは、自身の負けに気付いたのだった。

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